日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために -28ページ目

日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために

日本映画をひとりの男が見続けます。映画はタイムマシンです。そういう観点も含め多様な映画を解説していきます。範疇は作られた日本映画全てです。

ズームアップ 暴行白書
1981年 にっかつ
監督:藤井克彦 主演:風祭ゆき、平瀬りえ、江角英、川村真樹、河西健司

これも、いどあきお脚本の一篇。そういう意味では話はまとまっている。いまは亡き暴走族の絡んだ話だが、そのあたりはあまり上手く使われていない。突然の暴行事件がすべて自分の周囲の共犯だったという話。ラストの夫をライフルで弾がなくなっても撃ち続ける主人公というのは、洋画「リップスティック」のパクリだが、このときの風祭はいまいち。その前のからくりを知って「みんなグルだったのね」と言うところがこの映画での彼女のベストアクトだ。演出の藤井監督がすこしおとなしすぎる感じで暴走していないのは残念な一作ではある。

風祭はラジオで自分の番組を持っている。すべては実業家の夫(江角)のおかげ。ふたりはそれなりに円満にみえた。ある夜、局に向かうために車を走らせていた風祭は暴走族に囲まれて暴行される。何もなかったかのように放送に入る風祭。そこには前にもあった「怨み節」のリクエストはがきが。疲れて帰ると、江角が身体を強要する。そんな江角が一週間出張で家を空けることになる。そして、風祭ひとりの夜。お手伝いの平瀬が知らない男(河西)をつれこみ勝手に振る舞い出す。河西は暴行をした男だと名乗り、ネガをもって金をゆすった。平瀬の勝手な振る舞いは続き、暴走族の仲間も家を荒らし出す。風祭が平瀬の身元を調べると、彼女の父の会社は江角につぶされていた。狂気の日々に耐えられず、風祭は昔のレズ友達(川村)の元に身を寄せるが、彼女の部屋にはバイク用のヘルメットがあった。風祭は河西に金と身体を渡し事をおさめようとする。そして、川村から頼まれたことを聞き出す。川村を問い詰めると、江角に頼まれて紹介したのだという。家に帰ると、もどっていた江角は平瀬を抱いていた。すべてが共犯者だったのだ。次の休み、江角、風祭、河西、平瀬の4人でクルーザーで出かける。河西は風祭を抱き、江角は平瀬を抱いていた。江角がデッキで平瀬に夢中のところにライフルを持った風祭があらわれ、あるったけの銃弾を放つ。朽ちた江角の処理を二人にたのみ、風祭は日常に戻るのだった。

風祭のDJ姿はなかなか似合っている。こういうルックスと声のDJはなかなか人気が出るだろう。その彼女が暴行され、日常を破壊され醜い過去も戻ってくるという話。ある意味、サスペンスといっていいのだが、その触感は弱い。映画全体のスピード感もあまりない。監督がそういうものが得意ではないといったところか・・。

暴走族の使い方もただクラクションを鳴らしているだけで躍動感がない。レイプシーンもいまいち。全体的に寸止め感が強く、風祭の悲痛な感じの演技が生きてこないというのが全体の印象。風祭があまり追い詰められた感がないのだ。そして、主犯者の江角が途中で消えてしまうのでわかりにくいのもある。

川村と風祭が昔、レズで、風祭は体も売っていたという過去を持つという道具もいまひとつ上手く使えていないような気がする。川村と風祭は体型が似たようなのでレズシーンはなかなかわたし的にはきらいではないのだが、それも映画のエッセンスとして生きていないという感じ。

平瀬はこの年の新人オーディションからデビューした女優だ。当時はあまり好みではなかったが、今見ると意外に綺麗な顔をしていると思った。とはいえ、演技も含めインパクトがいまいち、会社の期待にはあまり答えられなかったということである。

昭和の時代、やっている写真を撮ってネガでゆするという話はよくあった。最近はデジタルでコピーしほうだいなのでこの種のゆすり話はないが、はっきりいって、そんな写真をとられたら、逃げようがないというのが事実なのだろう。こういうところに時代を感じてしまった。

