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日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために

日本映画をひとりの男が見続けます。映画はタイムマシンです。そういう観点も含め多様な映画を解説していきます。範疇は作られた日本映画全てです。

キンキンのルンペン大将
1976年 東映
監督:石井輝男 主演:愛川欽也、坂口良子、星正人、田中邦衛、伴淳三郎

「トラック野郎」のヒットで愛川主演と言う企画が成立したのだろう。そして、二本立て興業という中でしか作り得ないような作品である。タイトル通りに全編貧乏臭く、結構、救いがない。まだ、ホームレスという言葉がなかった時代の話である。舞台は、上野、浅草周辺。今とはずいぶんと空気感が違う。愛川の映画としてあまり語るような作品ではないが、当時から彼の芝居はこうだったよなと懐かしさは感じる。そして、なぜか、この作品坂口良子の映画初出演作品でもあるらしい。

山形で何をやってもうまくいかない男(愛川)は妻(三島ゆり子)に、またまた職を失った日に追い出される。山形から東京でやり直すために上京するが、駅を降りるとスリにやられたらしく金を失う。その上、上野公園でルンペン(田中)に泥棒される。ルンペンの親分(伴)に残飯の漁り方を教わり仲間に加わることになる。そんなある日、やはり山形から上京した坂口に合う。坂口も住むところがない身なのを知って靴屋の住み込みの仕事をなんとかとる。そして、坂口もそこに住むことになるが、ボヤをおこしてしまい追い出される。坂口は消える。そして、伴が死んだと知らせが入り、田中から泥棒したお詫びにリヤカーをもらうが、それが暴走しゴミ収集の中につっこむ。それが縁でそこで働くが、またもうまくいかずにクビ。やっと遊園地の蝋人形の仕事を得る。そこに坂口が現れる。久々の再会を喜ぶ愛川だったが、坂口は以前、吾妻橋の辺であった星と結婚するというのだった。愛川はひとり夜の遊園地に取り残されるのだった。

この題名からして、昭和の香りがする。たぶん、当時見ても古臭い人情話であったと思う。さすがの天才、石井輝男も苦労している感はあるが、映画として成立させてしまっているのは凄い。  

話は結局のところ、愛川がひとりぼっちに戻ってエンドマーク。かなり救いがない。そして、この主人公、優しい以外はなのも取り柄がないという役。少しは得意技を与えてやればいいのにと思ったりする。だが、この役を演じられるのは愛川のみという感じもするし、やはり愛川あっての役どころなのだろう。  

愛川欽也は、やはり声優もできるだけあって声が特徴的である。芝居で見せるよりもセリフを聴かせる感じの芝居と言っていい。ということで説明的になりすぎるのだ。そのあたりが、この映画も辛い。そう、とにかく題名の通りの貧乏話。この当時は山形も田舎で、上野にはこんなルンペンまがいがいっぱいたということだろう。それは、映る町の空気感でもわかる。上野公園も、浅草吾妻橋の水上バス乗り場も昭和の汚さである。吾妻橋が青い。この姿も今は珍しい。  

そんな映画で坂口良子は映画初出演を果たす。時代としてはテレビでは「前略おふくろ様」に出ていた頃か。田舎娘がメタモルフォーゼした頃なのだが、芝居はつたない。銀幕に負ける感じの演技は当時としては辛かったと思われる。相手役が星正人という消えてしまった人だが、髪型は当時のはやりの長髪である。  

そんな映画の中の見所は、愛川の主演で駆けつけた出演者だろう。小林亜星や加藤治子、鰐淵晴子、毒蝮三太夫など、ワンシーンででている。和田アキ子やせんだみつおなどはテレビつながりだろう。リブヤングで一緒だった今野雄二などもでている。そういう当時の交友関係の広さというのが彼を作っていったのも確かで、そう見るとこの映画自体は貴重な記念写真みたいなものである。  

ラストの遊園地は西武園。ちょっと、地理的にはおかしく、花やしきでいいのではないかと思うが、まあ、大泉撮影所の都合なのだろうか?   映画としては、C級もいいところだが、愛川欽也の数少ない主演作であります。  




さよならモロッコ
1974年 東宝(製作:プロダクション LOVE)
監督:愛川欽也 主演:愛川欽也、クローディーヌ・バード、穂積隆信

愛川欽也氏が15日に亡くなった。ちょうど彼が若者向けの情報発信番組をやっていたころに中学生だった私は、彼から様々なものを教わっていた気もする。それは、大橋巨泉より大きかったような感じだ。ある意味、世代の話であり、テレビ、ラジオが若者たちを感化した時代の中での話だ。ということで、その時代の渦中で彼が自主制作した映画を書く。カトリーヌ・ドヌーブのファンだった彼の妄想を絵にしたような作品だが、映画としては結構アジがある。作品の評価としては主役のフランス人が綺麗に撮られていることが全てであろう。                        

