フジテレビで人気絶頂をきわめた逸見政孝さんは、その人気の勢いのまま、フリーアナウンサーに転向。NHKを含む全ての大手キー局でレギュラー番組を持つに至りました。
まさに栄光のさ中、1993年に入ってすぐの48歳の若さで、当時は「末期、手遅れ」、今日でも「ステージ4」と診断されることが大半の「スキルス胃がん」が判明しました。
その後の経緯は、ウイキペディアに詳細に記述されています。ウイキペディアの記事の中でもとくに詳細、示唆に富む内容となっています。
「ブティック型」の医療施設にこだわる。転院先となった東京女子医大病院でも大規模な再々手術を受ける…。今日であれば、当時以上に、「?」が付く「がん医療」を受け、「このままでは1年もたないかもしれないと受け止め、3カ月休養します」という衝撃の会見から、1年どころか、わずかその3カ月で旅立つ…。壮絶すぎる最後だったといわざるをえません。
このアナウンス力の高さ、今日のどの情報番組やワイドショーのМCさんをも超越していますね。脱帽です(「真実」を知らされていなかったことには悲しさを感じます…)。