日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために -16ページ目

日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために

日本映画をひとりの男が見続けます。映画はタイムマシンです。そういう観点も含め多様な映画を解説していきます。範疇は作られた日本映画全てです。

トルソ
2010年 トランスフォーマー(製作:いちまるよん、トランスフォーマー)
監督:山崎裕 主演:渡辺真起子、安藤サクラ、蒼井そら、山口美也子

是枝裕和監督作品の撮影監督をやっていた山崎裕氏の初監督作品。彼のドキュメンタリー的な、時に遠目に、時に近づきすぎるような、有機的なカメラワークは嫌いではない。ただ、カメラマン出身の監督はときに過度な演出がないことが仇になり、作品を有機的にできないものであり、それがものたりなさにもつながったりもする。ここでは、女という性の素の部分を男目線で、あくまでに自然に捉えて、生きにくい現代でもがくふたりの女性を現代の写し絵のようにしたかったんだと思うが、やはり過度な演出はない。そして、男として理解できる女というものは描かれていると思うし、そういう意味で、気づかされる部分もあった。だが、女性からみたらどうかというと、また違った触感なのだろう。まあ、男と女、越えられない部分が理解できればそれはそれで良いのだろうが・・・。私的には、やはり、物足りなさはあった。

渡辺はアパレル会社に勤める、男もいないOL。周囲の女性たちが合コンなどに誘うがあまり積極的ではない。家に帰り、トルソとよばれる男性の胴体のゴム人形を愛玩として自慰などに耽る。彼女には種違いの妹(安藤)がいた。ある日、彼女が訪ねてくる。父親が死に葬式にも来なかったことを母親(山口)がおこっているということを言いに来るが、渡辺には生活を乱されるだけだった。渡辺はひとり海にいき、トルソと戯れたりして気分を晴らす。そして、安藤は渡辺の部屋に酔っ払ってくる。彼女は男とわかれてきたという。その男は渡辺の昔の男だ。そして、安藤は妊娠していた。そんなことで、ふたりは言い争いはするが、ときに話し相手にもなった。安藤は渡辺の隠していたトルソを見つけ、彼女がまだ女であることを感じる。ふたりは故郷の母を訪ねる。山口は渡辺に厳しく当たる。先に帰った渡辺は自慰をしたり、バーで行きずりの男に抱かれようとするが、男がこれからというところで寝てしまい至らない。そんなストレスの中、安藤は子供を故郷で産んでやり直すという。渡辺は昔の男のところをたずねると、そこには安藤の仕事の関係の女(蒼井)がいた。安藤を笑顔で送り出し、家に戻り、トルソを切り裂く渡辺だった。

結局は、ふたりの女のストレスフルな日常の数日をのぞき見るような映画である。そういう意味で、男目線なのである。女の野生を見るような感じだ。だから、女性の前での着替えのシーンなど、色っぽくもない裸が結構出てくる。そして、主役の渡辺の裸体はスレンダーでその個体からは女性的なものはあまり感じない。だからこそ、トルソという道具で彼女が自慰行為にいたるシーンは艶かしく、女を感じさせる。トルソは監督がそれをデフォルメさせる道具としては機能しているし、男目線で、こんな女はいっぱいいそうだと思わせる感じはなかなか秀逸な感じはする。

そして、妹の安藤とのやりとりは、お互いが相手を見透かしたような感じで、ある意味映像がかなり過激に見える。このあたりも映画として成立していて、私的には好きである。

だが、渡辺、安藤というキャストがわたしにはあまり何もそそるものがないので、そういう意味では面白みに欠ける。安藤などは、最近、よくでてくるが、特に見たいと思う女優さんではないし、こういう芝居も特に見たいものではない。将来的にはいいわるばあさんみたいな役をやるようになるのかね・・・。

監督は、撮りたい画を50%は撮っているだろうとは思う。ただ、私が残り50%足りない感じに見えるのは、やはり、映画という作品として見終わったあとの後味が薄いことである。テーマ的には日常の近場にある女の切り取りという感じなのだろうが、だからどうしたの?という感じにしかみえないとことは弱い。やはり、演出のエグサが足りない感じなのだ。

このあたりは、今の薄っぺらのエンターテインメントと同じに、クリエイターのレイヤーの積み重ねの数が少なすぎる感じというところか・・・。それは、今の映画に感じる総合的な問題点である。映画作りのイメージングが弱すぎる。

