日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために -23ページ目

日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために

日本映画をひとりの男が見続けます。映画はタイムマシンです。そういう観点も含め多様な映画を解説していきます。範疇は作られた日本映画全てです。

人間の條件 第1.2部
1959年 松竹
監督:小林正樹 主演:仲代達矢、新珠三千代、山村聡、安部徹、石浜朗

今年の夏の戦争映画特集の締めはこの映画。反戦映画として、いまだ日本映画の代表作といっていい。全6部9時間31分は日本映画の最長でもあり、昔の丸の内ピカデリーでオールナイト興業が多々行われていたことを今も覚えている。それだけ、多くの人が見ている作品であり、戦争の悲惨さを体現できるフィルムである。ある意味、今の首相が最も見たくない映画でもあろう。というか、「五味川純平が書いたことなどすべて嘘」くらいなことはいいそうなやつである。ここには、戦争体現者しかしらない日本軍の姿があり、日本がなぜに負けたかもよく理解できる。それは、今、高度成長期に一世風靡した企業が負け戦になっているのにもシンクロする。真実をいうものは葬られ、精神論で自分の利権を守るやつだけが甘い汁を吸う世界。よくわからんが、日本人はいまだ日本人でしかないのかもしれない。

昭和十八年。満鉄調査部に務める仲代は恋人の新珠との結婚を躊躇していた。明日にも徴兵されるかもしれないからだ。だが、彼が書いた調査書が目にとまり、徴兵免除で彼は満州の現地鉱山の労働管理をすることになる。そして新珠も妻として一緒に行くことになった。着くと、中国人たちは過酷な労働下にあった。そんな彼と仕事をする山村だけが彼を理解する。そして、2割増産の命令が下る。それにあわせて捕虜を工人として連れてくると憲兵(安部)がいってくる。だが、捕虜なので隔離し逃げないように電流の通った鉄線を張り巡らせとのこと。捕虜の乗った列車がつく。彼らは飢え食料を求めた。貨車の中で死んでいるものもいた。労働者として使うには時間がかかると仲代がいうと、所長(三島雅夫)は無駄飯は食わせられないという。そして、仲代は工人への慰安婦の斡旋もやらされる。三島は女をあてがえば工人は働くというのだった。慰安所の女のまとめ役の淡島千景は仲代のいうことを聴く。いやがった有馬稲子は工人と恋に落ちる。そんな中、仲代の下で働いていた中国人(石浜)が食料を盗んだのをみつかる。母親が病気なのだ。それを知った淡島が石浜に声をかける。そして身体と金の代わりに工人を脱走させる手助けを頼むのだった。後ろで手をひいていたのは朝鮮人の男(山茶花究)と日本人の三井弘二だった。鉄線の電流を中国人の友人に止めさせ。その間に脱走が行われた。最初はないことにしたが、二度目はそうはいかなかった。仲代の工人を守る状況にも限界が及ぶ。そして、三度目の脱走を石浜に指示するが、うまくいかず、工人は鉄線の電流に朽ちる。そして、石浜も自らそこに身を投げるのだった。状況は中国人たちには悪くなる一方だが、中国人の主(宮口精二)は戦争はもうすぐ終わるとなんとか我慢していた。そんな中、仕事中に脱走しようとしたといいがかりをつける監督(小沢栄太郎)がいて、そこにいた7人は死刑になること。仲代は身をもって止めた。そこには有馬の恋人もいた。彼が殺されたあと、なんとか処刑は中止に追い込むが、仲代は結果、拷問を受けることになる。そして、ただひとりの理解者の山村もここからいなくなることに。数日して、仲代は釈放されるが、同時に召集令状が彼のもとに渡されるのであった。

今日は、8月15日。69回目の終戦記念日である。首相は、しらじらしく、平和の状況は変えてはいけないなどといったらしいが、この男は、実際は靖国にいけないことでストレスが溜まっていることと思われる。そして、彼にとってはこの五味川純平の原作などは、ただのフィクションだくらいにいうのだろう。

