説明を減らしたい。でも減らしすぎると意味が消える | ゆっくり学ぶ (悪性リンパ腫と共に)

ゆっくり学ぶ (悪性リンパ腫と共に)

2012.04 鮒谷道場第16期に入門する
2012.10 悪性リンパ腫と告知を受ける
2013.01-09 ホジキンリンパ腫 化学療法 寛解
2014.10ー2015.03 濾胞性リンパ腫 化学療法 寛解
2016.03ー2016.04 濾胞性リンパ腫 化学療法 寛解

夢でみたメモを見返していたら、こんな言葉が残っていた。

デジタルカメラ。

のこぎりで切る。

人のブログリンク。

イメージ。

説明なし。

二十年後のわたし。

夢の中で何を見ていたのか思い出せない。

ただ、最近ひとつ気になる出来事があった。

昔のブログに書いてあった「ザラガス」が何だったのか思い出せなかったのである。

書いたのは自分だ。

そのときは意味があったはずだ。

でも今は分からない。

単語だけが残っている。

残っているのに、受け取れない。
 

夢の話に戻る。

最初は、人のブログリンクやイメージという言葉から、説明コストを減らしたい話なのだと思っていた。

ただ、夢の中では写真を見るのではなく、デジタルカメラそのものをのこぎりで切っている。

何が残り、何が消えるのか。

 

そんな夢だったのかもしれない。

人のブログリンク。

イメージ。

説明なし。

そして二十年後のわたし。

こうして並べると、夢が気にしていたのは「何を残すか」よりも、「何を省略していいのか」だったようにも見える。

写真だけ残す。

単語だけ残す。

リンクだけ残す。

文章だけ残す。

どれも残る。

でも、どれも少し足りない。

未来の自分に伝えるためには何かを削らなければならない。

でも削りすぎると受け取れなくなる。

ザラガスは、その境界線を越えてしまった例なのかもしれない。

当時の自分には十分だった。

だから説明を書かなかった。

でも今の自分には足りなかった。

残すことと、省略することは、同じ作業のようで少し違うらしい。

二十年後の自分に向けて何かを書くとき、その違いだけは忘れないほうがいいのかもしれない。

ただ、その「最低限」が何なのかは、まだよく分からない。