ということで、前半部にあまり風祭が追いかけられている恐怖感がだせていないので、最後のライフルで江角を撃つところもあまり効いてこない。このあたりはロマンポルノの平均的テーストで残念である。

そのあと、平然とDJをやっている風祭という絵柄で映画が終わっていくのは、非日常感があっていいと思う。あと、ここで流れる「怨み節」以外、音楽が上手く使われていないのも、映画全体の趣が平板な理由だろう。




愛欲生活 夜を、濡らして
1981年 にっかつ
監督:西村昭五郎 主演:風祭ゆき、中田譲治、麻吹淳子、太田あや子、萩尾なおみ

いどあきお脚本の売春婦に堕ちた女の、暗い生活を描いた一篇。ラストは結局、売春婦が自分にお似合いと受け入れてしまう話であり、見ていてなかなか辛い話である。とはいえ、ちょっとフランスの飾り窓の女という感じの趣もあり、それなりに空気感は洒落ている。だが、安定した西村昭五郎演出、破綻することがないのはつまらない。

風祭はガソリンスタンドに勤め、同僚の男(明石勤)と恋仲だった。ある日、デートの時に暴漢に追いかけられ、風祭はレイプされ、明石はなにもできなかった。その時にその場に車を止めた男(中田)が風祭を女にした。それは、彼女を売春で稼がせるためだった。風祭は博打の肩代わりも身体でさせられるが、中田は優しい時はおもいきり彼女を包んでくれるので離れられない。いつもは姿をみせることのすくない男の代わりの生きがいは飼い猫だった。中田は風祭に店を持たせてやるという。それなりに未来があった。だが、売春婦の世界は澱み、変態行為も平気でやらされる。そんな夜、明石が風祭を買いに来る。冷たく商売女になりきる風祭。ある日、中田の子分が自分をレイプした男だと知る。すべてはしくまれていた。そして、店を持つ話がダメになり、猫が殺される。そして、嫌な客をとらされそうになり逃げるがすぐに連れ戻される。死んだ猫を抱き、街をさまよう風祭。元いたアパートでは友人(萩尾)に売春をしていることを罵られる。そんな時、中田は揉め事で殺される。しらない、風祭は帰り、売春を斡旋する男(丹古母鬼馬二)に、「もう、客はえらばない」というのだった。

堕ちるところまで堕ちて、そこが自分の生きる場所と居直るが、その裏で男が死んでいっているという話。そう、すべては暗く、最後まで、主人公は前が見えない。夜の行為だけが天国という感じだ。そういう意味で、救いがない。その主人公を風祭はよく演じているし、「娼婦ができれば一人前の女優」という昔の言葉からすれば、風祭はここで女優として華を開かせている感じはする。

周囲を囲む女は、当時のSMの女王、麻吹淳子、そして太田あや子、これがロマンポルノデビューの萩尾なおみらで、ある意味なかなか重厚だ。そして、彼女たちの裸が特に濡れ場として長くない部分もドラマを邪魔していない。麻吹はちゃんと縛られて、乳首に電極かまされて失神させられるような過激なシーンもあるが、あくまでもそれが風祭を守るためなので絵になっていたりする。

男たちは丹古母以外は無名な男たち。そこがまたリアルな感じのドラマに仕上げている感じもする。丹古母はなかなか女たちには優しい周旋屋で、これも映画のエッセンスとしてうまく機能している。存在感は風体だけでなく、さすがという感じだ。

いどあきおのなかなか小気味良い脚本が西村昭五郎をも少しやる気にさせているような一篇である。風祭はさまざまなエロティックな衣装で娼婦を演じ、無理におもちゃを入れられるところや、無理に排泄されるようなシーンも真剣にとりくんでいるのがとても良い。いまのAVにあきた方々がこれを見るとかなり興奮するのではないか?

性の喜びとは、痛くも奥が深く、麻薬のように女をおとしめるものというところだろうか??舞台は当時の六本木。なにか、ドラマのアナーキーな感じがうまくその街にシンクロしている。空気感も含め、今見てもなかなかのロマンポルノではある。ただし、とにかく、話は救いがないので、鑑賞の際はお気をつけください!

