9回目の参加、そして8回目の隠岐の島ウルトラマラソンは、痛かった!
結局、2周続けての100kmは、できませんでした。そもそも、体調よりも休みをとることが難しいとよくわかりました。深く反省。
さて、せっかくなので今回の隠岐の島ウルトラマラソンの完走を記録しておきます。
まずは、大会開催の直前水曜日。
週末の予定を確認し、最後に行程表をじっくりみて、ふと・・・(・・;)
いつもの行程と違う。
到着が、なんと7時ころ・・・前夜祭に間に合わないのかも・・・(T_T)
そこで、いっしょに応援についてきてくれる奥さんにLINEでそのことを連絡。
結構ショックだったけれど、何故か自分でツアーを選ぶさいにそのコースを選んでしまったということで、どうしようもない。
せっかくレインボーメダルホルダーになってその紹介が前夜祭で行われると思うけれど、それには間に合わないか・・・と落胆。
しかし、翌日、奥さんが旅行会社に交渉してくれ、なんとキャンセルがあったために自分だけひとり、早めに行くことになった。
大感謝。m(__)m
そして週末金曜日、横浜の自宅に帰省し、翌土曜日早朝にひとりだけ羽田に先に行く。
羽田に行くと、いつものメンバーが・・・。
隠岐の島ウルトラマラソンは、そう、リピーターが多いので結局同じメンバーがいつもいっしょに行くことになる。
米子空港に飛び、そして境港。そこから高速船で隠岐の島島後の西郷港に向かうが、奥さんは遅れてフェリーで到着する予定。でも、高速船に乗り込む前に、境港で落ち合うことが出来、ちゃんと交渉すれば、高速船に乗れたかもしれない。(残念)
隠岐の島に到着してからは、レインボーアリーナに行き受付をすませホテルで準備。
前夜祭では、いつもにもまして多くのランナーで賑わい、また地元の演目も増えて賑やか。でも、遅れてフェリーで到着する奥さんを迎えに途中離脱し、西郷港へ。
そして、ホテルで晩ごはん。
準備は万端。明日3時の朝食を食べたらもう戦闘モード!
***
スタート前は、ホテルのすぐ前なので余裕をもって準備。
そして、たくさんのランナー仲間と笑顔で交流し、これからの健闘をたたえ合う。
いつもの元気なMC早百合さんのアナウンスがあり、5時スタート。
***
スタート
しかし、ひとつめのトンネルで、道路のつなぎ目に躓き転倒。一瞬焦ったが、勢いがあったために、カラダがうまく一回転してくれて右の膝をすりむいた程度。
すぐに起き上がり、走り続けるも、けっこう精神的にショックはあった。
10km地点で、スタッフに消毒をしてもらい走り続ける。
まだ、この時点では雨も降らず快適(いや、湿度が非常に高くて蒸し暑さはひどかった)
15kmすぎ、布施あたりからポツポツ。
でも、このくらいの雨ならむしろカラダを冷やしてくれるので最適だ!とこの時は感じていたのだが・・・。
25km過ぎ、ようやく中村漁港、そしてサザエ村に・・・。
ここで、奥さんよりレッドブルを手渡してもらう予定。
27kmサザエ村エイド。ここで、レッドブル投入。
ここからが、坂道の続く前半最大の山場。約250mほど登っていく。
しかし、このあたりから雨が強くなってきた。
40kmまでの間は山を超えないといけないのだが、下りが川沿いで気持いいはず・・・なのだったが、徐々に雨は強くなり、一時は、土砂降りというよりもバケツの水をひっくり返したというまさにそんな感じ。
でも、面白いものでこれだけ振るとむしろ開き直れるっていうか、逃げ場がないのでがむしゃらに走るしかない。
下り坂を利用して、一気に走っていく。
これが、実は大きなダメージを産むことになってしまった。
ただ、雨を予期していたので、ビニールカッパを持っていたために雨の状況によって、こまめに着脱したおかげで低体温は避けられた。
42km地点。なんと、4時間7分!!!サブ10ペース!!!
