日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために -25ページ目

日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために

日本映画をひとりの男が見続けます。映画はタイムマシンです。そういう観点も含め多様な映画を解説していきます。範疇は作られた日本映画全てです。

あゝ声なき友
1672年 松竹(製作:松竹、渥美清プロ)
監督:今井正 主演:渥美清、財津一郎、小川真由美、北村和夫、長山藍子

原作は「兵隊やくざ」でも有名な有馬頼義の「遺書配達人」。その題名のとおり、戦争で生き残った渥美清が預かっていた戦友の遺書を配達して歩く話である。企画も渥美のものであり、その力の入りようは演技からよくわかる。戦争が終わり8年間でその悲しみが風化していくことに対して戦争の意味を探る感じの映画である。そして、そこには完全なる反戦の声も聞こえる。そう、戦後10年もたたずに日本人は朝鮮戦争もあって自衛隊ができ、また愚かな道を歩き始めたように感じた人も多いのだろう。ましてや戦後69年、他国の戦争に参加しようなどというキチガイが政治をやっていたりするわけである。この映画に描かれる戦争の悲劇を見たら、そんな政治を行うなどありえないのだが・・・。

渥美は戦地で病気になり内地に送り返されることになる。その際、部隊のものたちが彼に遺書を託した。そして、すぐに部隊の全滅を知る。そして終戦。彼はもってた遺書を渡して歩こうとみなの家を探し出す。そんな中、買い出しの列車で担ぎ屋をやっていた小川と知り合い、身体の関係を持つ。彼女は夜は身体を売っていて渥美には惚れてしまっていた。だが、渥美の持っている遺書の中に自分あてのものを見つけてしまい姿を消すのだった。渥美は食うために進駐軍の残飯でシチューを作って売って歩いた。相棒は財津で渥美の板前の腕をみて一緒に店を開こうというが、渥美は遺書を渡す旅を始めることにする。残された父親や母親、恋人たちに手紙を渡していくうちにさまざまな思いが巡る渥美。九州から北海道、東北とめぐるが、妻が発狂していて渡すこともできないこともある。渡す弟が死刑になっていたりもした。東北の米沢では渡す相手はみつからないが、マッサージをたのんだ相手(市原悦子)がその本人だと知る由もなくすれ違ったりもする。東京に戻るとアパートに手紙が入っていた。小川が危篤だという。彼女は手紙の封を切る勇気がないといったまま息絶える。財津に店をやらないかと声をかけられるも、輪島に。渡す戦友の妻(長山)にあえるが、一緒にいる男(江原真二郎)に見覚えがあった。昔の上官だった。長山は夫は昭和17年に死んだと言う。江原が長山の写真を見て惚れて死んだことにして長山を奪ったのだった。渥美は許せずに江原をなぐる。そんな出来事に遺書配達をやめようかと思い財津に仕事の世話をしてもらうことにする。だが、その宴席であった芸者(香山美子)の話に彼女の恋人の遺書を持っていることに気づく。香山にそれを渡すが、香山はそんなもの持ってこられても困るとさめた反応をするのだった。そして、また遺書を配達する。その先は見つかるがそこから差し出した本人(北村)が現れる。驚く、渥美。一緒に酒を酌み交わし、北村は、戦争など過去のことだという。そして渥美の配達の話を無駄だというのだった。それを聴き、渥美は自分が遺書を配達していた意味を知る。それは「怒り」だったんだと。

今井作品だが、渥美清の映画としてできあがっている。ある意味、「寅さん」よりも意志の強い渥美清がいて、彼の演技が反戦を強く感じさせる一篇になっている。戦争は、さまざまなものを壊し、人間をも狂わせ、百害あって一利なしということを強く感じさせる映画だ。

配達する者たちのそれぞれのエピソードは時間も短く、それほど濃いものではないが、それが連続的に語られることにより、なにかせつなくなっていく。その導入部にある、小川真由美との関わりはかなり印象的であり、戦争やその時代などの環境には関係なく、男女が惹かれあうさまをなかなかうまく描いている。ここでの渥美は寅さん的でもある。そう、寅さんは、女たちが関わりやすい楽さからもてるのである。