愛川はCMディレクターで穂積と一緒にモロッコのマラケシュに着く。撮影が始まるがイメージがあわないと愛川は車でロケハンに出る。そこで、拳銃を耳に当てるフランス人(クローディーヌ)に出会う。金髪の彼女に一目惚れする。彼女がわすられずに撮影に臨むがうまくいかず、結果的に愛川は彼女を探し追いかける。そして、愛川の部屋に彼女が来て戸惑ったりもする。好きだが何もできない愛川。そんな彼女はパリに帰ると言い出す。その旅立ちを追うが会えず。悲しみに暮れるが、彼女は旅立っていなかった。そして、次の日、愛川が東京に帰る日であったが、愛川は穂積に頼んで残る。そして、そこにクローディーヌとともに暮らすことを考える。彼女も愛川を好きだったが、そこにパリを旅立ったきっかけになった男から手紙が届く。クローディーヌは愛川に東京に行くというが、愛川はクローディーヌをパリに旅立たせるのだった。  

最後のオチは「カサブランカ」にしたかったのだろう。当時、37歳の愛川が私財を投げ出して、疑似恋愛ドラマを撮ったということだ。はじめは公開することも考えていなかったらしいから、あくまでも自己満足映画といっていいだろう。そして、それができるくらい彼の元に金が集まった時代だったのだと思う。  

この制作のために一ヶ月仕事を休んだというし、全編モロッコロケ(一部、パリもでてくる)から、当時の金にしたらかなりの額になっているはずだ。とはいえ、でてくる俳優は穂積だけだし、俳優としてはフランス人に金を払えばよかったというところであろう。  

ということで、全編、脚本本位というよりは、アドリブでつないで行った感がある。だから、カメラの後ろを現地の子供たちが付いてくるようなシーンが多々あるが、そこにあるものを捉えるというドキュメントタッチの映像は、みていて自然で気持ち良い。当時のマラケシュを日本人がどうみたかという映像としても貴重なものだと思う。  

愛川の喜劇役者的な芝居に加え、金髪が美しいクローディーヌが観客を捉え、約一時間半弱をそれほど飽きずには見られる。茶色いマラケシュの街にクローディーヌの綺麗な長い金髪がよく映える。クローディーヌはけして肉感的ではない。全裸のシーンもあるが少年のようにスレンダーなフランス娘だ。当時の愛川趣味なのだろう。実際に愛川が恋してる感じは映像から分かる気がする。  

音楽も愛川が担当し、これも結構いい感じである。セリフはぜんぶアフレコらしい。クローディーヌの声は彼女自身なのだろうか?日本語の部分など聴くと違う気がする。  

ドラマ的には消火器のCMを撮りに来た男が恋に落ち、恋に敗れる話。CMディレクターという部分はどうでもいいようで、CMの撮影風景に関しては、ちょっとコントにもなっていない。  

あくまでも、愛川とフランス女がマラケシュという街で恋に自由に生きるプロモーションフィルムといったところである。こういう映画をこの時代に私費で撮ったこの男、やはり只者ではない。夢を形にすること、自分の意思を明確にする彼の姿はここにも垣間見られる。  

愛川追悼ということで、是非、劇場で今一度かけてあげたい一本と言っていいだろう。なんか、まだ彼が死んだことが信じられない。彼が劇映画で華開くのは「トラック野郎」からであるが、その時代の主演映画で私の手持ちのものを明日から書いていこうと思う。

彼のオートバイ、彼女の島
1986年 東宝(製作:角川春樹事務所)
監督:大林宣彦 主演:竹内力、原田貴和子、渡辺典子、三浦友和

片岡義男原作映画、最後はこの作品。以前から何回か書いたと思うが私は大林宣彦が苦手である。彼の容貌も話し方も、映画もどうもしっくりこない。だから、このブログに彼の作品が登場するのは「ねらわれた学園」に続き二本目である。そんな彼の作品のなかでは、まあまあ好きな方の映画である。なぜか、片岡義男原作に関本郁夫脚本という違和感。だが、そこそこにバイクを上手く使い、大林風の片岡映画に仕上がっている。全編がモノクロの中にカラーが混沌とうめこまれた映像は最初なんなのかと思うが、最後の結実点で監督の意図が理解できる。そう、大林監督はストレートな映像は撮らないし、わかりやすいとんがりかたもしてないので、わたし的にはやはり違和感はぬぐえないのだが、これはこれでよくできた映画と言っていいと思う。