まあ、久しぶりに臭気を感じさせる映画ではあったが、臭さが足りないという感じなのだろうか・・・。

そう、渡辺の母親が山口というのは、あまりにもぴったりすぎて驚きました。この二人で母娘映画作っても面白いかなと思いました。

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中学生円山
2013年 東映(製作:ポニーキャニオン、フジテレビ、ジェイドリーム、大人計画、他)
監督:宮藤官九郎 主演:平岡拓真、草彅剛、遠藤賢司、刈谷友衣子、仲村トオル

宮藤官九郎、脚本、監督の映画である。まあ、いつもの通りほめられたものではないが、結構まとまりは良い作品である。ちょうど、昨年、朝ドラ「あまちゃん」が放映されていた頃に封切られた作品。その割にはヒットはしなかったようだ。まあ、下品なだけの映画だものな・・・。私は「あまちゃん」については好きである。たぶん、宮藤のドラマの構築の仕方が15分の連続ドラマにあっていたということだと思う。そして、さすがにNHKで中身のないものは作れなかった感じもするし、はじめて彼を褒めたりもしたわけだ。この作品は、その前に撮ったのだろうが、何が嬉しくてこんなエロ本みたいな映画を作らねばいけないのか?ロマンポルノなら問題はないのだが・・・。

円山は自慰に目覚めたばかりの中学生。団地に住んでいて、両親(仲村と坂井真紀)と妹と一緒に住んでいる。彼は日々、自分の口で自分のチンコを咥えることを夢見て柔軟体操に励み、学校ではレスリング部に入っている。そんな中、過度な柔軟が彼の脳髄に響き妄想をしてしまう円山。ヌーブラだけの女たちの中で裸踊りをしたり、同級生(刈谷)と裸でプールに入ったり・・・。そんな彼のアパートの上に草彅が越してくる。彼はシングルファザーで、団地のゴミの仕分けや防犯にうるさかった。そんな中、近くで殺人事件がおこる。丸山の妄想は、草彅を「子連れ狼」に似た犯人に仕立てもりあがる。そんな中、その妄想を書いたノートを草彅に見られる。草彅はおもしろがり、円山と親しくなる。円山は咥えようとしていることも草彅に話す。時に高揚し、精神が不安定な草彅。そんな中で、母が韓流スターに似た電気屋に恋したり、刈谷にあっさり振られたり、妹が近くの徘徊老人(遠藤)の恋人になったり、団地の中は不条理が続く。そんなある日、刑事(岩松了)に草彅が元刑事で近くの殺人は彼がやったらしいと聞かされる。妻を犯罪で亡くし、社会の悪をさばく子連れ狼になってしまったらしいのだ。円山はそんな中、レスリングの練習中に咥えることに成功する。それを草彅に報告しようとしたとき、やくざに追われる草彅が追い詰められ、警察もやってくるが、ベビーカーにしくまれた武器で攻撃してくる草彅。そこに円山も仮面をかぶり参戦するが、最後は草彅の子供がもっていた銃を発砲。草彅は死んでいく。円山のなにかボヤっとした日常が続くのだった。

このあらすじを読んで、観たくなる人は多いかも知れない。確かにここに書かなかったものも含め、コネタの連続技はそれなりにおもしろいが、それを許すか許さないかである。ある意味、昔の「ゲバゲバ90分」のようなリズム感であり、それを劇場で見せるという感覚はわたしにはよく理解はできない。

まあ、男の子にとって円山のモヤモヤ感はわかる人が多いだろうし、妄想で恋人の刈谷と下着でプールで戯れる感じは、相米慎二「台風クラブ」にもにた触感はある。ただ、触感だけである。そこから、テーマ性みたいなものはみえてこないし、あまり褒められるところはない。そこが宮藤らしいところでもあるのだろう。

坂井が韓流スターくずれの電気屋に恋し、気を引くようなところはおもしろかったし、遠藤賢司を徘徊老人としながらも、しっかりミュージシャンとして存在感をもたせるように使われたところは、なかなか良かったと思う。

団地がシュ-ルな舞台として壊されていく。そのきっかけ的な不気味な男に草彅は適役である。はっきりいって、彼はこういう役がぴったりである。私が彼を嫌いなのは、格好悪いのに良い人をやるからである。こういうイカレタ役なら、彼には好感が持てる気もした。

まあ、さまざまに書いたところで、所詮、「チンコを口で咥えるまで」というのが、この映画の実態の題名だと思う。そういう無意味なのが中学生である。そう、そんな中に受験などというものが全く出てこないのは好感が持てる。そして、こういう映画が少子化対策になるのならば、作っても問題はないだろう・・・・。なるわけないが・・・。