あとは、中間エイドの五箇のレストステーションに到着すれば、ウエアを着替えればいいかと思いながら、下り坂を走った。足は痛くない・・・と思ったが、実はこの時すでに指の爪が数本、イカれていたみたいだった。
なんとか、中間エイドに到着し、ここでドロップバッグを受け取り、待っていてくれた奥さんから2本目のレッドブルとクリームパンを食べた。
着替えをして、リスタート。
しかし、ここで、すでにサブ10の夢は消える。
仕方ない、なんとかサブ11を目指したい。
この辺りから雨は弱くなっているようだが、まだけっこう降っていたので、ビニールカッパを被り、はしり続ける。
いつもの私設エイドで、ヤクルト2本もらい、スイカなども。
今回は、スイカを出してくれるエイドが多くて嬉しかった。
55kmあたりから天気が回復し、むしろ暑くなってきた。
途中のエイドでビニールカッパを捨て、60kmまでは走り続ける気持で・・・しかし、早々に歩きが入ってしまう。
やっぱり、きついわ・・・ウルトラ。
手掘りの福浦トンネルを抜け、エイドでコーラをいただき、60kmをすぎると、後半の山場。ここから山3っつをのぼりおりしないといけない。
早々に歩きだしたものの、前後にほとんどランナーが見えない。
今回、決して早くはないし、参加者も増えているのにランナーが前後に見えないとは・・・。
そんなことを思いながら、時々走りをいれて、歩き中心で山登り。
途中、先を歩くランナーに追いつき、声を掛けると、「こんなにきついんですね~」という声。
たぶん、初参加だったのかな?「あと、ふたつほど、このアップダウンありますよ!」と声をかけ歩き続ける。
あとふたつ。
ここからが本当に正念場。
天気も回復し、晴れ間も見えてきて暑くなり、カラダも妙に熱っぽい。
最初の大きな下り坂は思い切り走った。
下りきったところにエイドがあるので、そこでコーラとフルーツをいただくことを目標に。
途中、女性ランナーが歩いていた。声をかけたが、足が痛いのかかなり苦戦している。
エイドで、氷をもらい、プラムやスイカ、オレンジをもらいすっきり。
さて、上り坂・・・。
次、奥さんの待っているエイドは78kmあたり。まだまだ。
なんとかそこまでいけばあと20km程度。もはやゴールは確実!
なんとか頑張らねば。と思い走ったり、歩いたり。
ただ、なんとなく足の指が不安。マメができそう。
雨で濡れたソックスのままで走っているとヤバイかも。
そう思いながらなんとかふたつめの山を下り72kmエイドで、50kmの部に参加していた川内選手に抜かれる。
さて、最後の大きな山。
ここを伸びきればあとは下り。そして、待ち焦がれている奥さんのいる中里バス停のエイドに到着する。
トンネルを超えて、下りに入ったところから必死に走る。
あと、少し、あと、少し。
ようやく直線にはいり、中里バス停到着。
ここで、3本目のレッドブルをもらい、そしてソックスを履き替えることに。
右脚はなんとか自分で履き替えられたが、左足がどうもおかしい。よくみたら、親指の爪が真っ白!!!
そしてソックスが履けない。けっこう焦る。と、ボランティアのスタッフの方が吐かせてくれる。ありがとうございます。
お礼を行って、リスタート。
あと20km少々。
しかし、ここからますます暑くなり、カラダが妙に熱をもちだし、何よりも暑さで苦しい。走れない。
80kmを過ぎても、85kmを過ぎても、暑さが辛い。
でも、のこり12kmあたりの私設エイドでいただいたグレープフルーツがとても美味しくてなんとか元気をもらい走る。
あと10km。
あと9km。
あと8km。
あと7km。
とにかく長い。
ゴールはまだまだ。
飛行場のトンネルをくぐり、あとは7kmほどなのに、元気が出ない。
でも、なんとか少しは知ることもできて、あと3kmあたりからようやくちゃんとカラダが建てなおされた感じ。
あと、2km。
そして、あと1km。
ゴールの選手を向かえる、いつも元気な女神の超えが聞こえる。
あとすこしだ。
人間は不思議なもので、あとすこしと思うとけっこう力がわくもので、最後の坂道を走り、奥さんを見つける。
よしあとはゴールだ。
今年も、なとか手をとりあってゴールできました。
ありがとう!!!
***
ゴール後、水のプールでアイシングをしようとソックスを脱ぐと・・・足の指数本の爪がイカれてました。
そして、ようやくちゃんと怪我の手当もしてもらいホテルに戻りました。
11時間17分。
キツかったけれど、今年も収穫の多い100kmでした。
たくさんのボランティアと奥さんに感謝!