竹内はバイクで取材の原稿を運ぶ仕事をしている。そのきっかけは、バイクに興味を持ってはがきをくれた渡辺とつきあうことからだった。彼女は兄(三浦)がバイクにのせてくれないということで竹内に近づく。そして、その日に彼女は関係を持ちつきあう。そして、三浦の会社に入って働いたのだ。だが、家庭的な彼女は竹内には物足りなく、竹内が彼女を捨てる形になる。そして、竹内はひとりバイクで旅に出る。その旅先でバイクに興味を持つ原田に出会う。温泉で裸でいても奔放な彼女に恋をする。東京に戻り、三浦と決闘することに。その勝負に勝ってしまい、三浦は怪我をして入院。侘びで渡した金を渡辺が返しにくる。思い出の店で寂しげな彼女がたまらなく悲しそうだった。そんな中、夏に故郷の島にこないかと原田から連絡が来る。竹内は瀬戸内海の島にむかう。彼女の生まれた島だということがよくわかった。そして、彼女はバイクに乗りたいといった。そして、しばらくして東京に来る原田。渡辺との思い出の店にいく。渡辺は友人(高柳良一)が恋人になり、そこで歌手として明るく働いていた。原田は中型のバイクを免許なしで走らせ怒る竹内。だが、彼女はすでに免許を取っていたというからくりだった。そして、原田の走りをみた三浦は彼女のセンスを見抜くとともに、「彼女死ぬぞ」という。そして、竹内は彼女を心配し、そのなかたがいで、しばらくたって、原田は竹内のバイクとともに消える。彼女はいつのまにか大型の免許を取っていたのだ。高柳に言われ、島に高柳のバイクでむかう竹内。そこには盆踊りを楽しむ彼女がいた。彼女は彼を待っていた。そして、ふたりで島でツーリング。別行動をとり、ドライブインにいた竹内は、女性ライダーの事故の話をきき、原田かと思う。あせって、でたところで、ちょうど着いた彼女の笑顔があった。

大林監督は、原作を読んで、たぶん、バイクの疾走感というよりも、人との一体感というものを描こうと思ったのだろう。最後の方のセリフで「彼女は俺で、俺は彼女、俺はバイクで、彼女は島」みたいにすべての一体感をかんじるようになったと語られている。そう、彼女との愛の結実は、さまざまな一体感にあるのだ。だからこそ、映画全体がモノクロームとカラーの混沌にある意味が見えてくるのだ。モノクロは個人であり、カラーは世界であるのだろう。

私としてはそういう、面倒くさい映像に対するのがやっかいで大林監督をいまいち好きになれないところがあるのだ。そして、どちらかといえば、彼は映画にモノクロ部分を投射している。だから、私がそこに一体になれないという感じなのだとは思う。ただ、そういう映像だからこそ、感性が合う人は一体感がえられるというのはよくわかる。それが大林映画のカラクリなのだろう。

竹内力はこの映画がデビュー作である。彼が角川映画からでてきたことを知らない人は結構多い。そして、ここにいるのは最近のイカツサだけを前に出した彼ではない。なかなか爽やか系な青年だ。少し、江口洋介的でもある。ある意味、江口洋介の代わりにもなれたような感じなのだ。まあ、いろいろあって今に至るのだが、俳優としての道はよめないということである。

そして、原田貴和子もこれがデビュー。原田知世のお姉さんということでオールヌードも話題になった。そして、このヌードがまたなかなか美しいのだ。個人的にはそんな好きなタイプではないのだが、今見返すと、なかなかの美女である。そして、ラストに「遅れちゃった」といってヘルメットを脱いだ時に笑顔は絶品である。

とはいえ、当時、私的には、好きだった渡辺典子に注目し、映画として認めざるをえなかったという部分があるのだ。ある意味、主演作も撮れなくなった感じの彼女が女優として本格化する?と予見できるなかなかの印象度であった。映画の中で3曲を歌っているが、これがなかなかよい。今聴いても良い。それで思い出したが、これ、サントラがクローゼットに眠っているはずである。でも、渡辺典子の活躍はほぼここまでで、本当に脇役的な女優になってしまったのは残念である。

そんな、当時の新しい顔たちをうまく料理しながら、大林風片岡映画は、快走したといってもいい一作である。当時、周囲でも評判は良かったのは覚えている。全体の映画のカット割や音楽の使い方など、ある意味、大林監督のはんこが押してあるような映画である。だが、その中で、ちゃんと片岡風のテーストも残してあるのは、彼が原作をそれなりにリスペクトしているということだろう。

夏から夏にかけての一年の話ですが、初夏のこれから夏の恋を妄想しながら観る一本としてはおススメです。そして、タイトルバックにかかる原田貴和子の歌う主題曲はとても心洗われます。そこにあるのは80年代の恋愛ですけどね。

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