日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために -13ページ目

日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために

日本映画をひとりの男が見続けます。映画はタイムマシンです。そういう観点も含め多様な映画を解説していきます。範疇は作られた日本映画全てです。

風の女王
1938年 松竹
監督:佐々木康 主演:三宅邦子、高杉早苗、森川まさみ、佐野周二、笠智衆

戦前のオフィス恋愛もの。不倫アリ、嫉妬アリ、足の引っ張り合いアリと、今のテレビドラマとあまり変わらないような題材。それなのに、冒頭でスキー場がでてきたり、途中でアイススケート場がでてきたりするのは、企業タイアップなのか?そんなことを考えながらも、この映画でのもっとも見所は黒い笠智衆。恋人を出世させ、出世させたその彼女と結婚して玉の輿に乗ろうと考える悪い男の役を、あの御前様の台詞まわして演じきり、最後は失脚するというもの。それだけで、見る価値はある映画である。

スキー場に遊びに来たタイピストの同僚(三宅と森川)は会社の男の話をしている。高杉は三宅に笠と一緒に食事をしようと誘う。なりゆきで返事をして東京に戻る。すると、約束の日、森川は都合が悪いといい、しかたなく笠と二人で銀座で食事する三宅。そこで、上司の佐野が女癖が悪いという話をしたあと、結婚してくれという笠。三宅は少し心が動くが、その夜、佐野から電話があり話をしたいという。笠の話から警戒した三宅は妹(高杉)をつれていく。そこで、佐野は三宅に仕事でフランス行きをすすめる。妹はいい話だというが、三宅は佐野が信じられず返事をしなかった。それを笠に話すと、「すぐにでも結婚しよう」という話をしてくる。そこに森川が現れる。そんな中、高杉は佐野を訪ね、三宅のことを話すが、実際は佐野を好きになったのだ。笠は森川と愛人関係に有り、森川をフランスにやり、出世させて玉の輿になろうと算段していた。そのために三宅を誘いフランス行きをあきらめさせようとしていたのだ。なかなかうまくいかない中、佐野と高杉が一緒にいるのを見て、佐野が高杉を妾にしていると会社中に噂させる。それがきっかけで高杉は家出し、佐野が話を聞くことになる。そして、三宅に好きだと告白する佐野。だが、病気の妻を持つ佐野はそれ以上は三宅に強要はしなかった。そんな中、まじめにピアノを習うと佐野に約束した高杉がいなくなる。山の温泉宿に佐野が訪ねていくと、部屋はひとつしかなかった。次の日、。三宅が着いたとき、佐野は高杉と関係を持ってしまったと告白する。そして、佐野は命をたち、笠と森川はクビになる。そして、三宅はフランスに旅立つのだった。

今、見ると、三文芝居である。でも、戦前のこういうドラマが少なかったときはこれでも十分に楽しめたのだろう。しかし、この頃の現代劇は「家出」というのがひとつのドラマを動かす原動力なのだろうと思ったりした。情報が取りにくい世界では、いなくなるというのが、一番のドラマの導線なのである。とはいえ、当時としてはめずらしい電話がでてくるのは、この時代のOLがかなりハイソサエティにあったことを感じさせる。

会社は化粧品会社だからだろうか、トイレで化粧直し、よもやま話をしている姿はいまとあまりかわりない。そう、こういう女の文化はこの当時、もうできていたようだ。妹役の高杉のファッションなどは、モガと呼ばれるような颯爽としたもので、こういう映画が東京のモードを宣伝していたのだろう。

だからこそ、そこにでてくる、スキーのバカンスやスケートのような娯楽も一般人がやったというよりは流行のさきがけとして描かれているように見える。そんな中に、当時の銀座の風景はよく似合う。まだ、綺麗な日劇。その前に確かに数寄屋橋がかかっているのがわかる。都電が都会のスピード感をかもしだすのも当時の空気感なのだろう。昭和13年の東京がある意味、堪能できる。そこにはまだ、戦争の痛みは感じられない。そう、戦争の前は意外にノー天気なのだろう。そう考えると、今が戦前の雰囲気といってもなんら不思議ではない。

