壊れないための答え | ゆっくり学ぶ (悪性リンパ腫と共に)

ゆっくり学ぶ (悪性リンパ腫と共に)

2012.04 鮒谷道場第16期に入門する
2012.10 悪性リンパ腫と告知を受ける
2013.01-09 ホジキンリンパ腫 化学療法 寛解
2014.10ー2015.03 濾胞性リンパ腫 化学療法 寛解
2016.03ー2016.04 濾胞性リンパ腫 化学療法 寛解

完璧な答えを探そうとすると、少し息が詰まる。

 

仕事でも、日常でも、「これが一番いい」と言い切れるものを選びたくなるけれど、
その裏で、外したときの怖さもいつも一緒についてくる。

 

最近は、とくにそれを強く感じるようになった。

 

AIを使って考えると、思考のスピードが一気に上がる。

 

いくつも案が出てきて、どれもそれなりに良さそうで、
さらに深く掘ろうと思えば、どこまでも追いかけていける。

 

でも、そこに少し違和感があった。

 

速くて、賢くて、どこまでもいけそうなのに、
追い込みすぎると、急にバランスが崩れることがある。

 

整っていたはずの答えが、
少しずつ現実から離れていくような感じ。

 

うまく言えないけど、「壊れる」という言葉が近い気がした。

 

たとえば、AI同士で案を出し合って、どんどん改善していくとする。

 

最初は現実的で使えそうだったものが、
何度も最適化を重ねるうちに、だんだんと極端になっていく。

 

リスクを削りすぎて挑戦が消えたり、
逆に理想を追いすぎて現場では使えなくなったり。

 

どちらにしても、「完璧」に近づいたはずなのに、
なぜか使いにくくなっている。

 

これはAIに限らず、
考えを詰めすぎたときにも、似たことが起きるのかもしれない。

 

ビジネスでは、大きく外さないことに価値がある、という話を聞いたことがある。

 

すごく当たり前だけど、
今は少し違う重みでその言葉が引っかかる。

 

一番いい答えじゃなくてもいい。

 

壊れないこと。
ちゃんと機能し続けること。

 

それだけで、十分に強いのかもしれない。

 

速く考えられるようになったぶん、
どこで止めるかの感覚のほうが、むしろ難しくなっている気がする。

 

まだいける、もう少し良くできる、と思ったその先で、
ふと何かがずれていく瞬間がある。

 

それに気づけるかどうかは、
たぶん、速さとは別のところにあるのかもしれない。

 

少し余白が残っているくらいの答えのほうが、
あとから手を入れられるし、誰かも使いやすい。

 

完璧じゃないことが、
逆に守りになっているような、そんな感じ。

 

どこまで詰めるかじゃなくて、どこでやめるか。
その判断のほうが、いまは少しだけ重くなっている気がする。