そんな優しさをみせたところで、遺書の配達に出る渥美。しかし、地方でもそれをありがたく受け取る人々は皆無に近い。戦争が、さまざまな暮らしを破壊しているのだ。そう、戦争という事象が幸せとか不幸とか言う前に家族を壊していくことがよくわかる。そこに何も言えない渥美がいる。

それを繰り返すうちに観客が渥美の心中にシンクロしていく感じはなかなかよくできた反戦映画といっていいだろう。いまでこそそう思うのだから、公開当時は、もっとそう感じた人がいたのかもしれない。公開されたのは1972年。ちょうど沖縄が返還された年である。

ラストの方に、戦争などすっかり忘れた香山と、忘れてしまおうとふっきる北村がでてくるのもなかなかうまい構成である。渥美の静かな怒りの高揚をみせる演出はなかなか決まっている。

結果的には、遺書を配ることで怒りの本質を知るという悲劇なのかもしれないが、簡単に「戦争しよう」などというご時世にはこたえる映画である。戦争は人を幸せにするものではない。日本人はそれを知っているからこそ、それを叫び続ける義務がある。地球上からそういう不幸がなくなるために・・・。自分から戦争する行為は「ひとでなし」の行為だということがよく理解できる映画である。静かで熱い一篇といっていいだろう。

こういう映画を鑑賞できる機会が少ないのも、日本の政治がとんでもない方向に行こうとする原因であろう。「寅さん」はよくやっているが、是非、こういう渥美清の映画も繰り返し見る機会を作って欲しいものである。

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戦争と平和
1947年 東宝
監督:亀井文夫、山本薩夫 主演:池部良、伊豆肇、岸旗江、菅井一郎

戦後2年目に作られた、戦争が生んだ男女の悲劇を描いた一篇。まだまだ国会の周囲やあちこちが焼け野原のままで、復興が思うように行っていない感がある日本の状況がよくわかる。そして、戦争などというものが、人に対してなんらよい効果のないことも理解できる。この映画も、それを知っている人間たちが作っているからこそ重みがあるのだろう。古いフィルムで編集もあまりうまくいっていないようなつなぎが多いが、そこに秘めた魂みたいなものはかなり強く感じる一本である。

伊豆は妻(岸)とお腹の中の赤ちゃんを置いて戦場に来た。そして、輸送船にいたときに爆撃で放り出される。岸のもとには戦死の報が届くが、伊豆は中国人に助けられていた。悲しみに暮れる岸のもとに怪我をして内地に帰された伊豆の友人の男(池部)が現れる。池部は以前から岸を愛していた。そして、悲しい目にあっている岸と子供を見て求婚する。初めは乗り気でなかった岸も池部に同意するが、戦時中でもあり、それが周囲にはあまり良く思われなかった。そんな中、空襲が続き、池部は気が狂ってしまう。そして終戦。気が狂った池部を抱えながら岸が子供となんとか暮らしていると、そこに伊豆が現れる。岸は逃げる。伊豆は追いかけて全てを知る。そして自分の子が気が狂っていても池部になついていることも。戦争のせいだと思いながら伊豆は街をさまよう。そして、元上官(菅井)にあい、「戦争で自分のように金がはいるものもいる」というようなことを聴きうんざりする。街の浮浪児たちの姿を見て、もとの教師に戻ることにする。そして、ある日、岸の家に行くと、おちついていた池部の様子がおかしくなり、興奮が冷めたあと池部は正気に戻るのだった。伊豆は身をひいて全てがうまく行くかと思ったが、池部が仕事がなく岸と伊豆のことも疑い始める。そして、岸のお腹の中にいる命も「自分の子か?」と疑うのだった。そして、池部はやくざと付き合い拳銃を持って危ない仕事をしようとしていた。それを知った岸がとめるところに伊豆が来る。伊豆に銃弾を放つ池部だったが、話し合いの中、池部はやりなおすことを誓うのだった。そして数ヶ月、新しい命が生まれた。

戦争で自分が思わないような運命に見舞われる男女の話は、最後は、新しい命が生まれるシーンでエンドマークとなる。この時期に生まれた赤ちゃんはすべてが未来への希望だったのだろう。そんな思いがかなり強く感じられるラストである。