ここにでてくる女たちはみな、自分の主張をはっきりする。途中で高杉が石坂洋次郎の「若い人」を読んでいるシーンがあるが、そういうものが流行った時期であり、(この映画の前年に出版されて映画にもされている)女たちが主張し始めた時代だったのかもしれない。

それにひきかえ、男たちは欲望に勝てない、自己のアイデンテティもあまり強調しない軟弱モノである。笠智衆は、先にも書いたように、プレイボーイ気取りの女たらしで、出世欲があるが、ずる賢いほうが先に立ち失脚する男。一時代前なら羽賀研二がやるような役だ。それを御前様のセリフまわしでやるのだから、結構笑える。しかし、当時、松竹は笠に何を望んでいたのだろうか?これでも、二枚目でいけると思ったのか?謎の配役である。

佐野も、一見紳士だが、最後は高杉を食ってしまうという狼に変わる。それも、どうかと思う。そして、それで死んでしまうのも弱すぎる。つまり、化粧品会社の男たちはクズだということなのだろうか?いや、男たちはみな、このような紋切り方にみえたのかもしれない・・。

そんな事件に巻き込まれた三宅が最後に颯爽とした格好でフランスに船で旅立つのもどうも、いまひとつ納得がいかない話である。

ラスト、桟橋でテープがわざとらしく巻き付いた高杉がたちつくすシーンで終わり。昭和13年の映画と思うから興味深くは見られるが、なかなか、不思議な映画である。しかし、タイトルの「風の女王」とは誰の事なのか??それから、この映画の脚本は戦後小津映画に欠かせない野田高梧であります。

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荒城の月
1937年 松竹
監督:佐々木啓祐 主演:佐野周二、佐分利信、高杉早苗、高峰三枝子

滝廉太郎を描いた最初の映画である。ただ、史実はあまり関係なく、「荒城の月」が彼の遺作のような作りで物語が語られる。当時は、情報もあまりなく、こういうことは当然だったのだろう。とはいえ、映画はちょっと嫉妬話をまじえながら、あまり盛り上がらない展開である。松竹はこの映画の作られる前年に蒲田から大船に撮影所を移転した時期。だが、そういう気負いは感じられない。ただ、はっきりアフレコとわかるトーキーの音の具合は時代を感じる。

佐野は病気で故郷に帰ってきた。迎えに来た友人の佐分利とともに馬車から売られた生家を見る虚しさを味わう。佐分利には妹(高杉)がいて、一緒にしようと考えていた。佐野は療養も兼ねながら、自分に作曲を託された土井晩翠の詞「荒城の月」のイメージを故郷の城跡に見ていた。その城跡でひとりの少年(葉山正雄)にであう。彼が学校に行っていないのを佐野はいけないといった。そして、彼が金がなくて鉛筆も変えないことを知り、葉山に金を与える。そして、数日後、葉山は佐野に鉛筆と残りの金を返しに来る。姉(高峰)が「そんなことしてもらってはいけない」といったというのだ。佐野は高峰を訪ね、父親が病気で食べるのにやっとの彼女を励ますのだった。そんな中、高杉との結婚について、自分の病気が治らないと返事ができないという佐野。高杉も待つことにする。しかし、ある日、高杉は佐野と高峰があっているところを見てしまい落胆する。誤解はすぐとけるが、佐野の作曲だけにかける意思は強かった。そして、城跡で葉山と会話するうちに曲がでてくる。ピアノはないかと葉山に言うと、葉山は佐野の生家に案内する。躊躇する佐野だったが、そこで作曲を始めるが、そこの今の娘(水戸光子)が帰ってきて追い返されるのだった。佐野は東京に帰ることにする。そして、すぐ荒城の月の作曲を終えると病床に朽ちるのだった。