しかし、宮藤官九郎なら何作ってもいいみたいな映画界なら、未来は見えないですな・・。

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遠くでずっとそばにいる
2013年 ソニーPCL(製作:イヤタカ、ジョイフィルム、パイプライン、ドワンゴ、他)
監督:長澤雅彦 主演:倉科カナ、中野裕太、伽奈、清水くるみ、六角精児

10年分の記憶を亡くした27歳の主人公が、自分に何があったのかを知るまでの話。特に設定以外はおもしろみのない話である。こういう映画を企画として通すのは、まあ原作がそれなりに気になったからだろう。だが、映画にするとおもしろいかどうかは別の話である。映画の限られた時間の中で、伏線を上手くはりながら、サスペンスチックに描き、かつ、いわゆる青春映画として成立させるには、それなりに脚本をねらなければいけないし、観客がどう受け取るかを考えて映画を構築する必要があるだろう。あたりまえのことだが、そういう部分がどうもしっかりできていない映画が最近、多いのだ。これも、そういう意味でプロの仕事にはなっていない感じである。音楽を岩井俊二が担当とかなっているが、これも、特に褒める部分もないし、映画人が生きるための映画なら、ちょっと残念すぎる感じである。

倉科は病院で目覚める。自分は17歳だと認識していたが、実際は27歳で10年間の記憶を交通事故で亡くしていた。母親(岡田奈々)の顔は覚えていて、彼女から義父がいることや、連れ子の耳が悪い妹(清水)がいることを教えてもらう。高校生の同級生(中野と伽奈)が彼女を訪ねてきて話し相手になる。そして、クラス会に連れて行ったりするが、彼女はひとり17歳だった。中野は彼女を好きなようなのだが、態度がはっきりしない。伽奈は性同一性障害で彼女もなにかを隠しているようだった。彼女は事故でベッドにいる加害者を訪ねるが、話ができず何も掴めない。事故現場はみはらしがよく事故を起こすような場所ではなかった。元いた会社を訪ねるも手がかりはつかめず。見覚えのない鍵、半分だけの自分の絵、などをたどるうちに、自分は二回事故に遭っていることを知る。鍵は元の恋人の部屋のものだった。そして、彼は最初の事故で死んでいたのだ。そして、その加害者(六角)を訪ねると、そこにいたのは病院で会った男だった。彼は、「また死のうとしないかと思ってきた」というのだった。彼女の記憶は戻らなかったが、恋人と自動車事故に遭い、恋人は死に、何度も自殺をはかったが死にきれず、自分は車が来るのに自ら飛び込んだことがわかる。そして、また絵を描こうと思う倉科だった。

結論が無理にまとめられた感じで、どうも観客に理解しきれない。そして、彼女は元の恋人とのやりとりは思い出していないわけで、それでまた人生やり直そうというのも、勝手な話の気もするし、彼女を好きだと思われる、中野や伽奈も最後は放ったらかしであり、どうも何がいいたいのかよくわからない映画である。

男女の好き嫌いを描きたいのか?その事故の原因にあった恋愛が描きたいのか?彼女の記憶を取り戻す推理劇を描きたいのか?結果、どれも描けていないわけで、こういう映画がなぜできるのかというのがわたしにはもっともミステリアスでもある。

倉科カナという人は可愛い人だとは思う。だが、それだけである。いつどこでみても、可愛いという女が周囲の男たちを振り回したという感じで、また今も振り回しているとしか思えないこの話、どこに感動しろというのだろうか・・・?全編、倉科は17歳の演技である。たまに27歳がでてくればおもしろいのだが、役者としてはそんな複雑なことは出来る人ではなかったようだ。

北川悦吏子のつまらない映画をプロデュースしたりしている岩井がここでも、つまらない映画の音楽をやっているとういうのは生活のためなのだろうか?もう、岩井ブランドも古臭い感じなのかもしれないが、あなたは監督やってナンボでしょう・・という感じである。

見ていて、まあ気にはなったのは、耳の悪い妹役の清水くるみくらいだが、彼女が倉科の自殺の際にくちびるを見て何を言っていたかを知っていたという最後のキーワードを背負っているのに、この使い方が下手すぎる。で、よく見たら、この脚本、原作者が書いてるんですね。まあ、映画的な破綻を期待するほうがバカでした・・・。

誰でもどこでも映画を作れる時代ではあるので、いいのですが、劇場でそれなりにお金をとるものなら、しっかりと制作者が責任をもっていいものにして欲しいと思うわけです。

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