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日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために

日本映画をひとりの男が見続けます。映画はタイムマシンです。そういう観点も含め多様な映画を解説していきます。範疇は作られた日本映画全てです。

零戦黒雲一家
1962年 日活
監督:舛田利雄 主演:石原裕次郎、二谷英明、渡辺美佐子、大坂志郎、浜田光夫

1962年の8月12日封切りの戦争大作といっていいとおもう。お盆やすみ、終戦記念日に合わせた製作だったのだろう。良質のエンターテインメントとして出来上がっていて、敗戦前の戦争をするどころではない雰囲気はでている。ただ、裕次郎が格好良すぎるので、反戦映画というよりは、ヒーロー映画になっているといっていいだろう。そして、監督は後に「二百三高地」「大日本帝国」を撮ることになる舛田利雄。彼も87歳でいまもご存命だ。彼自身は資料によると軍事教練を拒否して退学処分になった学生だったようで、そういう意味ではこの映画も戦争というものを嗤い飛ばすというニュアンスでとったのかもしれない。特撮もなかなか頑張っていて、米軍機が低空飛行で空爆してくるシーンなどはなかなか迫力がある。

終戦まじか、ガダルカナルも撤退になり、もはや戦闘機も数少ない南方の島の基地。そこには愚連隊のような部隊が残されていた。そこに一機の零戦が飛来する。それをみて歓迎だと地上から迎撃する部隊員たち。そして降り立ったのは石原だった。彼は自分がこの隊の隊長になったといい、それまでトップだった二谷をはじめ、部隊員をまとめはじめる。そして設営隊も一緒に指揮するのであった。二谷は、自分たちを殺しに来たのかと思う。しかし、みなが、自暴自棄になっている隊にやる気をも起こしていった。そこに女(渡辺)が流れつくが、石原は幽閉して指揮を乱さぬようにする。そこに敵機がくる。そこで零戦に乗って飛び出したのは操縦桿が怖くて握れなかった男(近藤宏)だった。二谷はそれを追った。近藤は敵機をたたき自信をとりもどすが、その後撃ち落とされる。二谷は、そこで敵機を戦闘員とともに生け捕りにする手柄を立てるが、石原に禁固処分にされる。塀の中で二谷と渡辺が話していた。彼らは昔恋人どうしだったのだ。そして、渡辺は娼婦になったことを打ち明ける。そんな中、米軍の攻撃は日々ます状況、戦闘を行うが、多くの戦死者をだす。そして、捕虜にした米兵が火を点け戦闘機もやられ、残ったのは零戦二機と二十四名。そこに潜水艦が姿を見せる。石原が無電を打っておいたものを拾ってくれたのだ。潜水艦に乗れるのは22名。二人残ることになる。石原と二谷は零戦に乗り、みなが潜水艦に乗るのを見届けて敵機の中に消えていくのであった。

映画の冒頭は、自衛隊の戦闘機の訓練シーンからはじまる。そこで指揮をとるのが浜田光夫で、彼は太平洋戦争での石原を思い出すことで映画は始まる。あまり必要ないシーンにもみえるが、太平洋戦争の教えは今も生きているということなのかもしれない。

原作は萱沼洋という作家が平凡に連載したものというから、ある意味、年少向けの戦争小説と考えて良いだろう。そういう意味では、戦記マンガ的な要素が強い作品だ。ということで、戦闘員のキャラが大切で、内田良平、江角英明、高品格、郷鍈治などがいつも以上に強いキャラで望んでいるのは映画の力になっている。郷は整備員で朝鮮人の役であるが、差別的な行為を受けているわけではない。最後の生き残りという中では、そういうものは関係なかったということもあると思う。このあたりをみると、舛田監督もこだわりない自由主義者であったのかもしれない。

食料もない中で、彼らがブタを飼っているというのは、ちょっとフィクションぽい。そして、トカゲを食ったりしているのに、このブタが料理されないのはちょっと不可思議。そして、映画の中にあるように、このブタで賭博レースをやる力は、実際はこのころのはなかっただろう。

