拝啓

風薫る初夏の候、如何お過ごしですか?

貴方の命日が近づくこの時期は、長い年月が経った今でも、自然な流れで感慨にふけります。

蓋をしていた記憶に向き合う気分になれたし、年齢的にも今が最後かなと思ったので、今年は9年ぶりに手紙を書きました。


前に書いた手紙も、9年前の出来事として書いたので、貴方が旅立ってから18年の歳月が流れました。初めて書いた手紙の頃よりも、大分精神面が安定したし、仕事でもプライベートでも沢山のことがあって、心はより強く輝いている気がします。


若いときに思い描いていた未来、なりたい自分とは、まだまだかけ離れているけれど、あらゆる喜怒哀楽を経て、今の自分が在ることを誇りに思っています。


貴方が、過去にちゃんと生きていたいう存在証明の為に、自身のブログに「手紙」というかたちで、あなたの記憶を残そうと、毎年6月がくる度に思っていました。


そう思って、なかなか掘り下げた内容が書けなかった1回目の手紙。そこから更に年月が過ぎて、あっという間の18年間でした。


かなり長くなりますが、数日前から下書きして、少しずつ仕上げた手紙なので、最後まで読んでくれると嬉しいです。


***


ここからは、中学生の私に戻って、お兄ちゃんへの手紙を書くね。



天国のお兄ちゃん、


梅雨明けしたような晴れて暑い日が続くみたいだけど、元気にしているかな?


大好きな映画を沢山観たり、ゲームを1日で全面クリアしたり、機械いじりをしてみたり、


ビートルズとかの洋楽を聞いて、たまには英語の勉強しているのかな?


苦手な運動は、あまりしていないと思うけど、天国に行く前日の夜に、バイト先の人達としていたフットサルは、今でも楽しくしてるのかな?


お兄ちゃんは、私にちょっかいだしたり、おどかしたりするのが好きだったけど、最後の最後まで、私を芯から怖がらせて、あっけなく旅立っていったよね。



梅雨の時期だったけど、朝から晴天で暑い日だった。


新しい一週間が始まる、月曜日の朝。いつもと同じ時間に起きて、三面鏡の前で髪を結んでいた。


お母さんが、階段の下から、お兄ちゃんを起こす声が聞こえる。何度か呼んで、その度にお母さんの声は大きくなるのだけど、


お兄ちゃんからの返事がない。


お母さんが階段を上がってきて、部屋のドアを開けた。


「お父さん!さとが変!!」


お母さんが叫んだ。お父さんが階段を駆け上がってくる前に、私はお兄ちゃんの部屋を覗いた。


生気を失って横たわる、人形のようなお兄ちゃん。


お父さんが来て、声をあげる。


「おい、しっかりしろ!さとし!おい、息してないぞ!おい!」


小説のひとつの場面のような、心が震える真実を想起して、短い文章として記すことに、18年の歳月を必要とした。



実はね、誰にも言っていなかったけれど、


お兄ちゃんの心臓が止まったであろう時間に、私の心臓が、いきなりドキドキして、驚いて飛び起きたんだ。私にとっては、生まれて初めての「動悸」だった。


***


家の前に、救急車と警察が来たけど、何故かベランダからお兄ちゃんを運び出したから、時間がかかっていたと思う。


心肺蘇生しているようだったけど、お医者さんたちは、もう手遅れだなと思っているのだろうな、


あまりにも、ショックが大きすぎて、私の心は、すごく冷静だった。


車で病院に向かう間中、お兄ちゃんがいない日常と、これから先のことを、ずっと考えていた。



お兄ちゃんとの時間を、可能な限り多くするために、1日だけ家にいられる処置をしてくれた。


夕方からは、近所の人達や、お兄ちゃんの昔の友達が、何人も家に来てくれたよ。


亡くなる直前まで、メールのやり取りをしていたR君は、長いこと座布団に座って、お兄ちゃんを見つめていた。


小学生の頃、家に遊びに来ていたR君に、ポケモンカードをもらったり、面倒をみてもらったような気がする。お兄ちゃんの友達の中では、一番優しくて、一番格好良いと感じたR君。


