真昼の暗黒(1956) | 日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために

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真昼の暗黒

1956年 独立映画(製作:現代ぷろだくしょん)

監督:今井正 主演:草薙幸二郎、松山照夫、内藤武敏、左幸子、加藤嘉


1951年に起こった「八海事件」をモデルに作られた裁判映画である。この裁判の結審がついたのは1968年である。二審まで行ったところで、冤罪であると考えるものが多く、弁護士の原作を映画化した、本当の野心作である。そして、キネ旬ベストワンになるのをはじめとして、映画賞を総なめにするが、事実の裁判が、冤罪の被疑者を無罪とするには、ここから10年以上がかかったというわけである。映画に力はあっても、権力を動かすにはあまりにそれは小さい。空しい話だ。そして、昨年も冤罪事件がニュースになり、検察の不正も大きく報道された。そう、この映画が作られて半世紀以上たっても、同じ環境にあったという事である。まさに、いまだ「真昼の暗黒」にあるものが今もあるかもしれないのだ。


ある村で小金をためているという老夫婦が殺される。夫は斧で惨殺。妻はクビを絞められ自殺に仮想されてあった。そして、現場にあった指紋などから、松山が廓で捕まる。彼は、自分の酒をのんでやった過ちの金が作れずに、ひとりでやったと自白する。しかし、取り調べの警察は、「こんな大事をひとりでしくめるはずがない」といって、松山を拷問し、多数犯だろうと自白をさせようとする。拷問に耐えられず、友人4人と一緒にやったと自白する松山だった。そして、草薙をはじめとする4人が捕まる。家族も何がおこったかわからなかった。アリバイがはっきりしているのに捕まるとは何なのか。そして法廷は、一審で草薙が死刑でその他も極刑になる。草薙をよく知っていて捕まったときに一緒だった左は、弁護士(内藤)に深く頼む。「絶対やっていない」と。親族もやっていないのにあやまれだとか言われ、憤りが収まらなかった。そして、二審。松山の証言が何回も変わったことが問題になる。自分に火の粉が降りかからないように、証人もちゃんとした証言をしなかったので、事件の流れが明確にならない。内藤は最終弁論で、時間が合わず、松山が最後に忍術でも使わないと、多数犯の説は成り立たないと主張する。親族はそれを聞いて、無罪になると思った。しかし判決は一審のまま。面会室で草薙は「まだ最高裁があるんだ」と叫ぶのだった。


この映画は、はっきりと権力が不当に行使されていると主張している。弁護士の見解を受けて、監督、初めスタッフも裁判を批判したわけである。これは、すごい行為である。たぶん、警察権力に似たような過去を思った者が多かったこともあるだろう。この事件で起こっていることが、昔の憲兵のやったことと変わらないと思った者が多かったこともあるだろう。それでなければ、審判が下る前にこれを作るのはかなり危険である。(主張が偏っているのを含め)


行為が悪いというのではなく、映画というメディアの主張が強烈すぎるのである。この映画を見ると、真実をそこに見たような気になってしまうのだ。そして、映画は多くの人に見られ、モデルとなった裁判は長引く。結果、彼らを冤罪と見る者は増えただろうが、検察側の保身も強くなったはずである。そして、権力は何も変わらずに今も同じようなスタンスでいるのだ。


同じようなスタンスとは、検察が勝手にストーリーを作り、現場の証拠をしっかり観察せずに、被疑者を特定していることである。検察が小説家になってしまったらどうしようもないのだ。しかし、この映画でのストーリー作りの首謀者の加藤嘉は、実に憎たらしく好演している。拷問の仕方も、当時の警察ならここまではやったろうなと思わせる内容だ。松山に自白をさせ、してやったりという時の顔は見事である。実際の現場でこの血はまだ完全には消えていないと思われる(昨年の事件の漏れてくる話もこれと同じである)つまり、疑わしいものはみんな捕まえて罪をかぶせる論理だ。


そして、本当の単独犯役の松山の演技も絶品だ。自信がなく、証言を二転三転する役に、乗り移ったようなリアルささえ感じるのだ。役者が、この映画に魂を与えてしまい、本当の事件当事者たちは、かえって翻弄された部分が多々あったのではないか?それほど、完全に検察側がいい加減な集団に描かれている。


今井監督は、親族たちの動向も結構、細かく描いている。「あやまれ」といわれ道の途中で線香を捨ててしまう母役の夏川静江などは、見ていてとてもつらい。このようなシーンで観客も同じ立場にシンクロさせていく芸当は細かい。


そして、最終弁論で、内藤がいままでの経過を話していくと、再現映像が早回しになってでてくる。このくらい早く仕事をしないとこの事件は成り立たないという事なのだが、コミカルな処理は今井監督ならではなのかもしれない。同じ社会派とされる山本薩夫監督と大きく違うところは、このコメディタッチが撮れるところだと思う。そして、それが又、観客を見方につけていくのだ。


ラスト、その裁判官の審議の流れを何も見せぬままに、判決は下る。ここでの被疑者や親族の顔は、ただしらけた状態になる。そう、悲痛に泣きわめくとか、怒鳴るとかがないのだ。終わった後の待合室はお通夜の状態。今井監督は、あくまでもリアルにしようとするとともに、最後に草薙が檻に手をかけ「まだ最高裁があるんだ」という叫びをデフォルメしようとしている。その計算は当っている。


しっかり作られた映画だが、もう少し、検察側の視点があってもよかった気がする。そこが弱すぎるので、映画としてはかなり危険である。だが、司法とはどうあるべきかという論議をする上で、いまだに教科書をして、論議の動機を作るために使える映画である。そう、この世界は何も進歩していないという事がわかるのだ。


司法に興味があり、未見の若い方は、是非、見ていただきたい一遍ではある。


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