紅一点の渡辺は娼婦に身を落とした歌手という役。いまだに娼婦の強制連行などが問題にされ、それはなかったなどというネトウヨも多いが、実際、娼婦など好きでやるものは数%もいないであろう。そう考えると、娼婦を公然と認知しなければいけない世界がおかしいのだ。戦争とは売春を正当化する行為でもある。そう考えれば、戦争に参加することは愚の行為に過ぎないことがよくわかる。

しかし、ここでの渡辺は最後はTシャツにショートパンツで今時の若い娘のような格好。当時、この映画をみた若者はちょっと興奮したのではないかと思う。最後にみなで踊るのをローアングルで狙うが、ここの渡辺の尻まわりはいろっぽい。

映画はわかりやすく、裕次郎もなかなか格好良い。そして、先にも書いたように、戦闘シーンが迫力に満ちているのでみごたえはる戦争映画である。

ラスト、玉砕覚悟で飛び立つ裕次郎が島の子供に言う「戦争は必ず終わる。もっといい世界を作るんだ」とそして、二谷は裕次郎に「こんど生まれる時は戦争のないときにしてほしいな」という。これだけで、十分に反戦映画といっていいだろう。そう、戦争など、すべてが不条理であり、嗤い飛ばすしかないものなのだ。

日本は太平洋戦争で、大きな犠牲を払い、自分たちの無知無力を知ったはずである。だから、平和憲法の元、平和な時間を過ごしてこられた。それを自ら変える理由は全くない。「集団的自衛権」などという、となりの喧嘩に加勢するようなみっともない行為をやるような国になっては絶対にいけないと思うわけである。そこに何の利益も存在しないからだ。結果的に今の日本の内閣の中枢の人物たちはキチガイで構成されていると私は認識している。「どうせ、実際戦争などやらない」という前提で今の戯言が語られるなら、そんな覚悟のない奴らに政治を任せてはいけないのだ。

そういえば、この映画の中でも「覚悟」という言葉がなんどもでてくる。それは日本人が戦争をして学んだことだったかもしれない。だが、それを持ってしまったために多くの犠牲者が出たことも事実であり、しょせんそれは人を幸福にはできない気もするのであるが・・・・。人間とは本当に面倒くさい動物である。

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人間魚雷出撃す
1956年 日活
監督:古川卓巳 主演:石原裕次郎、葉山良二、長門裕之、森雅之

今年も今日から、終戦の日くらいまで戦争映画を続ける。戦後の戦争映画は、戦争を二度と起こさない反省のためにあったと私は考えている。しかし、昨今、日本では私とあまり変わらない年齢のみなさんが、抑止力などという綺麗事を言いながら、他国の戦争におせっかいする「集団的自衛権」なるものを閣議決定だなどと勝手なことをするキチガイの論理がまかりとおりとんでもないことになっている。まさに首相自ら憲法違反を平気でやって、それを誰も取り締まれない現状を私はけして認めない。そしてやはり、同じような戦争を知らない年齢の方々が過去の戦争の負の遺産を日本の言いように解釈し「見てきたことをいうような状況」はけして良くないとも思っている。そんな輩が書いた小説の映画化が大ヒットする日本の状況はもう理解不能に近い。そして、そんな国に愛国心を持てというのもおかしなものである。そんな中でも、死刑になろうが、懲役三百年になろうが、私は戦争は反対だということを半月くらいまた語っていこうと思う。とはいえ、今すぐにでもおバカな日本の内閣をなんとかしてほしいのですがね・・・。

まずは、石原裕次郎のでている戦争映画三本から。この映画は裕次郎の初期の作品というより、日活製作再開後の作品群の一本と考えたほうが良いだろう。石原は映画の中で目立っているが、あくまでも主演は潜水艦の艦長である森雅之のようだ。終戦間近の太平洋上で人間魚雷に乗る4人の青年たちをめぐる突撃の話だが、すべてが特攻に成功するように映画は出来ている。これは事実でもデフォルメしすぎだろう。そういう意味では、反戦的なものを感じさせながらもエンターテインメントに軸をおいているのは日活らしいというところか?潜水艦のセット、洋上の風景など、特撮も含めメカニックはよく描けている。ただ、回天に関しても説明があまりにも少なく、こちらにその無謀な兵器の現実が見えてこないのは残念なところである。