もう会う機会はなくなるけど、R君は、将来きっと幸せな家庭を築けるような人だと思ったよ。


陸上部のS先輩も、高校の制服姿で、お兄ちゃんに会いにきてくれた。



お兄ちゃんの好きな人は、陸上部のA先輩だったけど、一番仲良く見えたのはS先輩だった。


A先輩は、あまり部活に来なかったけど、とても明るくて、不思議な魅力があって、男子からモテるプレイガールのような先輩だったと思う。


S先輩は、涙もろくて、芯のある、面倒見が良くて可愛い先輩。11月の駅伝まで部活を引っ張ってくれて、沢山お世話になった。


お兄ちゃんがA先輩に告白して、ふられたのを知って、恥ずかしい気持ちになった。


A先輩じゃ、お兄ちゃんは絶対に相手にされないのに、S先輩のほうが絶対に良いのに…。


そんなことを思っていたけど、何も言わなかった。


人を好きな気持ちは、そう思うのでなく、自然と心から溢れてくるものだから、どうしようもないんだよね。


お兄ちゃんの目の前に座り込んだS先輩は、声を上げて泣いていたよ。異性に対して、あんな風に号泣できるS先輩の涙は、本当に綺麗だったと思う。


S先輩も、今頃きっと、幸せに暮らしていると思うよ!



お兄ちゃんの遺影の周りに、沢山の黄色い向日葵が咲き乱れていた、お通夜の日。


自分が正面の席に座っていることが不思議で、何が行われているのかも、よく理解せず、あまり涙も出ていなかった気がする。



お兄ちゃんが泣いていたのは、告別式の前日だったと思う。


安らかに閉じた左目から涙が溢れていた。


お父さんとお母さんは、あまりにも可哀想だと言って、カメラで写真を撮った。


今でも、お兄ちゃんの死に顔は、アルバムの途中に、ごく自然に登場するんだよ。


お母さんは、自分が握ったお握りを、棺に何個か入れた。


働いていたお母さんを気遣って「お弁当は毎日お握りだけで良い」と言っていたお兄ちゃん。


一番優しかったのに、一番の親不孝者は、これから先も変わらずお兄ちゃんなんだよ。


最後のお握りを握ったお母さんの悲しみは、どれだけ深かったのだろう?



お兄ちゃんを火葬した日も、朝から晴れて、真夏日のように暑く、梅雨明けしたような天気だった。


お葬式が終わってから数日後、お父さんとお母さんが喧嘩していた。


お父さんは酔っ払っていて、お母さんは、お兄ちゃんの位牌を抱えて家を飛び出した。


私はとっさに、こうたの小さな手を引きながら、後ろを振り返り「必ず戻ってくるから」と言って家を出た。


車に乗って、どこかの駐車場に行き、長いこと停まっていた気がする。明かりが転々とする暗闇の中で、明日も学校だなとか、たわいもないことをないことを思っていた。



お父さんは、昔と今では、すごく良い方向に変わって、「お父さん」て感じになって驚くんだけど、お兄ちゃんが生きていたころは、まだ少し若気の至り的な、そんなお父さんだったよね。


お兄ちゃんが、「こんなものがなければ!」と、缶ビールを投げ捨てたのは忘れられない。


お酒は心身に悪いもの、根本的に根付いているから、私は今でもアルコールは殆ど飲まないよ。


ちょっと心配なお父さんだったかもしれないけれど、


お父さんの職場の人に、何か皮肉を言われたときに、お兄ちゃんは「そんなことないです。僕は父のことを尊敬しています」て、答えたんだってね。


お父さんの職場に手伝いで来ていたお兄ちゃんの、最後のバイト料を手渡しでもらったとき、お父さんは涙が止まらなかったらしいよ。



何十日間と続いた晴れの記録が破られた日は、お兄ちゃんの四十九日だった。


風のない雨は、サーサーと真っ直ぐに地面に落ちて、別れをひどく悲しむ大粒の涙のようだった。


親戚の人達が家に集まった。お兄ちゃんの大好きなお寿司が並べられて、和やかな雰囲気の中、お母さんは悲しそうな顔をして、ずっとせわしなく動いていた。


「お母さんは本当に強いね」


同級生のお母さん達に言われていた。


「私のお母さんは凄い人なんだよ」と自慢できる母ではないけれど、誰よりも辛抱強くて優しいお母さんだと、今は思っているよ。


***


お兄ちゃんは全然モテなかったけど、お兄ちゃんより運動神経のいい男子も、イケメンも沢山いるけれど、お兄ちゃんより優しい人は、なかなかいなかったんだなと、今は感じるよ。