欲情まんかい 若妻同窓会
1981年 にっかつ
監督:白鳥信一 主演:風祭ゆき、江崎和代、梓ようこ、吉原正皓、島村謙次

80年代初頭、私は封切り、二番館、三番館と織り交ぜながら、ロマンポルノの8割以上の作品を見ていたと思う。もちろん他の会社の作品も洋画も見ていたわけで、ごくろうさまだったわけだが、そんなロマンポルノの中で白鳥監督のコメディは間違いなく意味もなくおもしろくない映画だった。まあ、映画に期待しない分、女優の裸を見ることに専念できたという事実はあったのだが・・・。その白鳥作品で後日文章を書くとは思っていなかった・・・。

風祭は作家の夫(荒川保男)との性生活に満足せずに、同窓会と嘘をつき、ホモ男(小見山玉樹)のセッティングで友人の江崎と梓を誘って、修善寺に一泊のSEX合コンにいくことにした。現地についたころ荒川はホテルに電話して、同窓会が嘘なことを知ってしまう。合コンの相手は吉原、島村、織田俊彦の中年三人。くじでそれぞれにカップルになりさっそく一戦。しかし、みな、いまひとつつかいものにならない殿がたばかり。風祭は江崎と部屋を変えてもらう。そのころ、荒川が修善寺に追いかけてくる。風祭の浮気場面をつかまえようとするが部屋をのぞくも姿がみえず。うろうろしてると暇をもてあました江崎と梓につかまってしまう。風祭はその間、三人の男と関係するがなかなか満足まで至らないのだった。江崎と梓は荒川と一戦。事後、満足して温泉につかっていると、風祭が入ってくる。あわてて逃げる荒川だった。次の朝、仕事だといって吉原は帰ろうとするが、そこに電話がかかりキャンセル。時間ができた吉原は、昨晩、立たなかった分もあり興奮して風祭を追いかけだす。ホテルの屋上でレイプまがいに風祭を犯す吉原。それをみて興奮してくんずほぐれつになるほかのメンバー。なんとか、みなの目的は達成。笑顔で風祭が家に帰ると、荒川が元気になって風祭を押した倒すのだった。

風祭のフィルモグラフィを見ると、ロマンポルノでコメディに主演したのはこの一本である。まあ、あまり似合ってもいないし、客の評判もいまいちだったのかもしれない。だいたい、コメディポルノには豊満な身体の女優のほうがあっている感じがする。そう、こういうのはあまり風祭のように細かいエクスタシー表現で見せるものではないからだ。

でも、ほかの二人の女優が地味であるから、ある意味、風祭の裸ワンマンショーである。そういう意味では、今見てもファンにはすばらしいフィルムかもしれない。だが、白鳥監督、撮り方がまったくもって面白さにかける。まあ、男たちがなかなか立たないという設定もあるが、いやらしさが足りないのだ。そういう意味では、監督自身も淡白だったのかもしれない。ロマンポルノはシリアスであれ、コメディであれ、演出のいやらしさが出来に比例することだけは確かな気がする。

そして、男たちが、先生、教授、花屋と名乗る、中年ばかり、いま、おなじようなものを作るとしたら、この配役はないだろうと思われる。花屋と名乗る吉原は実は葬儀屋で突然、商売でかえらなくてはいけなくなるとか、彼がサラミが好きでいつもそれをかじっていて、江崎が逃げ惑うとか、まあ入れ込んだギャグが配役もあり、いまひとつ不発に終わり続けるのもなかなかつらい。

とはいっても、このロマンポルノ、風祭ゆきの裸だけでもっていくのだから、まあ典型的な時間の無駄な感じの一篇だ。当時の三本たての中には、必ずこういうのが一本はあった気がする。

そんな映画でも、国立駅が出発で、昔の駅舎の前で待ち合わせ。修善寺駅がでてくるから、ちゃんと温泉地のホテルを借りて撮ったもののようだ。しかし、部屋の中でSEXするシーンが半分だし、温泉に入るシーンはワンシーン。あまり、地方ロケをした意味はないようだ。

女たちが積極的にSEXを楽しもうとする話もこの時代だからこそ作られたものだとおもう。ロマンポルノの世界もこのあたりから女性上位のものが多くなる。そう考えてみれば、なんとか興味が持てる一本か?



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