そして、また来年も行きたいと思っています。
大好きな隠岐の島ウルトラマラソン
第11回隠岐の島ウルトラマラソン
2007年の頃だったと思います。
大阪単身赴任で、なんばのスポーツ店にシューズを買いにいったときのことでした。
ランニングシューズのコーナー横のパンフレット棚に、「ランナーよ海を渡れ!第三回隠岐の島ウルトラマラソン」というパンフレットを発見。
ふと手にとって、地下鉄で自宅に帰り考えていました。
「100km・・・ねえ・・・」
それまでは、フルマラソンが精一杯だった自分にとってウルトラマラソンというのはまさに自分とは違う人種が走るとんでもない大会だと思っていました。
でも、「離島・・・ねえ」「島一周か・・・」などと、なんとなく憧れのような感じもして、どうやって渡ればいいのか?と調べてみたら、なんと伊丹空港から飛行機で行けるんだ・・・とわかり、とりあえず申し込んでしまいました。
エントリーしてしまったら、まさに、「ロッキー」のようにバックグラウンドに音楽が流れ、ロング走中心の練習が始まりました。
大阪城公園の周りを40km走・・・こんなのは序の口。
とりあえず遠くから走る努力しないと長く走れないな・・・と思い、京都まで行ってそこから天王寺の自宅まで約50km。
次に、京都から奈良までも走りましたね。
そんな練習で、初めて「隠岐の島」に渡りました。
大阪伊丹空港からは、1時間ほどで隠岐の島に到着。
空港にはすでにバスが待っており、すぐにレインボーアリーナまで送ってくれました。
バスからみる景色は素晴らしく、大きな島に牛が何頭かいるだけで、とても自然が豊かで気持のいい島という印象でした。
受付を済ませ、「アイランドホテルしまじ」というホテルに到着。狭い部屋でしたが、そこの食事が美味しかったのを覚えています。
前夜祭に歩いて行って、まだ、ウルトラマラソンの世界では新参者であり、ドキドキして参加しましたが、磐梯ウルトラとか他のウルトラマラソンに参加されている方などと少し話をして、ホテルに戻りました。
ホテルでおいしいごはんとお酒、それもビールに焼酎まで飲んで・・・これが災いし、翌日はずっとお腹の調子が悪く、辛いレース展開となりました。
初めての隠岐の島ウルトラマラソンは、とにかくエイドステーションよりトイレ。
次のトイレまで頑張ろうと思い走り続けました。
中間エイドのあとすぐに具合が悪くなり、民家にお願いしてトイレをお借りしたこともありました。
そして、後半なんとかお腹も落ち着き、12時間ちょっとでゴール。
ゴールするまで「もう二度と走らない」と何度も自分に言い聞かせていました。
しかし、ゴールした直後。
そこから、この大会にずっと参加し続けることになったわけです。
第三回(2008年)大会:12時間5分45秒 51位/172人中
第四回(2009年)大会:11時間57分37秒 51位/202人中
第五回(2010年)大会:12時間19分50秒 80位/234人中
第六回(2011年)大会:13時間48分28秒 193位/271人中
第七回(2012年)大会:記録無し(疲労骨折のため48km中間エイドでリタイア)
第八回(2013年)大会:11時間04分05秒 43位/267人中
第九回(2014年)大会:11時間23分30秒 54位/281人中
第十回(2015年)大会:10時間44分03秒 58位/404人中
第十一回(2016年)大会:11時間17分 68位/345人中
これまで、9回隠岐の島にわたり、8回完走しました。
第六回2011年の大会では、前半の山下りで太腿を使い過ぎて太腿を傷め、後半全く走ることができない状況になり、ずっと歩いて完走しました。(完歩ですね)
第七回2012年の大会では、5月に富士五湖に参加し、走りこみをしっかりやっていたつもりですが、体重が重かったせいもあり、新スプリトから脛骨疲労骨折になり大会直前まで参加できないか?と思われましたが、なんとかスタートはできました。最初からゆっくり走っていたので比較的楽に楽しく走れて、もしかするとそのまま走り切れたかもしれませんが、大事をとって中間エイドでやめました。
隠岐の島の大会は、参加されたランナーの多くの方々が言うように、他にない最高のおもてなしと温かみのある大会で、一度走ってしまうと、やっぱり今年も・・・と思ってしまうようなそんな大会です。
第三回の大会に参加したあと、自宅でそんな話をしたら、そのあと第四回からはずっと妻が応援に来てくれています。地元の方々との交流もあり、毎年の恒例行事のようになっているのです。
この大会は、基本的な点は変更されていませんが、コースは毎回、微妙に変わっています。
今年走られたランナーも気づいているかと思いますが、道路に1kmおきの標識を設置するマーキングが打ってありますが、それが微妙に変わっているのでわかります。
最初の頃は、中間エイドを過ぎてからの後半に大きなアップダウンが3回ありました。その3回めはだんだん道も捕捉なり、勾配も急になりもはや走ることは無理というような坂道でした。
それが、ここ数回、なんとなく後半がちょっと楽になったように思ったのですが、それは新しいトンネルができたおかげで、その急勾配の坂道を行かずにコースがとれるようになったからです。
