ショートショート 「局の夏」 | 瑠璃☆の世界

瑠璃☆の世界

少しだけ心の中を表現したいのです。
ここだから言えること、書いてみます。



言葉でいざなう瑠璃☆の世界。


寄り道していってくださいませ。


久しぶりのショート。


即興で気分転換に書いてみました。




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蔵の街。

川越は昔の情緒漂う趣を残していた。

かつて城下町だったことが、今でも感じられる。

観光客の多いメイン道路を避けて、私たちは裏道を歩いていた。

他愛のない話をしながら、散策を楽しんでいた時だった。

ちょっとの沈黙が流れ、二人の空気が変わった気がした。

ふいにあなたは何かを思うように立ち止まったのだった。

どうしたのか不審に思った私は、首を傾げてあなたを見た。


「君のことを任せてもらえないだろうか」


「えっ?」


「つまり…」


急な展開に私は戸惑い、あなたも言葉を選んでいるようだった。


「ずっと君の面倒を見させてもらえないだろうか。

何もかも失ってしまった君を放っておけない」


私はあなたの真意を確かめようと、自分に浴びせられた言葉を反芻していた。

あなたの気持ちはずっと前から感じていた。

私とは一緒になれないけれど、それでも私を放したくないと思っていること。

そして、何より私を慈しんでいてくれること。

でも、お互いにそれに触れようとしないでいたのも事実だった。

あえて確かめることをしないままの関係。

月に数回あなたに会えればそれで良かった。

一目を避けてマンションで一日過ごしても、傍にいるだけでよかった。

これまでの二人のことを思いながら、今の言葉と繋げてみたりした。

私は何も言えずに前を向いて歩いた。

立ち止まっていたあなたも、私に合わせるようにまた歩き出した。

言葉のないまま私たちは、お互いの気持ちの揺れを感じながらひたすら歩いたのだった。



やがて喜多院が目に入ってきた。

あなたは話すきっかけをつかんだように私に言った。


「見学しようか」


「そうね、見たい」


歴史に詳しいあなたは、時おり私に解説をしてくれた。


「春日局を知っているかい?」


「ええ、もちろん」


喜多院の中には、かつて春日局が暮らしていたとされる部屋や厠や浴場があった。

一説には家康に陰で寵愛されていたとも言われている。

秀忠とお江の間に生まれた家光の乳母を命ぜられた「お福」が、春日局として力を台頭してくる時代背景が感じられた。

喜多院の資料館であなたは一通り私に説明してくれてから、じっと私を見つめた。


「君を失いたくない。我儘なのはわかっているよ。今の自分の生活を犠牲にすることなく、君までも欲しいのだから」


その言葉の意味は全てわかっていた。

有難くも嬉しい気持ちだったし、あなたを愛し始めていた私だったから。




数週間後、私は川越を訪れていた。

また大事なものを失ってしまった哀しみと共に。

前と同じように喜多院を訪れ、ただ前とは違い一人だった。

横にあなたの姿はなかった。

優しい眼差しや存在を感じる息遣いもなかった。

ギュっと握ってくれる手の感触も、もちろんあるはずもなく。

私は春日局にはなれない。

それほどしたたかでもなく、それほど強くもなかった。

社会的に著名なあなたに囲われる勇気もなかった。

あなたを失くした今、蔵の街はモノトーンの廃墟にさえ見えた。

歩く人々の笑顔が、どこか空々しく見えた。

だけど私は後悔はしていない。

歴史を彩った女傑とは違っても、自分の意志で生きていくことに関しては、私は局だと。

あの日と同じ場所に佇み、私は空を見た。

一つため息をつくと、なんだか空が微笑んだ気がした。

そして、入道雲が牛耳っている空に向かって「さよなら」と呟いた。

さよなら、あなた。

さよなら、今までの私。



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