おばあちゃんの家に、週に1回以上は通っていたお兄ちゃん。


死ぬ直前まで、いつも、弟を学童まで迎えに行っていたお兄ちゃん。


亡くなる数日前に、珍しく旧友の愚痴を溢した。高校生になってから、つるんでる奴らに汚染されたのか変わってしまったと、いつもは否定するけれど、何故か私はちゃんと頷いて聞いていたよね。そしたらお兄ちゃんは「お前は頑張れよ」と声をかけてくれた。

「お前は」じゃなくて「お前も」と言って欲しかったよ。



お兄ちゃんの最後は、あまりにも不可解だったから、家族が受けた傷も、より深くなった。


「寝たら最後」になるのではないか?そう思うと、眠れなくなった。半年くらいは、家族全員で同じ部屋に寝ていたと思うけど、その中でも私は、寝ると息ができなくなったんだ。


精神的なショックで、無意識にお兄ちゃんと同じ状態になろうとするのか?全く分からなかったけれど、呼吸ができないから睡眠不足になった。


「頭が痙攣しているような変な感じ」もしたから、お母さんが、都内の有名な脳神経外科に、私を連れて行ったんだ。


「てんかん」という病気だった。


私が中学2年のとき、ランニング中に、痙攣しながら意識を失ったときがあったよね?原因不明だったものの正体が、ようやく分かったんだ。


20歳過ぎまで、大粒のデパケンを朝夕2錠ずつ服用した。


薬に慣れるまでは、にぶい眠気がつきまとったから、今までしてきた活動の、全てが速度を落としたんだ。


お兄ちゃんのこともあって、薬の服用も始まって、心臓に負荷がかかる陸上競技を続けることを、お父さんが反対した。


お母さんは、「香苗が一番大好きなことだから、続けさせて欲しい」揺るがずに訴えてくれた。


学生時代は思うように走れなくて、結果も残せなかったけど、良い仲間に出会えて強くなれたんだ。


***


中学3年の夏。日常は、音も立てずに、あっという間に崩れていった猛暑。


受験勉強をしなければならない夏は、今までで一番、蝉の声を聞きながらスローモーションのように過ごした。何をして日々を過ごしたのか?殆どが思い出せない。


公立の高校しか受けないでと言われていたのに、私立でもどこでも好きなところを受けなさいと言い改められた気がする。


もう勉強したくないけど、大学まで行かないと行けない気がする。だから附属高校を受けたい。本当は、ただそれだけ。


直前の模試で合格率5%未満と出ていた附属高校の推薦入試を受けた。

数学もしくは英語の選択制と、小論文のみの試験。


「美しい時間について800字以内で論じなさい」


そんな問が出た小論文の試験。


何かに取り憑かれたように手が動く。お兄ちゃんのことを書いた。服用もしていて、試験を受けられる精神状態ではない中で戦っている自分の心の叫びを伝えたかった。本当にそれだけだった。


「合格は天国のお兄ちゃんからのプレゼントだね」塾の先生に言われたけれど、本当にその通りだなと思ったよ。


***


お兄ちゃんからのプレゼントが3つになったよ。

1つ目は、北海道の小樽で買ってもらったガラス細工のネックレス。最後の家族旅行、お兄ちゃんがバイト料で買ってくれた3000円くらいの、透明な薄ピンクのネックレス。


2つ目は、高校合格の通知。


3つ目は、何ヵ月か前に切り替えた携帯。

お母さんが、お兄ちゃんの携帯をついに解約したんだけど、今時ガラケーは珍しいから五千円で新品のスマホに交換しますと言われたらしいんだよね。


私の携帯が、ちょうどバクってきていたから、お母さんからもらったんだ。本当に良いタイミングで助かったよ!間接的なプレゼントありがとう!



