【安田記念】名もなき詩 | 魂剣石をも切る

魂剣石をも切る

世に灯篭切りといふ。江戸時代剣聖とうたわれし一文字流神泉正宗が家康に請われ一度だけ御前にて石灯篭を一刀両断。以来三百余年剣道界に於いて幻の業とされこれを極めたるものなし。不可能を可能とする意の“魂剣石をも切る”といふことわざはこれをいふなり。

2024年6月2日 安田記念




記憶に残る安田記念のひとつに

Mr.Childrenの「名もなき詩」がヒットした年

1996年6月9日



前年のマイルCSを制した時は

2着メイショウテゾロの激走のイメージもあり

馬連十万馬券の立役者



しかし東京新聞杯を勝ち

進路がなく大外を回した京王杯SCこそ

3着に敗れたが

安田記念では1番人気に押された



この年の出走馬は

前年覇者の外国馬ハートレイク

オークス馬ダンスパートナー

高松宮杯を勝って挑むフラワーパーク

エリザベス女王杯勝ち馬ヒシアマゾン

皐月賞馬ジェニュイン

スプリンターズS勝ち馬ヒシアケボノ

2歳牝馬チャンピオンのヤマニンパラダイス


半数近くがG1馬で

ジェニュイン

ダンスパートナー

フラワーパーク

この後もG1を勝ち

2着タイキブリザードは翌年の勝ち馬



そこを

1番人気でハナ差14cmで勝利し

マイルG1秋春連勝を

ジュピターアイランド

スピードシンボリと並ぶ年齢

当時の最年長G1制覇タイ


ここまで

そして生涯

芝ダート問わずマイル戦を

8戦8勝の無敗だった



この後かねてからの持病の

橈骨痛を発症し休養




その最中

馬とは関係ない事件が…


浦和時代は

法人名義で走っていた

中央移籍にあたり問題になったのは

その法人がJRAの馬主資格を持っていなかった

法人設立メンバーのひとりの名義で移籍

しかしその事は独断で行われていた


この年の1月には

名義貸しの状態は解消されていたが

密告があり

9月に馬主登録が取り消され

なし崩し的に引退となった



戦績を見れば明らかに名馬だか

ダークなイメージで引退し

あまり語られなくなった


名もなき馬ではない

紛れもない名馬である



2024年の安田記念は

ステラヴェローチェ


1年7ヶ月振りだった富士Sを除くと

マイルは3戦2勝2着1回

朝日杯2着も前走スローペースで

距離短縮で挑んでも問題ない

鞍上もその時の横山典弘騎手に変わり

道悪ならなお差し込めそう