昭和二十年七月初旬。人間魚雷回天を乗せた潜水艦が出撃しようとしていた。4人の回天の要員(石原、葉山、長門、杉幸彦)は故郷を訪ね出撃を報告する。長門は病気の弟(津川雅彦)の分も国のために働きたいと思う。石原は親族を空襲で亡くした恋人(芦川いづみ)を思っての出撃だった。レイテ海域で油送船にでくわし、回天の出番が来る。葉山と杉は出撃、無事に役目をはたす。だが、石原の艇は電信が壊れていて出撃できなかった。また、機会がなかった長門は早く役目を果たしたいとあせる。次に敵を捉えた時には、魚雷船になり、回天の出番なしに大型艦を沈める。その船は広島、長崎に原爆を運んだ後のインディアナポリスだった。そんなことも知らずに次なる大船団に会い、潜水艦は入水し、危機一髪の中、石原と長門は回天でつっこむことを志願する。ふたりは見事に役目を果たした。森は若者がちった海をむなしく見ていた。

映画は、東京裁判で森が最後の航海について質問されているところから始まる。ここで通訳をやっているのは当たり前のように岡田真澄である。ここで、自分たちが撃沈させたインディアナポリスが原爆を運んでいたという事実が語られる。もし、行きにその船を撃沈していたらという「タラレバ」が語られる。この史実は意外に知られていない。まあ、今のネトウヨの皆さんが喜びそうな話ではあるが、だからこそあまり語られないのだろう。

この映画では、その史実が語られると同時に、戦闘員の心理が描かれるがあまり危機感は感じない。特攻隊を描いた「雲ながるる果てに」などにくらべればあまりにもそのへんは淡白だ。これは演じてるのが裕次郎だからというわけではない。彼らの訓練課程や、回天に選ばれた部分などがないからだろう。そして、彼らは納得できないことを無理に納得させられたあとの話という感じだからだろう。

そして、石原は機械の不良で出撃できないが、それを誰も責めるわけでもない。戦争の不条理みたいなものはなるべく描かないようにしてる感じもする。古川監督は、自分でも兵隊経験があるひとだからこそ、ただリアルに状況を描こうと思ったのかもしれない(古川監督は今年97歳でまだご存命である)

だからこそ、潜水艦のメカニックやそれを捉えるカメラはなかなか緻密で秀逸だ。潜水艦の過酷な環境はいまいち描ききれていない気もするが、今、このような映画は撮れないことはよくわかる感じである。

結果的に、今見ると、一番目立っているのは裕次郎の演技だったりもする。戦争映画としての出来はよくはない。そして、先のも書いたように回天がどういう欠陥艇だったかも語られていないのでそのあたりはものたりなかったりもするが、戦争経験者が撮った映画として貴重な一本ではあるだろう。

裕次郎はこの映画をとったあと、戦争映画にはでたくないという旨の談話を読んだことがあるが、スタジオで実際に戦争の時代に時間が戻ったような体験だったのかもしれない・・・。

とにかく、勝つために特攻を選んだ日本の狂気はあまりはっきりとした反省がないまま時を過ぎてきた気もする。この事実はけして美談にすべきものではない。そのあたりの扱い方を今の政治家たちは分かっていない気がする。韓国や中国がなにをいうかではなく、日本国民が反省を明確にしないまま、戦争をする側に回ってはいけないのだ。

今年は毎日唱えていく「政府の勝手な判断で戦争をするとか参加するとか無責任なことをいう現実を私はけして許しません。抑止力などというおとぎ話を信じるほど私はバカではない。そして、自分で戦場に行く気もない人が戦争を語ることを醜く思う次第です。日本人はもう一度、平和というものを真剣に考えるべきでしょう。そうすれば、答えは簡単な気がします。」


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悪女軍団
1981年 にっかつ
監督:小沼勝 主演:風祭ゆき、八並映子、泉じゅん、中尾彬、広井純、伊藤京子

今回の風祭ゆき特集、最後はこの作品。勝目梓原作、鈴木則文脚本というエロス大作(いつも3本立てのロマンポルノが90分作品2本立てになり、いつもと違った女優さんが出ているものをこう呼んだのだ)の一本。ということで、大映の末期に活躍した?八並映子の客演による一作。まあ、これだけの肩書きがあり、にっかつからは風祭と泉じゅんが出演、三姉妹の復讐劇と聞いて当時はかなり期待してみた気がする。そして三人の体を張ったアクションはなかなか魅せる。そして、鈴木則文の東映的な雰囲気もいいのだが、絡みのシーンがアクションのスピード感を停止させてしまう感じがもったいない。なかなか、ポルノとアクションというのをひとつにすることが難しいのを感じさせる。