滝廉太郎は名曲を残し23歳でなくなっている。佐野周二はこのとき25歳だから、ちょうどいい配役だとは言える。ただ、今の25歳にくらべるとかなり大人なのは確かで、そこに合わせて滝のことを考えてもいいのかとは思う。ただ、ドラマは病気で故郷に帰ってきた滝が結婚話で悩むも、「荒城の月」のヒントを得て東京に帰り、そしてすぐなくなるという物語であまりそれをドラマチックにも描いていない。

実際の史実としては、滝は東京生まれだし、子供の頃に育った大分県でこの曲のヒントを得たというのが本当のところであるが、富山県の富山城もイメージにあるらしい。(作詞の土井晩翠は仙台の青葉城をはじめとした東北の城跡をモチーフとして詞を書いたようだ)。そして、この曲はこの映画にあるような滝の遺作ではないし、彼の死の直前の療養とシンクロしている曲ではないらしい。

まあ、情報の少ない当時の伝記映画はほぼフィクションであり、責めることでもないが、今、これをみて滝廉太郎の史実とされると困ることになるのでしっかりそのあたりは勉強してみないといけないというやっかいな映画にはなっている。

とはいえ、描かれているのは観客の涙を誘うような、子供とのふれあいだったり、貧乏な美人を励ましたりと、一般的なミーハーな観客をどう泣かせようかというものである。このあたりが、松竹大船調の源流の一端でもあるのはよくわかる。

高杉早苗、高峰三枝子、水戸光子と当時の主役級の女優が三人でているが、どれも似たようなタイプである。当時の美女のタイプというのだと思う。約80年前の美人のイメージがここにあるのかなとふと思ったりもした。というか、当時、あまり丸顔は好まれなかったのだろうか?

主役の佐野周二と友人役の佐分利信は若いが、ちゃらちゃらしていないのが今とは全く違うところである。今の20代にこの落ち着きはないだろう。その遥か昔に亡くなった滝廉太郎の23歳というのは、今の40半ばくらいの感覚なのかもしれない。このあたりの年齢感覚というのは、私にはわかりえない謎でもある。

映画的には、病床に苦しむ佐野を映し、バックに荒城の月が流れるという安易なラストで終わる。はっきりいって、この映画から「荒城の月」を連想するというのはかなり無理のある一篇だ。

見所は、先に書いたように、俳優たちの若い時の姿を楽しむといったところである。

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大番 完結篇
1958年 東宝
監督:千葉泰樹 主演:加東大介、淡島千景、仲代達矢、山村聡、原節子

シリーズ完結篇。1942年から一気に1949年に話は飛ぶ。戦後の証券取引再開からの話である。その間加東は、どうしていたのか気にはあるが、女とつまらぬ商売で稼いでいたというところだろう。そう考えると描いても仕方ないのかもしれない。という仕切り直しもあるのか、この作品だけシネマスコープである。ほかの巨匠ならシリーズの作品の最後だけサイズを変えるなど嫌がる気がするが、そこは千葉監督だからだろう。あくまでも、観客優先の映画といったところ。そして、その広くなった画面で戦後の特需もあり、大儲けし、株式の環境が変わり翻弄される加東を描いていく。