ある時は、手掘りの福浦トンネルを通らないこともありました。
また、75kmあたりからの下り坂で途中でトレイルのような道を行くこともありました。
けっこうキツかったのは、78kmの中里バス停のあとの田園地帯をぐるぐる走って距離を調整することがあり、けっこうストレスになりました。
それと、エイドステーションは基本的には変わっていないのですが、最近はスイカなどフルーツが増えたように思います。
私設エイドも増えましたが、そこでもフルーツやカルピスなど、いろんなものを準備してくれています。
そういった変化もありますが、ずっと変わらないのは、
地元の皆さんの応援。以前からずっと、ナンバーカードを見てから名前で応援してくれます。
いくつかの場所では地元の皆さんがテントを張って酒盛りをしながら元気をくださいます。
朝5時のスタートというのに、そんな時間から家の前で旗を振ってずっと応援してくれるおばあちゃんやおじいちゃんがいます。
それと、毎回、小学生が応援の自筆の手紙を送ってくれます。
そして、島を離れるときに、町長をはじめスタッフの皆さんが横断幕をかかげ、盛大に見送ってくれます。
こういった、すべてのことを体験してしまって、初めて参加したランナーも、応援で参加したご夫婦もみんなこの島にまた行きたくなってしまいます。
今回、9回目にして初めて隠岐諸島の他の島、中の島と西の島に観光で行ってみましたが、決して楽に仕事があって豊かに暮らせるというような島ではないと思いました。
たぶん、島後の隠岐の島町でも、あの大会を開催して黒字になっているとは思えませんが、地元の人たちは、それでも大会を続けてくれています。
離島、人口1万5千人という隠岐の島町が、あの大会を継続開催するのは本当にたいへんなことなのだと思います。
この9年間で、ホテルの近くにあったドラッグストアとスーパーも無くなってしまいました。
お酒の飲めるお店も、無くなっていたりとかなり経済的には厳しいと感じました。
それでも、あの大会を開催してくれること。
そして、あの島に何かランナーの力で出来ないものか?とずっと考えています。
ふるさと納税という手段もあるかもしれません。
また、少なくとも前夜祭は、有料で実施して良いのでは?と思います。
それと、参加者が急増する中、さらに宿泊施設を増やすのはもはや困難でしょうから、民泊や、テント泊、フェリー停泊なども考えないと無理かもしれません。
何よりも、隠岐の島町で作られる、採れるものを購入することがいちばんのサポートになるかもしれません。
昨年から、大会の翌日、一部のランナーが中心になり清掃活動を行うイベントが催されています。
素晴らしいことです。
もしかすると、隠岐の島ウルトラマラソンこそが、主催者と参加者が作る大会に育っていくのかもしれません。
第11回隠岐の島ウルトラマラソンにむけて
第3回の大会から参加し始めて、今年で9回目になります。
過去の記録を調べてみると、隠岐の島町がこの大会を大事に育ててきたのがよくわかります。
第一回 2006年10月23日 100km:357人、50km:115人
(65人のランナーは天候のために島へ到着できず出走できなかったらしい)
第二回 2007年6月17日 100km:217人、50km:93人
第三回 2008年6月15日 100km:214人、50km:172人 12時間5分45秒 51位
第四回 2009年6月21日 100km:334人、50km:241人 11時間57分37秒 51位
第五回 2010年6月20日 100km:364人、50km:263人 12時間19分50秒 80位
第六回 2011年6月19日 100km:410人、50km:297人 13時間48分28秒 193位
第七回 2012年6月17日 (大会HPにデータ無し) 故障のためリタイア
第八回 2013年6月16日 100km:431人、50km:452人 11時間4分5秒 43位
第九回 2014年6月15日 100km:281人(男子のみ)、50km:不明 11時間23分30秒 54位
第十回 2015年6月21日 100km:404人(男子のみ)、50km:不明 10時間44分3秒 58位
第十一回 2016年6月19日 100km:556人、50km:611人
最初のころは全体でも300人~500人程度の大会でしたが、とうとう1000人を超え、1200人レベルに到達する勢いです。
自分も、あまりぱっとした記録ではありませんが、なんとか10時間台まで更新できました。
今年は、どんなコンディションになるかわかりませんが、今まででいちばん楽しく走れる大会だと思います。
レインボーメダルの表彰もあるようです。(うれしい!)
今回は、レース後、島前のほうにもわたり観光してこようと思います。
自分がこだわり続けた大会ですが、ようやく、ひとつの区切りをつけることができます。
ここまで、隠岐の島のみなさんには応援もたくさんいただいて本当にありがとうございました。
それでは、18日に無事西郷港に到着できますように!
