月日が経つのは速いものです
あれからもう 10年が経ちました
地中海には梅雨が無いから
6月も終わりになれば
真夏の日差しが照りつけるとのこと
この時期こちらで
鬱陶しい毎日を過ごしている私達からすれば
羨ましい様な 恐ろしい様な……
そんな夏を迎えられ
皆様 お元気でいらっしゃいますか?
お陰様でこちらは皆
蒸し暑さと闘いながらも元気でやっております
ところで
その節は 大変お世話になりました
あの頃の私達は
目の前に起こった事に対応するのが精一杯で
長男の将来の事についてまで考える冷静さは
正直言ってありませんでした
あの時姉さんからの提案が無ければ
提案を素直に受け入れる自分がいなかったら
今の平穏な暮らしは無かったと思います
冤罪が晴れた後も それは大変でした
お陰様で仕事の方は
受け入れ先の社長のご理解とご好意で
直ぐに立て直すことが出来ましたが
長男の それまでのことは
イタリアに経ってからも
面白おかしく歪曲されて噂され 報道され
もしあのまま長男が ここで暮らしていたら
いわれのないことで どれ程傷つけられたか……
想像しただけで 恐ろしくなります
姉さん夫婦には
どんな感謝の言葉を並べても足りません
本当にありがとうございました
近所の方々は皆さん
長男の事も 事情も よくご存知で
私達家族にそれまでと同様に良くして下さり
残された子ども達もそれぞれ いいお友達に恵まれ
道を逸れるで無く
真っ直ぐに育ってくれました
ただ
それまで 4人兄妹の頭として
敬い 慕っていた長男を突然失い
それぞれが心に受けた傷は計り知れません
長男の様子は姉さんから
毎日の様に伝え聞かせて頂いてたので
何も心配する事はありませんでした
ただ
それまで離れたと言えば
最長で 一週間の合宿位でしたので
私の方が 寂しくて寂しくて
お子さんを亡くされた方からすれば
こんなことは 何でもないことなのですが…
でも
今 振り返ってみても 辛い時期でした
この度は次男がお世話になります
ちゃんと御挨拶には伺いましたか?
昔からユーモラスで愛嬌のある子でしたので
その点は心配無いのですが
何ぶんにも シャイな性格ですので
ちゃんと年相応の振る舞いが出来ているのか
それが心配です
(もう25を過ぎたのですからね 立派な大人です)
実は
姉さんの所に子どもが望めないと聞いた時
次男が成人したら
もし 姉さん夫婦が希望するのだったら
次男を養子に出す選択もあるだろうと
主人と話していました
次男はもちろん
子ども達には誰一人として
この事を話したことはありません
それは イタリア人になると言うことです
あれから10年
長男なりに よく考えて出した末の答えなのでしょう
私達 順風満帆とは言えませんでしたが
神様から4人の子どもを授かり
本当に幸せでした
しかも皆が 元気に 優しく育ち 成人してくれた
これ以上の幸せはありません
そして 4人の子どもを授かったけれど
子ども達への愛情には順位無く育てられた
それが私の自慢でした
神に誓って
4人の内 誰が一番などと言うことを
ただの一度も考えた事などありません
だけど
一番最初に生まれた子どもは
私達夫婦にとっても 初めての子どもで
何もかも初めてだったこともあり
何もかもが新鮮で
その全てが感動で
一緒にいても 遠く離れていても
幾つになっても とにかく愛おしくて
人として生まれた故の
未熟な母親の 悲しい本心です
長男が手紙をよこしてくるまで
長男を〝養子〟に出すことなど
ただの一度も頭をよぎることなど無く
正直言って かなりショックだったんです
次男のことはゆくゆく…なんて考えていたのに
笑ってしまいます
でも 冷静になって考えて見ると 彼は正しいのです
この国は どこか間違っている
大きくなろう 豊かになろうと
欲を出せば出す程
大切な何かを忘れ去ってしまっている
長男が帰国したとしても
昔の様に幸せに暮らせる保証は
残念ながら 無いのです
自分を見離した国ではなく
自分を再生してくれた街で生きて行くことが
長男にとっては
最良の選択かも知れない
誰かが話していました
〝子どもは3歳になるまでに親孝行をし尽くしてる〟
長男はミラノに来るまでの17年間で既に
私達に幸せを与えてくれました
彼はもう 充分親孝行をしてくれたんですよね?
したくても 簡単にはつけない仕事です
姉さん 義兄さんの下で 多くの人に必要とされ
私達の小さかった長男が光の国の一員になることが出来る
有難いことです
お姉さん 本当に ありがとうございました
これからも長男のことを よろしくお願いします
④につづく
画像を拝借致しました<(_ _)>サンクス