「将来は保育士になりたい」お兄ちゃんが言っていたから、私が代わりになってみたんだ。


子供たちの純粋さや、真っ直ぐな笑顔に癒される、やりがいのある仕事。


お兄ちゃんにはぴったりな仕事だなと感じるのだけど、私は他に、叶えたい夢があるんだ。


だから、これからも応援していてね。


***


ウルトラマラソンで100キロを走りきったよ。


80キロ過ぎたら、脚が動かなくなってきたけど、お兄ちゃんが空から眺めているだろうから、身体は大丈夫、絶対にゴール出来るんだ!そう思ったら頑張れたんだ。


澄んだ空に、流れる雲を見上げたら、何だか泣きそうになって、涙ぐみながら走っていたよ。


「うちの妹は100キロ完走して準優勝したんだぜ!」


絶対に、皆に自慢してるだろうね。



「さとし、何で死んじゃったんだろうね」お父さんと、お母さんが言っていた。


10代の健康な若者が、不整脈で心停止するなんて、誰が予測できただろうか?


「さとしは一昔前のような子だったんだなぁ。」


だから、長生きが出来なかったと、ばあちゃんが言っていた。


お母さんには口が割けても告げ口できなかったけれど、


その意味が、私にはよく分かったんだ。


一昔前のようなお兄ちゃんと、誰よりも過ごした時間が長い私。血を分けた実の妹である私の存在はどうなるの?


胸に問いかけながら生きてきた。


今時では珍しいかもしれない私自身が生き延びること、それ自体がお兄ちゃんの無念を晴らす方法だと思う。


***


「致死性不整脈」での心停止を発症しやすい危険因子の一つが「突然心停止を起こした家族がいる」こと。


入眠時にも起こりやすく、時々眠れない夜もある。


動悸を感じたときは、全力で身体を覚醒させようと、夢の中でもがいている自分がいる。


今まで生きてこられたのは、お兄ちゃんから学んだ経験と、私自身の生命力の強さだと思っている。


「死」はいつ訪れるのか?分からないからこそ、好きなことを後回しにせず、できるだけ楽しみ、充実した毎日を過ごしたいんだ。


アリとキリギリスならば、断然キリギリス的な生き方をしていきたい。いつ死んでも悔いの残らないように、好きなことをしていきたい、


そう思って、今までを生きてきたよ。



お兄ちゃんの「死」は、生まれたときから決まっていたような、防ぎようがない必然的な出来事だったと思わせる、最後の朝。


感覚は今でも麻痺していて、お兄ちゃんを思い出すと「死」に対する恐怖が、穏やかに溶けて薄れていくんだ。

今ではもう、何も怖くないし、ごく自然なことだと受け入れているけれど、自分以外の誰かの為に生きていきたい、そう強く思う。


だから私は、毎日を、精一杯に生きるんだ。


ときに慌ただしくも穏やかに過ぎていく時に、1人だけ取り残されていくような、そんな感覚は進んでいる気がします。時代の流れにのることが生きる術と知りながら、濁流に抗うように、今立っている場所を強く踏みしめていたいと、不変の想いを探してみたいと、いつも何かに抵抗している気がするよ。


***


誰かに与えられる幸せは必要で、それは不確かに揺らめく蝋燭の炎のように、尊い幸せ。


自分の中で生み出す幸せは、苦難を経て、些細な物事でも美しいと感じられる


繊細だけれども、強くて確かな幸せのように感じる。


人生の8割以上が、辛い悲しい憎い恨む苦しい…その繰り返しの代わりに手に入れた、自分で作り出す「幸せ」その域に達する日も近く、今の私は、とても波が穏やかな人生の海に浮かんでいるんだ。



伝えたい想いがある。やり遂げたいことがある。いつかは誰かが認めてくれて、誰かの心を動かして、誰かを救えるような、そんな自分として生きていけるような、そんな未来を信じている。


久しぶりに長い長い、「詩のような手紙」を書いてみて、改めて分かったよ。


たった1人の人間が亡くなることが、どれだけ大きなことだったのか、14歳だった私が向き合えなかった現実。


本当は、お兄ちゃんとの思い出も書きたいし、こうたのことも書きたい、報告すべきことも、まだまだ沢山あるんだけど、あまりにも膨大過ぎて…でも、空の上からちゃんと見ているんだよね?


だから、もう終わりにしようと思う。


中学生ではなく、大人の自分に戻ります。



貴方と過ごした14年と11か月は、色々なことがありましたが、とても楽しく、かけがえのない日々でした。


     本当にありがとう


一番伝えたかったことは、ただそれだけです。


もう二度と、手紙を書くことはないですが、


次はまた、空の上で会いましょう。


その日まで、さようなら。



梅雨明けも間近いようです。ご自愛専一のほど、お祈り申し上げます。


令和4年 6月25日


根元香苗