夢でみたメモを見返していたら、こんな言葉が残っていた。
デジタルカメラ。
のこぎりで切る。
人のブログリンク。
イメージ。
説明なし。
二十年後のわたし。
夢の中で何を見ていたのか思い出せない。
ただ、最近ひとつ気になる出来事があった。
昔のブログに書いてあった「ザラガス」が何だったのか思い出せなかったのである。
書いたのは自分だ。
そのときは意味があったはずだ。
でも今は分からない。
単語だけが残っている。
残っているのに、受け取れない。
夢の話に戻る。
最初は、人のブログリンクやイメージという言葉から、説明コストを減らしたい話なのだと思っていた。
ただ、夢の中では写真を見るのではなく、デジタルカメラそのものをのこぎりで切っている。
何が残り、何が消えるのか。
そんな夢だったのかもしれない。
人のブログリンク。
イメージ。
説明なし。
そして二十年後のわたし。
こうして並べると、夢が気にしていたのは「何を残すか」よりも、「何を省略していいのか」だったようにも見える。
写真だけ残す。
単語だけ残す。
リンクだけ残す。
文章だけ残す。
どれも残る。
でも、どれも少し足りない。
未来の自分に伝えるためには何かを削らなければならない。
でも削りすぎると受け取れなくなる。
ザラガスは、その境界線を越えてしまった例なのかもしれない。
当時の自分には十分だった。
だから説明を書かなかった。
でも今の自分には足りなかった。
残すことと、省略することは、同じ作業のようで少し違うらしい。
二十年後の自分に向けて何かを書くとき、その違いだけは忘れないほうがいいのかもしれない。
ただ、その「最低限」が何なのかは、まだよく分からない。
