仕事にボランティア、習い事など人生を楽しんでいた私としては、それらを休むのに連絡をしなくてはいけなかった。その反応に人間性が全て出るといっても過言ではない。私との関係性もあるし、私の余裕の有無にもよる。どんな言葉かけがベストなのか分からない。自分が言う立場なら、その時にベストと思ったようにするしかない。その時私なりに嬉しかった言葉や、腹がたった言葉があるけれど、それが全ての人にとっての正解とは限らないことも分かっている。どんな言葉を使うかより、本当にその人が心配してくれて、寄り添う気持ちがあって、自分を犠牲にしてでも私たちのために何かをしたいという覚悟があるかということが伝われば、その言葉は嬉しい。よこしまな気持ちが少しでも垣間見れると、その言葉は心に届かず、腹立たしいということなのではないかと思う。千羽鶴も本音では迷惑だけど、気持ちは嬉しい。クリーンルームなので飾れないのでと先に言っておいたので、千羽鶴の作成はやめてくれることになったが、学校を休むと、千羽鶴を贈られることになりやすい。
ママ友からのお見舞いメールも困った。「お宅も大変ね。うちの子が病気じゃなくて良かったわ。」と言った人もいた。本気でこんなこというのかと何度も読み返した。そういう人だよなと思ったけど、それなら、むしろ何も言ってこないほうがましだ。
「何でもするから言ってね」と言ってくれた人もいた。正直、何を頼んでいいのか分からない。ママ友くらいの距離の人に出来ることは何もない。気持ちに余裕のない時に、メールでお見舞いされても、返事に困った。愚痴を言えるわけでもない。本当に愚痴ったら重すぎる。こちらとしても、話しても分かるわけないと思ってしまっている。放置するわけにもいかず、3つほどスタンプを送ってお茶を濁す。
だいぶ前になるが、息子がまだ3歳のとき小児拒食症になり、小児精神科にかかった。結局、息子が病気なわけではなく、私が精神科にかかっても不思議でないくらい姑と実母に精神を追い詰められていて代わりに息子に症状が出ているということだった。実際私が精神科にかかっても、悪くありませんと言われるだけで薬ももらえない。息子は常にゲーゲー吐いている。結局は小児精神科で私がカウンセリングを受ける形で治療が進んでいった。待合室で待っているとき、同じ3歳くらいの可愛い女の子がおかあさんと待っていた。子供たちは二人でおままごとを始めた。はた目からみたら、この子たちは至って普通だ。でも小児精神科の患者なのだ。子供が病気である母親の辛さを一人で抱えていた私に、そのお母さんはなにも言わずに肩を寄せてきた。その肩から伝わる温度に涙が出た。2人でしばらく声を殺して泣いた。辛い気持ちに寄り添うってこういうことなんだと実感した。辛い時にはいつもそのお母さんの肩の温度を思い出す。何も言葉は交わさなかったし、名前も知らないけれど、辛い時にはいつも思い出の中の彼女に励まされた。
お見舞いするほうも難しいのは分かっている。でも本当に辛い思いをしている人に寄り添うって難しいことなのだ。