昭和24年、株式再開。兜町の片隅で加東は小さな店を立ち上げていた。傍らでは仲代が喫茶店を開いていた。そこにチャップリンさん(東野)が訪ねてくる。彼は引退して田舎に引っ込むというのだった。残念がる加東にパルプを買えといって去る東野だった。加東は言うとおりにし、淡島にパルプ会社の社長(山村)を紹介してもらう。パルプ株は一気に伸び、山村から次はガラスだと教わる。会社も立派になり、仲代も会社に戻る。そして、山村に言われゴルフをはじめ、その立ち話からもヒントを得た加東は朝鮮戦争の特需もあり一気に14億を稼ぐのだった。そんな中、原が金で困っているのを知り、屋敷を売られぬようにしてやる。仲代は加東と淡島を一緒にしようとするが、そんなことに耳は貸さずに女道楽がまた始まる。秘書にした団令子を熱海に誘うが、ここは団の方が上手で、淡島をよんで加東をうまいように使う。そして、バーにいりびたり、女たちをゴルフクラブに連れて行き騒ぐと、クラブ除名になってしまうのだった。宴会では女の博覧会。品のなさが前面に出るのを仲代はあきれる。株が暴落し、仲代は会社のやりかたを変えるように進言するがうまくいかず。そのころ、原が見合いをするというのを聴いて、加東は彼女と結婚しようと考えるが、原が喀血、そのまま死んでしまう。そして、なにもかもやる気をなくし酒も飲まない加東を見守る淡島だった。しばらくして、加東は東野が行き倒れで死んだ新聞記事を見る。東野と、自分の半生を振り返り、自分には株しかないと思い立つ。そして、会社にで、ひさしぶりに場立ちをすると、取引所に乗り込む加東がいた。

最後は、相場師としてやり直すギューちゃんが場立ちしているシーンで終わる。まあ、続くかどうかはわからないが、適材適所に戻ったという感じなのだろう。だが、この4作、8時間弱を見終わっても、この主人公にほとんどの人が思い入れはできないだろう。ある意味、品のないお上りさんの金持ちの典型的な描き方だからだ。たぶん、原作者もヒーローものとして彼を主人公にしたのではない。あくまでも、人生の教訓なのだ。

そう考えれば、この主人公の悪いところはまねするなというのが、この映画の趣旨なのかもしれないが、それだと、映画というものは成り立たないことがよくわかる。やはり、観客が加東大介を好きにならねば意味がないだろう。その加東を献身的に支える淡島だが、彼女とて、目当ては彼の金という部分もある。そう考えると、このコミュニティに私は入りたくない感じなのである。まあ、私的にはいまだに株をやる方をあまり好きでないのとシンクロするのですがね・・・。

とはいえ、この完結篇は、一気に戦後の話なので株の動きはわかりやすい。実際、朝鮮戦争の特需がこういう金持ちを作ったりもしたのだろう。しかし、まだ1960年より前の映画だ。つまり、高度成長期の前で、証券会社のありかたを手数料で儲ける方向に変えなくてはいけないと仲代が加東に進言しているのは興味深い。つまり、株の動きなどでそうは安定した生活はできないということは、この時期にわかっていたのだ。だが、その後出来た年金をはじめとしたシステムはその恩恵を得ようとして出来ている。かなり、最初からまがい物だったような感じが私にはする。

そう、朝鮮戦争の特需が終わり、株が暴落し、国の再設計をするところで間違えたというのが、今の日本の不安定さを作った全ての根源なのではないか?今、オリンピック50年と騒いでいるが、オリンピックも麻薬でしかなかったというのが本当のところなのかもしれない。もう一度、戦後の復興の原理を考え直したくなった私である。

完結編ということで、過去の女がみんなでてくる。それに追加して秘書役の団令子が加わる。彼女はこの年のデビューだが、もうすっかり芝居はできあがっている。ただ、後のアンパンのような顔でなく、かなり細身に見えるのが意外だ。彼女、このままのスタイルだったらまた違う女優人生があったのかもしれない。しかし。株に興味があるという役処は、後のお姐ちゃんシリーズにつながるところではある。

最後のほうの、加東が原と結婚しようとするところや、ゴルフクラブを追い出されるあたりは、見るに堪えない人生の醜い図だが、最後に場立ちする加東はすごく絵にはなっている。男というもの、本職で頑張れれば格好いいというところではあるということだろう。

4部作の大河ドラマだが、二度見返したいものではないので、そのあたりは注意である。あくまでも、戦前から戦後の相場環境と相場師というものを知りたい方には、参考になるという感じの一篇である。