ここに描かれるように、戦場で死んだことになった男の話はかなりの数あったのだろう。そして、大量破壊兵器のある昨今では、もっとこんな悲劇が起こる気がする。戦争など、戦場に行く人間にとっては、なにひとつよいことはないのだ

ここにでてくる三人の男女の誰にも非はない。しかし、戦争という時代は心細さは今以上なわけで、そう考えれば、彼らのとった行動を誰も責めることはできないだろう。だから、伊豆も帰ってきてそれほど彼らを責めることはしないわけである。伊豆をそういう人間にしたことでこの映画は成り立っているのかもしれないが・・。

池部は彼としてはかなりの汚れ役である。気が狂っているときのメイクは吸血鬼のような感じでなかなか怖い。そして、やくざになればそういう風体になれるのは、彼の役者としての懐の深さを感じる。

岸旗江はこの映画でニューフェイスのクレジットがある。期待されたということなのだろうが、女優さんとしては地味である。とはいっても、最初からこのくらいの芝居ができるのは今とは環境が違うのだろう。

演出は、彼らの悲喜交々の表情のアップが多く、それでドラマを構築している感じである。そして、全体に統一感がないのは監督が二人で撮ったせいもあるのだろう。

そんな中。最初の輸送船の爆破の特撮はよくできているし、まだ戦後二年しかたっていない東京の焼け野原はリアルそのものなので、それだけで見る者を圧倒してしまったりもする。

戦時中に焼かれないように家を壊すシーンがあるが、これは、新しい家をたてるために壊す家なのか?本当の家を壊しているようだ。周囲にも壊した跡があるから、再開発なのだろうと思われる。

遠くに国会議事堂が見える画がある。ほかの映画でも何回か見た画ではあるが、その周囲が焼け野原であり、ここから東京は復興したのだと思わせる画である。是非、多くの今の人に一度は見て欲しい画だ。写真と違い、映画で見るとその空気感までよくわかる。

そして、こんな時代にも、利権をもって金を集めキャバレーを開くような男が出てくる。菅井一郎はこの役にピタリとはまっている。そう、いつの時代にも安倍晋三のような脳天気な者がいて、そういう輩が世の中をめちゃくちゃにしてしまうという事実は仕方ないのかもしれないと思ったりもした。

この映画のテーマは戦争はなにひとつ庶民に幸福を与えないということなのだろう。そう、人間の体も心もだめにするのが戦争である。だから、徴兵制で若者がしっかりするみたいな論理は完全に間違っている。兵隊がいたら、戦争するのである。

この映画の題名「戦争と平和」は少し仰々しすぎる感じもするが、当時の社会の中でこの映画を見て、平和のありがたさを強く感じた人も多いのだろうと思われる。最後に「平和憲法」をもって未来に歩む的なナレーションが入る。当時、この憲法に意義を唱える庶民は少なかったのだろう。そんな空気感も読み取れる一篇だ。



男たちの大和 YAMATO
2005年 東映(製作:角川春樹事務所、テレビ朝日、東映ビデオ、朝日放送、他)
監督:佐藤純弥 主演:反町隆史、中村獅童、鈴木京香、仲代達矢、松山ケンイチ

角川春樹製作のよくできたエンターテインメントである。そして、近年作られた戦争映画の中でも出色の傑作と呼んでも良いと思う。CGを使った画面は、その戦場の血なまぐささを明確に再現しているし、戦場に駆り出された人間、そして残されたもの。また、戦争で死んだもの生き残った者。さまざまな対比を2時間半の中に濃厚につめこんである。監督、脚本ともに佐藤純弥であるが、ベテラン監督が70歳を過ぎて傑作を編み出した稀有な例でもある。辺見じゅんの原作の良さもてつだっているのだろうが、何度見ても味わいのある一本である。