立川で古いヤクザの親分が殺される。その妻(八並)と二人の義理の娘(風祭と泉)はその復讐をするために情報屋(中尾)を使いまずは実行犯を殺しにかかる。そして、親分が殺された理由は立川の基地の払い下げで
緑地化をめざす親分に対し、利権をむさぼろうとする社長(宇南山宏)と不動産屋(吉原正皓)そして代議士(高木均)の三人の共犯だった。中尾の忠告も聞かずにその高みに復讐をしかける三人。宇南山を色仕掛けで仕留めようとする八並。三人とともに親分の復讐をしようとする広井の協力もあり、宇南山を消すことができる。次の標的は高木で、彼をゆするために娘(伊藤)を誘拐する風祭。だが、そのころ、八並が吉原の手に拉致されてしまう。そして、救いに行った彼女たちだったが、銃撃戦の末、吉原は仕留めるが広井が殺されてしまう。最後は高木だった。伊藤を餌に一億円の金を警視庁の前で取引することに成功したかにみえたが、取引終了後、伊藤がそれをもって警視庁に飛び込んでしまう。結果、おとしもの扱いにされる一億円。高木を脅す材料がなくなったところに中尾から最後の手紙が届く。それは高木とニューハーフとの情事を写した写真だった。それは、立川の街にばらまかれ、無事に復讐は完結した。そのころ、中尾は海に浮いていた。

舞台は、基地返還後の立川だが、まだ基地の土地はそのままの風景で、立川の街も今とは全く違った昭和の情景が残る。昭和記念公園などができる再開発前のこの画はかなり貴重なものである。そして、その雰囲気がこの映画のテーストとしてはうまく使われているが、ドラマはそれにすこし負けている感じ。

復讐劇は中尾の情報のままに女たちが身体をはって次々に完結していく。三人のアクションはそれなりに形になっているし、なかなか画にもなる。公開当時、いまさら八並映子の裸など見たくないと思ったが、まああまり見所ではない。やはり、風祭や泉のような、当時の活きのいい女優には負けてしまうのだ。

風祭はここで、喘ぎの演技だけでなく、アクションも無難にこなせることがわかる。女優という職業が似あった女である。彼女はロマンポルノに出ることで演技の幅を広げていった女優であり、だからこそ、いまだ現役でいられるのだろう。

三人が誘拐する娘役の伊藤京子はなんでも鑑定団の司会を勤める人の愛人として後に有名になった人である。ロマンポルノはこれがデビューで4本程出演しているが、アイドルにはなりきれなかった感じの印象がある。彼女、2000年に自殺を図って今は鬼籍にはいっているので、もう、それを語る人もいないというところだ。芸能人のそういう話はすぐにうつろう感じなのが日本の芸能界である。だから、自殺などなんの意味もないのだ。

その伊藤が最後に親から奪った一億円を届け、それが大貫さんの一億円と比較されるのも時代のネタである。

連続復讐劇はそれなりに一時間半をあきさせずに見させるが、あまりその復讐に観客がシンクロしていかないのが、この映画がいまひとつおもしろくない理由だろう。とはいえ、三人の女たちが、下着に水着に裸にとなかなか汗をかいている映画である。ラスト、楽しそうに立川の街を闊歩する姿の図は、往年のプレイガール的で私は結構好きである。

ということで、風祭ゆきの80年~81年の6本の主演作を見てきた。当時もそそられる女優だったが、30年以上たった今見てもいい女であるのは、それが私の思春期の記憶だからだろうか?そして、彼女が今はいない女優のタイプであることもあるのだろう。ちょっと大人の感じの20代の女優は今は皆無ですよね・・・。(最近のアラフォーがこのくらいのテーストなのかな?)風祭ゆき、また近いうちに残りの主演作を見ていきたいと思っています。

しかし、たまにロマンポルノを続けてみると涙が出てきそうになる私です。

悪女軍団 (講談社文庫)/勝目 梓
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