原作者、五味川純平は自分の中国の経験をもとにこれを書いている。その筆の向こうには怒りと虚しさというものが多分にあったと思われる。そう、ここにでてくる仲代達矢演じる主人公、梶は五味川の分身と言っていいのだと思われる。そして、戦争という場では、人間が殺し合いを行う場では、弱肉強食の中、ここにあるような捕虜への侮蔑は当たり前のようにあったのだと思う。南京大虐殺はあってもなくても、日本人は中国人と朝鮮人を侮蔑し、その上で鬼畜米英が行われたことは間違いないと私は思う。この基本線を認識せずに、大虐殺がなかったとか、慰安婦の強制連行はなかったといったところで話しても意味はないし、この事象はまだまだ先までしこりは残るということだ。日本人があやまっても、その精神構造は変わらないのだから・・・。確かに政治的な手段にされているのは、日本人の情けない部分ではあるのだが・・・・。やったことは認識すべきだ。(あやまれというのではない)

この第一部、第二部では、家畜のように使われる中国人を、仲代がなんとか普通に働かせてやりたいという意識下で奮闘する物語である。仲代に味方するのは一緒の部署にいる山村と妻の新珠だけである。他の日本人は彼をよく思わず、中国人は使いたいように使うという考えだ。つまり、ワタミ信者の中に、何も知らずに入っていく、か弱い新入社員的なものである。日本のブラック労働の基本はこのあたりの日本軍のおぞましさにもあると思われる。

最初に捕虜の中国人が運ばれてきて、飢えた彼らが食料にありつくところを、仲代が「食うと死ぬぞ」というところは、何度見てもすさまじいモブシーンである。ここで、この映画の姿勢は明確になる。戦時下の労働は死をいとわない精神論的なもので、効率はすこぶる悪いということだ。

そして、ワルを演じる、安部徹や小沢栄太郎のMAXいやらしいところがこの映画を完全な反戦映画へと導いている。実際は所長役の三島雅夫のように、自分では手をくださずに、「自分はダメだと思った」というような発言をする奴が最も醜いのだが・・・。(このあたりが、今の安倍であったり、石破であったりするのだ)日本は戦後69年たっても醜いやつを排除できないでいるということだ。

ある意味、ドラマそのものよりも、場面場面の壮絶さがまさり、自分が戦場の中で怒ることになる。そう、監督の演出は観客に戦時下を体現させるために計算されたかのような凄みがある。

慰安婦の淡島や有馬。そして、工人の宮口など、皆、日本人が中国人を演じているのだが、中国人らしくみえてくるからすごい。そして、このロケ地の広さが観客に疲労を与えて、仲代が赤紙を受け取るところでは観客も虚脱感を得る映画である。そう、自民党全員、トイレ休憩なしで9時間超、缶詰にして見せてやりたいくらいの戦争擬似体験映画である。「人間の條件」とはよくつけられた題名だと思う・・・。とにかく、今年の夏の戦争映画の締めとして6部まで書いていくことにする。

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不沈艦撃沈
1944年 映画配給社(製作:松竹)
監督:マキノ正博 主演:小沢栄太郎、佐分利信、安部徹、水戸光子、東野英治郎

1944年3月公開の海軍省後援の国策映画である。東京大空襲の一年前という感じか。企画はマキノ監督が持ち込んだものだという。魚雷の部品を作っている工場が10倍の増産を言い渡され、それに結果を出すまでの話。結果としては、真珠湾の後のマレー沖海戦で敵軍艦をその部品を使った魚雷が沈めたということである。だからこの題名なのだが、日本の国策映画の悲しい点は何年たっても、真珠湾とマレー沖の結果ばかりをあおるところである。戦争の中では情報のベクトルはひとつに動く。国策映画はそういうことをわれわれに強く教えてくれるものである。

