生きる(1952) | 日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために

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日本映画をひとりの男が見続けます。映画はタイムマシンです。そういう観点も含め多様な映画を解説していきます。範疇は作られた日本映画全てです。

生きる
1952年 東宝
監督:黒澤明 主演:志村喬、小田切みき、金子信雄、伊藤雄之助

黒澤明作品を一本。この映画もなんども見ているが、構図とカメラワークを気にしだすと本当に興味は絶えない。「ゴンドラの唄」が印象的に伝えられ、志村喬の熱演が光るが、今回はこの時の志村は何歳というのが気になった。現代の印象では、60~70歳というところだろうが、当時の実際の彼は47歳。役的にも30年間役所務めをしているというから、同じくらいの設定だろう。今なら、まだまだ働き盛りだが、当時はもう人生の終焉も近い感じだったのかもしれない。そういう部分では、今見るとしっくりいかない部分も多々でてきているのかもしれないなどとも思った。

志村は30年勤めた役所の課長だったが、毎日、書類にハンを押すだけの日々。それで特に問題はなかった真面目人間だったが、胃が悪く病院行く。そこで、軽い腫瘍と言われるが、医者の言葉から自分がガンであること、そして余命が半年か一年なのを知る。彼は落ち込み家に帰る。暗くしたままいると、帰ってきた息子(金子)夫婦が自分の退職金などをあてにしている話を聞く。次の日から志村は会社を休む。ひとり、自殺を考え酒場にいると作家の伊藤と知り合う。伊藤は志村の話を聴き、今夜は遊ぼうと、パチンコから始まり、バー、キャバレー、ストリップと彼の知らない世界に連れ出す。そこで、彼はいままでにない派手な帽子を買う。だが、心ははれなかった。役所では彼の休みが話題になる。志村は街で役所の部下の小田切にあう。彼女は役所をやめたいのでハンコをくれという。彼女を家に連れて行くと、金子がいて、不審に思われる。会社に行っていないことはばれていた。その夜、小田切とデートし、少し心が晴れる。そして、何日かあと、彼女の勤める工場に行く。小田切は嫌がるが1日だけとその日は付き合う。そこで小田切から工場の話、そして「課長さんも何か作れば?」といわれ、思いつく志村。次の日、役所に行き、以前、陳情のあった下水処理の苦情案件をすぐにやるんだと動き出すのだった。そして、5ヶ月後、彼は死んだ。彼の葬儀の席に新聞記者がくる。彼の指示でできた公園の話を聞きにきたのだが、上司(中村伸郎)は、自分が公園を作ったと言い張る。そして、陳情に来ていた近くの奥さん方も涙ながらに焼香に駆けつける。そんな中、部下たちは彼の行った行為がただものでなかったことを語り出すのだった。そんな中、彼の帽子を持って警官がやってくる。そして、昨晩、雪の中で彼が楽しそうにブランコに乗って「ゴンドラの唄」を歌っていたことを語る。部下たちは、志村のやった事を無駄にしないように自分たちもやろうというのだった。だが、しばらくして役所では、そんなことは忘れたように日常が過ぎていっていた。  

黒澤の現代劇は皮肉を直接的にいってしまうことで、わかりやすいが、おしつけがましくもある。だが、巨匠は、映画術でそんな部分は隠れるくらいに映画を魅せてしまう。そういう意味で完璧なところが、少しくすぐったい。それが私の黒澤に思うところだ。     

この映画は、志村がガンで悩み行動を起こすまでと、彼が死んでから葬儀の席で彼を語る部下たちの回想との二部構成になっている。ある意味、映画的に時空を割愛することにより、黒澤の主張が論じられるのだが、エンターテインメントと考えれば、普通に時系列で志村が死ぬまでを描いても十分に言いたいことは通じる気がするし、その方がわかりやすい気がするのだが、どうだろうか?今回も前半のスピード感が後半に失せていることが少し気になった。まあ、それをすると長すぎるのでこの形にしたとも言えるが?  

そういう意味では、映画的には断然、前半部が面白い。伊藤雄之助に連れて歩かされるシークエンスがまずは興味深い。ここで、道具となる帽子もでてくるし、脇で彼を見つめる丹阿彌谷津子や市村俊之などの表情も彼とは相反するように印象的に出てくるのは私の好きなところだ。そして、端々で鏡を使っているが、これは、舞台を広げている効果もあるが、意図的に自分を見つめる志村を表現している感じにも見える。けして、綺麗ではない東京の盛り場が実に格好良くも危うくも見える感じが素晴らしい。  

そして、もっともこの映画を象徴するクライマックスは、小田切との最後のデートで志村が目覚めるシーンである。バックに誕生日パーティ、前に幸せそうなカップル。そこに挟まれて志村は目覚める。とくに、バックのパーティはかなり緻密に演出がなされているので、何度見てても面白い。幸せな人々の中で不幸な志村が生まれ変わる構図はシチュエーションとしては紋切り方ではあるが、こんな演出を考える黒澤がかなりイカレテいるのが良くわかる。そして、志村は一気に目覚め、店の階段を駆け下りる。それと同時に「ハッピーバースデートゥー ユー」と盛大に歌われるこのシーン。私は、他でこのような絵をみたこともないし、今ではこの時間のかかる演出をする人もいないだろう。日本映画史で未来まで残りうるシーンである。  

ある意味、ここまでが、志村自身の話だと踏んで、そのあとはダメな部下にその志村を考察させるという形にしたとも思われる。それがいい悪いというよりは、この映画のこの形は、これでぴたっとはまっている。  

後半で好きな部分は、志村を脅かす宮口精二のヤクザとのにらみ合いである。人間は本質をわかりあえるとばかりのこの対峙のシーンは、なかなかの迫力である。しかし、ここの宮口は怖い。

ラストは、役所は役所だという絵で終わる。ひとり、そこに反感を持つ日守新一も、我に帰り、日常に戻る。このオチを見ると、この映画は役所批判から始まったものかもしれないと思われる。創作者としての黒澤が、ハンコ押す機械みたいな役所の人間を見て、「こいつら生きてるのか?」という疑問から映画は成立してる感もある。そうすると、実際の題名は「俺のように生きてみろ、役所のミイラどもよ」という感じなのかもしれない。  

舞台も含め、古典になりつつある映画だが、私には、内容よりも、構成、カメラワークなど、映画的な魅力の方が何回見ても気になる一本である。確実に日本映画史上、忘れてはならない一本ではあると思う。

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