1963年 日活
監督:今村昌平 主演:左幸子、北村和夫、河津清三郎、吉村実子、北林谷栄
今村昌平が初めてキネ旬ベストテン1位に輝いた作品。 とはいえ、二位が「天国と地獄」だったりすると、何故?という感じもする。確かにオリジナル作品で過去にはないテーストというのはあるが、一般受けは難しい作品の気がする。評論家の流行り的なものもあったのだろう。そして、当時アクション映画で客が入っていた日活の映画館でこれが流されたわけで、客は面食らったろうなと思える部分も拭いきれない。それはそうと、この映画大正七年から昭和35年までを2時間に詰め込んだこの作品。今村監督が描いてきた性と人間というものの、一つの結実点なのだろう。体制のシステムからはずれた人間たちでも、性を背負いつつ生きている。そして、継承がなされる。 ある意味、哲学的な人間コメディともいえる。ねっちこく、さまざまなものを嗤いとばすような映像の積み重ねは力強く、今、これが撮れる環境も人もいないのは歴然である 。
左は母(佐々木すみ江)が父(北村和夫)と結婚して2ヶ月後にできた子供だ。そして、佐々木は男たちを誘っては抱かれて いた。そんな中、左は北村になついていた。戦争になり、左は工場で仕事に励んでいたが、出征する男(露口茂)に無理やり抱かれ、娘を生む。工場に戻り、そこで係長(長門裕之)と関係を持ち、戦後は彼と組合活動に熱を入れるが、捨てられ、娘を北村に預け上京する。松川事件など、世の中が騒然とする中、左は進駐軍のオンリー(春川ますみ)の家でメイドをやるが、彼女の否もあり、娘を殺してしまう。クビになり頼った先は新興宗教だった。そこで知り合った北林の家で働くが、そこは売春宿で彼女も客を取らされる。はじめはイヤだったが、その商売にどっぷりになりながら田舎に金を送る左。だが、北林がつかまり、左は自分でコールガールの元締めになる。そんな時、春川と再会し、金に困っていた彼女にも手伝わせる。男(河津)も彼女を上手いように使っていた。そんな折、北村が死に、娘(吉村)は男(平田大三郎)と開拓村に行くと言い出す。左は、以前北林が捕まったように刑務所に入れられる。河津の元に戻ると吉村が金を借りに来る。河津が出すというが、その代わりに吉村は彼に抱かれる。河津は吉村に惚れ平田の元に返さないように画策する。吉村は河津の元にいると言いながらも開拓村に帰ったら二度と帰ってこなかった。開拓村で働く吉村の腹の中には誰の子かわからない子供が宿っていた。左も東京を後にするのだった。
約50年弱の三代の淫蕩な女の物語というところか…。個性的な今村ファミリーの芝居が絡み合い映画自体は力を今も持ち続けている。ただ、方言がわかりにくかったり、最初の方は時間軸の流れも速いので人間関係を把握できないとわけがわからなくなる。(私は初見の時、前半がよくわからなかった)そういう意味では、今の若い方にオススメしても、「つまらない」といって、15分くらいで脱落するかたも多いだろう。
大正の後半から、高度成長期突入までの歴史的な背景が端々に映像に入ってくるが、これも説明がないため、近代史に疎いと、かなりわかりにくい。最後の方は、売春防止法との兼ね合いなどもあり、エンターテインメントとして見始めるとなかなかキツイ一作でもある。最後まで見て、何かが見える一作でもあるので、最初の方はガマンしろというところなのだが…
東京のその時の空気感はさすが今村という感じでよくでている。ロケは盗み撮りみたいなのが多いということもあるだろう。渋谷のうらぶれた駅舎が見えたりするのは貴重なシーンだし、なにより街の人々が素の感じに映っているのが、映画にもいい効果を与えていたりする。
女三代の淫蕩な血、そして本当の父親の顔が見えない娘という流れはこの映画のテーマそのものだろう。そんな体制から見れば大きなハンデがあっても、生きるために性を売る。そして、性の快楽の中で自己を慰めるという構図である。そのものが客観的に見れば昆虫にも見えるというのがこのタイトルだということは、最後まで見ると納得する。
一貫性のある今村演出が映画をまとめてはいるが、この映画を力強くしているのは、左幸子の演技である。左だからこそこの脚本を演じきり、今村の思う以上に主人公に入り込んだのではないか?とにかく、時代の中に翻弄されながらも、時代をうっちゃるような、ふてぶてしさを持つ一面。それでいて、新興宗教の罠の中からも抜け出せない一面。父親や娘を愛する一面。そのごちゃついた中で、仕事では狡猾に振る舞う一面。そんな、多面性を喜劇役者のように顔を変えながらしっかり演じきっている。
映 像という面では、今村がよく使うストップモーションだけが印象的な感じもするが、監督が一つの符号として繰り返すのは、男が女の乳房をしゃぶりつく感じである。北村が死ぬ時に左が乳房を出して吸わせるシーンに、それが生のエネルギーという意味を感じたりする。
そう、監督は、「男たちよ乳房をしゃぶれ、女たちよ乳房をしゃぶられよ」という感じなのかもしてない。男女の行為で、そこが重要であり、そこに人間の性の根本が存在するという哲学か?
今村の映画人生の中でこの映画から「神々の深き欲望」までが彼が最も脂ののった作品群を残した時期であると私は思う。今村らしさの確立期でもあり、今村の映画哲学を知る上で貴重な映画群なのである。
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