1981年 にっかつ
監督:根岸吉太郎 主演:風祭ゆき、太田あや子、三谷昇、鹿沼えり
この映画が私が風祭ゆきを劇場で見た最初の映画のような記憶がある。そして、根岸監督のロマンポルノを見たのもこれが最初だと思う。そういう意味でも衝撃があった作品で有り、わたし的には二人の代表作であるという認識がある一作である。久しぶりに見たが、この映画の風祭ゆきは美しい。昨日の映画もそうだが、自分が縛られていたものから解放される話だ。80年代初頭、女たちは男たちからのさまざまな自立を実践し出す。そして、男女雇用均等法ができ、時代はバブルに向かう・・・。風祭ゆきの映画はそんな時代の映画である。
風祭は高校の教師。恋人と情事にふけっていると電話がかかる。勤めている高校の生徒(太田)が補導されたから引取りに来いという。いやいやいく風祭だったが、自分の教え子ではなかった。太田は風祭が秋田で教育実習をした時の生徒だったのだ。太田が男と適当にホテルに入りシンナーを吸ったりする行為を軽く受け流す風祭。そんな太田の行動より風祭の脳裏に浮かんだのは、秋田でそのとき暴行された過去だっだ。そして、太田は風祭がシンナーの臭いで暴行犯とした男の娘だったのだ。それもあり、太田と母親(藤ひろこ)は長女(鹿沼)をたよって東京に居た。そんな過去を恋人に話す風祭。案の定、恋人は逃げていく。数日後、暴行事件の犯人は別にいたことを知る風祭。東京の澱みに暮らす太田の父(三谷)を訪ね、金を渡し詫びようとするが、三谷は受け取ってもそれを太田にやってしまう。風祭は自分がしたことを悔い、街で男に拾われてなされるままにされたりする。太田が無意識に男とホテルに行く感覚がわかりだす。そんな気持ちの中で追われ怯える三谷に遭遇する。風祭は三谷と一緒に列車に乗る。ついたところは東北の温泉。風祭はそこに太田を呼ぶ。三人はそこにいいた旅芝居の一座と仲良くなる。彼らが明日いなくなるという日、目的もない三谷は首を釣ろうとする。風祭もつきあおうとするが、うまくいかず、ふたりは抱き合って泣く。太田は旅芝居の主人に抱かれる。風祭は東京に帰り教師を続ける。そこに太田から休学願いが届き、三谷と旅をしながら楽しくやっていることを告げてくる。
ラスト、クレジットが流れる中、学校の片隅で手紙を読んでいた風祭が歩き出し、落ちていたバケツを蹴る。そして「寒い!」という一言が入り、ストップモーション。この画はかなり印象的であった。みた当時はあまり意味追求はしなかったが、結果的には人生はいつも寒いということなのだろうか?ひとつのモヤモヤが解消したあとの「寒い」というひとことは、なかなか意味ありげである・・・。
話は過去の暴行事件を想起させられた女教師が、自分が冤罪をひきおこしたことを知り、罪の意識をもち、かつ、いまのただなんとなく男と抱き合う暮らしから解放されていくというものだ。
都会できれいごとで暮らす中に、過去の地方で書き捨てた事象が迷い込み、都会の中でのある意味偉そうなアイデンティティを壊し出す。そして、自分の生きる意味を求めるように太田と三谷の親子にかかわっていき、東北の地で、すべての過去を洗い流すという触感は今見てもなかなか秀逸だ。
そして、教師である風祭が暗い貧乏な生活の中で太田がのほほんと暮らすのをみて、教えられるという図式がなかなかよくできている。ここでの太田あや子はもっと暗いイメージがあったが、今見るとなかなか説得力がある。そう、思った以上にいい役者だったのだなあと思った。今は、どうしているのでしょうね・・・・。
風祭は冒頭からSEXシーンで、全裸でトイレで用を足すシーンや、温泉に入るようなシーンもあり、その裸体をおしげもなくさらしている。(ポルノだから当たり前だが、みるべき裸が多いということだ)そんな中、全裸でメガネをかけて恋人と話すシーンがある。恋人がその姿をセクシーだというのは、観客も同じ気持ちに感じるところで、そういう細かいセリフが生きている部分が多い作品だ。脚本は田中陽造であり、人の胸の奥底をえぐるようなセリフと描写はなかなかで、それを根岸監督はかなりちゃんとイメージを作って演出している。
風祭はこの映画でも暴行されたことがただひとつの人生の通過点でもあるように強く日常に回帰していく。あくまでも男目線の脚本ではあると思うが、この映画の作られた80年代初頭くらいから、レイプで泣き寝入りなどということは少なくなっていったのかもしれない。それは男が願った女性像だったのか?結果、男がSEXに興味がなくなっていったのか・・・?振り返るとこのころはひとつの転換期だったのかもしれない。そう考えると、ロマンポルノがあった時代は健全な時代だった気もするのだ・・・。
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