東北の工場に向かう機械部品メーカーの社長(東野)が娘(桑野通子)に心配されながら列車に乗っていた。工場につき東野が工場長(河村黎一)にいった言葉は魚雷の部品の10割増の発注が海軍からあったということだった。現場の佐分利は無理だというが、安部は品質をあげて夜業を増やせばいけると考える。佐分利は機械の古さも心配する。そんな中、GOがかかるが、工員のひとり(斎藤達雄)は夜業が増えるのは嫌だとリュウマチだと嘘をついてさぼったりする。なかなか10倍の増産には無理があった。そんな中、危ないと危惧していた機械が火を噴き工場が火事になり佐分利は病院に入院することに。安部も怪我をして増産がままならなくなる。海軍の小沢は工場は事故がおこるほど無理をしてるのに、海軍は同じだけ働いているかとさえいわれる。だが、そんな中、12月8日の真珠湾攻撃のニュースが入る。工員は雪の中、工場に集まった。そして、お国のためと10割増産達成を成功させるのだった。その工場に小沢が来て、「みなさんの作った部品のついた魚雷が敵戦艦を倒した」と報告する。斎藤をはじめ工員達は、更にがんばると小沢に誓うのだった。

戦争のために、裏方もめいっぱい頑張ろうというテーマのわかりやすい国策映画である。テーマ的には黒澤明の「一番美しく」に近いものがあるだろう。無理に働く話だが、今あるようなブラックな話ではない。斎藤達雄が夜業ばかりで手当はもらえるが、使う時間がないと言っていたりするかと思えば、若い工員が良い背広を買って、兄に農家を手伝えといわれるのだから、結構、お金はもらえたのだろう。

とはいえ、海軍の中では、ガソリンがどんどんなくなるという話をしている。結果的には金と仕事はあっても、燃料や食料がなくなってく戦争だったのだ。そういう意味ではリスクをわかっていながらどうにかなるだろうというところだったのだろう。

ラストは実写の戦闘シーンが入り、小沢の長い演説で工場が一致団結で終わる。まあ、国策映画というのはポルノで裸をだしておけば他はどうでもいいみたいなもので、国の宣伝さえしっかりすれば、結構遊びは許されたようだ。

この映画では、河村黎一と斎藤達雄のやり取りが漫才のようでおもしろい。斎藤が酒を飲んでさぼっていると河村が一緒に飲んで気分が悪くなる。あれはメチルじゃないかと騒ぎ出し、あとで女将の飯田蝶子が怒ってくるというような茶番劇がさらりと入っているのはマキノの職人芸だろう。流れの中でそこが浮いていないのは感心する。

この時期の作品にしたら、戦後の名優たちの若い姿が見所かも知れない。佐分利は渋さよりも若さが目に付く。安部もここでは二枚目の模範社員で水戸光子に惚れられたりしている。だが、東野英治郎はこのころから黄門様みたいである。この時36歳。今の36歳でこんな老け役をこなせる人はいないと思う。特殊メイクでもないし・・・。こういう役者はもう出ないだろう。

映画の最初に「一億の誠で包め兵の家」という標語が出る。まあ、その通りの映画である。こういう映画が作られる日本にしたいのが今の首相なのだろうが、まあ、愚か者である。今の日本が戦時下になれば、労働環境はさらにブラックになるし、こんなに一致団結はしないだろう。政治家の夢と現実の違いがあまりにも差がある現状を考えると、まずはやることは戦争ではない。

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隣組の合唱
1940年 東宝
監督:近藤勝彦 主演:徳川夢声、英百合子、清川虹子、沢村貞子

これは戦争映画ではない。戦争の銃後を守るために国が進めた隣組制度の宣伝映画的なものだ。有名な「とん、とん、とんからりんと隣組♪」というあの歌は、この年の春からNHKで国民歌謡として流されたというから、それにあわせて作られたものなのだろう。あまり映画に戦時色はないが、みんなで一致団結という宣伝の臭が戦争がバックグラウンドにあることを感じさせる。映画が終わることには、耳につくこの歌の作詞は岡本一平である。岡本太郎のお父さんですね。