九州の漁村。そこに戦艦大和の沈んだ場所まで船をだしてくれという女(鈴木)がくる。その危険な海域にだれも船を出そうとはしないが、仲代は彼女の名前を聴き船を出すことにする。それは、仲代が大和に乗っていた時の上官の娘だった。仲代(当時を松山が演じる)は15歳の時、日本が戦争で劣勢に甘んじていた時に、大和に乗船したときのことを思い出す。その時にまず目に付いたのが鈴木の父(中村)や炊事班の反町だった。叱咤激励、優しくもしてくれた。松山には母(白石加代子)とおさななじみ(蒼井優)がいた。呉に近かったので外出日には帰れた。しかし、戦火は大和を出撃させる。レイテ決戦で大きな痛手を負い、中村は目をやられて病院にいく。そして、20年3月大和の特攻作戦が決定。最後の上陸が許される。思い思いに家族や恋人に別れを告げる。松山の母は空襲でなくなっていて、自分が殺したと嘆く蒼井がいた。中村は病院を抜け出し、大和に忍び込む。そして、大和は最後の出航をする。アメリカに悟られぬように航路をとるがすぐに見つけられ予想以上の攻撃を受ける。船の上の地獄絵を前に松山は海に飛び出す。そこで友人も沈んでいく。かえって、友人の母に挨拶に行くも、相手にしてもらえない。蒼井は広島の原爆にやられ死んでいった。そして、生き残り、仲代は自分が生きてきた意味をよくわからずに今にいたのだ。大和沈没の場所につき、鈴木は散骨し「今まで生かさせていただきありがとうございました」と父に代わり、海に敬礼する。それをみて、仲代は自分が生き残った意味をわかったような気がした。

あらすじを文章にしてしまうとあまり感動的ではないが、現在と過去を結ぶ接点をもたせることによって、大和が戦争で沈んだことが、目の前のことのように感じるのは、脚本の妙であろう。そういう点で、最近の戦争映画としては出色なのだ。そして、いわゆる艦長や上部の人間たちではなく、最下級の兵士たちに目をやっている部分もわかりやすいのだろう。政治的なものではなく、青春映画としてそれを描いた感覚はひどく胸を打つ。

上官役は反町隆史、中村獅童。2005年当時は彼らもかなり売れ線の男優だったので違和感が無いが、今考えると、なぜにこの配役と思う人もいるだろう。だが、この映画、このくらいの俳優だからいいという気もする。俳優に重きを置くのではなく、大和とその時代の環境に重きをおくような結果になったからだ。

そう、大和艦内の結束のようなものは、日本海軍のみえない絆みたいなものなのだろう。それは、国というものからの強制ではあるが、ひとつの目標に向かう勢いという中での絆である。ある意味、それは今の日本が全く失いかけたものであり、昨今の内閣はそれを再度強制しようとしているのかもしれない。結果的にはアナクロであるが・・・。

そう、仲間という意識が戦火の中で大きな力となる。圧倒的に精神論有利の中で敗戦していった模様がよくわかる映画である。そして、CGを用いた、戦闘シーンは圧巻だ。佐藤純弥がこれほどまでにCGを使いこなしてまとめるとは当時も思ったことだが、やはりなかなかやる時はやる監督である。

戦争が終わり、松山が友人の母に疎まれるシーンがある。そして、死にそうになった蒼井を見舞うシーン。この二つでこの映画は傑作になった感じがする。戦場と内地の家族の思いの空気の差が松山にのしかかってくるような数分なのだが、いままでの戦争映画が描かなかったところにもみえたからだ。

そして、現実に散骨に来る鈴木京香と生き残りの仲代の視線で映画が観客に見られる感じもとてもここちよい。最後に一緒に乗っていた15歳の少年(池松壮亮)が舵を取って船が動き出す。そう、この前に進む感じのラストもここちよい。(最近はなかなか良い演技をする池松だが、この当時はまだまだかわいい感じである。9年は男を大きく変えるとも感じた)柔らかな気分で戦争映画を見終わり、最後に流れるのが長渕剛なのは、わたし的には少ししっくりこないが、反戦映画としてよくできた映画である。

若い方で未見の方はこの機会に是非、みていただきたい。

戦争の現実は地獄絵である。そして、殺し合いなのだ。それをどういう形であれ肯定するものは私は認めない。
国家のためとか言い出した瞬間にうさんくさくもなるし、それを言う人間に覚悟も見えず、国民と国家の乖離は昭和の時代以上に広がっている。政治の手段としての戦争など考えるだけでおぞましいと、私は思うのだ。

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