徳川は電車の運転手で25年勤続して無事故でもうすぐ退官するところだった。彼は隣組の代表もしていた。そしてその界隈には立ち退いて新しいアパートを作る話があった。だが、反対のものが多く決まらない。徳川の娘(英)は徳川の将棋相手の息子とつきあっていた。徳川はなんとかしたいと思っていた。また息子は音楽家になる夢を見ていたが徳川はよく思っていなかった。そして、会社で彼の見合いの話を算段していたりする。忙しい中、徳川の運転最後の日が来る。だが、その朝、立ち退きの話で徳川が金をずるしているという噂が立つ。そして、それに反対していた将棋仲間の友人が立ち退き料をくれないかといってくる。徳川は心が乱される。そして踏切で事故を起こしてしまうのだ。徳川の退官記念を盛大にやろうとした隣組と会社の空気は重くなる。怪我した男の家と示談をしようとするが妻(沢村)がヒスでどうにもならない。だが、みなはこんな時こそ隣組だと金を集めるのだった。そして数時間。示談が成立。金は息子がバイオリンを売ってこさえたものだった。徳川には無事永年勤続の表彰状が渡され、監督として新しい仕事ももらえることになった。みなは、大きな声で隣組の歌を歌うのだった。

映画の初めに子供たちに隣組の説明がある。隣近所が家族のようになることにより、それをまとめて強い国になるというような説明がある。まあ、間違ってはいない論理だが、これは、国にさからわずに戦えということなのだろう。そうやって、鬼畜米英を明確にするべく時代は動くのだ。まだ、徳川の息子がクラシックにうつつをぬかしているのは時代がそれほど切羽詰ってもいないことを示すが、徐々に国民はひとつに洗脳されていくのだ。隣組とは戦争の準備そのものだったのだ。

映画の中で紙芝居屋が出てくる。内容は兵士の出征の話である。黄金バットとかそういうような話ではないのだ。時代は子供たちをそういう空気にさらさせる方向なのがよくわかる。隣組のうたの脳天気なリズムは子供たちにはすぐになじんだだろう。そう、子供から大人までを洗脳するCMソングとしてはこの歌は傑作である。

撮られた撮影所は京都なので、舞台はその周辺だろう。田園をいわゆる市電のような一両の電車が走っている光景はのどかである。ある意味、それほど戦争に実感もなかった場所だろう。そこにあったようなのどかな話である。しかし、清川虹子や沢村貞子などが出ているのだが、この人たちは若い時から芝居のテーストが固まっていたことがわかる。ある意味、そのくらい特徴的な存在感なのはすごい。

主演、徳川夢声はこの時46歳である。それで定年の役なのだから、かなり老け役である。ただ、当時は40過ぎたらじいさんだったのだろうからあまり違和感がなかったのかもしれない。

ラジオしかなかった時代、地元の情報は新聞よりも回覧板や隣組からのクチコミが大きかったのだろう。それを統制しようとした国のやり方はなかなかしたたかであったはず。そして、それが戦争に向けて効果もあったのだろうことがこの映画で少しわかる。回覧板などはこのときできて、今もまだ息づいているところが多いのは驚く。このデジタル時代にいつまで生き残るのだろうか・・・・。

映画としては、それほど語る部分はないが、隣近所の付き合いが少ない都会に住む私には、少しうらやましいぶぶんもあったりもした。そんなところに軸足をもってみれば、戦前の暮らしも悪くないと思ったりもする一作だ。

今、道徳を正式教科科目にするなどという、馬鹿げた論議をしているが、これはひとつの洗脳をしかける方策だろう。正義などという個々で違って良いものを教えるなどは馬鹿げている。犯罪がおきないようにというが、そんなことで犯罪が減るなら苦労しないのだ。戦争などけしてやらないという誓いがあってこそ、平和もやってこないことを私たちは今一度確認すべきである。