タイの寺院壁画3続き
長すぎて限界きたから二つに分けた。つづきをどうぞ
前回↓↓↓
3️⃣ワットプーミンの詳細
ワットプーミンは、カッタナグマン本生話とネーミラート本生話が描いてあるが、詳しくはこちら⬆️をどうぞ。物語の話にオチはないです。
上のブログに付け足しで、ワットプーミンの壁画のどこに何が書いてあるかの図をより詳しくしました。⬇️⬇️⬇️
だいたい上⬆️のようなイメージで……。次の画像がどこに誰の絵があるのかの図です。
①僧侶:作風がモロにナーン風でバンコクのものとは大きく異なるというのがわかりやすい絵、だそうです。
②ナーンの領主。領主2人候補あると言われているほうのジャオ・オーアーンさん(名前長いから勝手にそう呼んでるやつ)と見るのが一般的ではある。一般て、どこの一般ですかてかんじですが……。
③⬆️の領主の絵の候補であるジャオ・ソースアさん(仮)の絵はこっち↓では、と言われている。
ちなみに、この絵はマークという果物を潰しているところらしいよ。この↓道具を使っている。
ちなみにマークについては、昔のタイ人がよく食べてて歯が黒くなってたやつというイメージ。時代物のドラマを見るとマーク食べてるし歯も黒い。
※どうでもいい余談
なお、マーク食べるとき、黒い液体をペッするのですがそれが見映えが悪いつってピブーンのころに禁止されてたとおもいます。ピブーンは、これ以外にも外出するときは帽子をかぶれとかいう謎のお触れ書きを出しており、要は、タイ人の西洋化を目指していた模様。
④この絵は作者がナーンブアパンではないとされています(後述)。当時の風俗を反映させた服装をしている。男の子が耳に穴開けて花を挿してるとか。花イヤリングは領主の絵でも見られる。
⑤タイのモナリザとか言われている。なにがモナリザなのかは知らん。2人やんけ。マスターピースの扱いです。
⑥帽子をかぶっていることなどからファラン(=タイより西から来た外国人)を描いてるものと思われる。ファランてふつうヨーロッパ系のことを指します。
⑦カッタナグマン本生話より、カッタナグマンの嫁。ほぼ等身大。
そして、絵の中のラーンナー文字部分は何を書いてる?というのが(有識者のおかげで)ある程度わかったのでひとつピックアップします。(出典:จิตรกรรมฝาผนังเมืองน่าน)
ピンクラインを引いた箇所についてチョロっと解説。
上のマーカー部分:タイ語とラーンナー文字の対応関係と絵の中ではどう書かれているかの比較します。
カッタナグマンのママが、カッタナグマンのお父さんであるインドラ神が象に姿を変えて現れたときにのこした足跡を指さしているシーン。
比較するとこんなかんじになります。
なんかおもったよりわかりにくいな。この文は状況説明です。全体的にセリフより説明の文の方が多い印象です。セリフの場合は「ゴメンなさい」レベルの短いやつが多いように見ました。教科書通りのラーンナー語ではないので活字で打ち込んだラーンナー文字とは若干の違いがあります。
下のマーカー部分:綴り的にタイルーもしくはタイクンの人だということがわかる。というはなしをしています。
これを見ると、文字は違うけど結構タイ語と対応しているような気がする。ラオス語読み解くのよりちょっと難しいかなってくらいですかね。法則性もある程度見えてきましたが読みこなすにはまだ時間がいるな。たとえるならば、ハングル覚えて音を多少推測できるようになりました程度の段階です。
3月にラーンナー文字の教科書をスキャンしてきたので固めたいです。タイ語とは単語は共有しているものも多いし。まあ、文字の見た目がミャンマーすぎて難しいが。これある程度読めたらミャンマー語もすぐ習得できそう(適当な発言、タイ語とミャンマー語はそもそも全くの別言語ですからね。)。
なお、今のところ、「カッタナグマン王子のママ」て言ってるところだけは絵の中で識別できるようになりました。。。(เจ้าとแม่の文字と綴りがタイ語とほぼ同じ形をしているため。)がんばりナス![]()
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4️⃣作者のはなし
ワットプーミンとワットノーンブア(とあともう1つ実はあるらしい)の作者、同じ説、みたいなのが40年くらい前に議論されていて、すでにある程度の結論は出ているらしい。まあ、同じでしょうというのが大方の見方のようです。
ここでは、
①過去の研究者はどのようなポイントからワットプーミンとワットノーンブアの作者が同じとみたのか。
②作風はどんなん
ということを書きます。
①過去の研究者はどのようなポイントからワットプーミンとワットノーンブアの作者が同じとみたのか。
(1)色づかい
まず、赤青黄を基礎に色を混ぜて使っているところが2つの寺で共通しているとのこと。
そのなかでも特に特徴的ないろが、青です。藍がかった水色を人物の衣服や背景に使っている。
ワットプーミン⬇️
ワットノーンブア⬇️
補色やちょびっと黒を混ぜて彩度を落としたり、空のぼんやりした空気感を出すために白絵具ではなく水を混ぜる比率を変えたりして、青のバリエーションを作っているそうです。
(2)空想とリアリズムの混ざった作風が独特であるということ
本生話の部分があるのでそれと調和させるために、全体的には2次元的かつ空想的な表現で、当時西洋から入ってきていた写実主義的なものは基本的には取り入れていない。(なお、同時代のバンコクではラーマ4世期~5世期にあたり、写実主義の壁画が見られます。あんまり上手じゃないが……。)
しかし、全体的には2次元な壁画のなかで、リアルに描こうという意図が見えるところがラーンナー絵画のなかで特異なところらしいよ。たとえば、先に紹介した人物の絵です。当時の髪型や服装、持ち物などを忠実に描いている(だから、歴史の研究者も参照しに来る)。
(3)2つの寺に共通する図像が40以上あること
2つの寺院とも人物の顔の描き方が他のラーンナーの寺院壁画と比べて特徴的です。たとえば、眉頭から伸びてる線が鼻に繋がってるとか。
↓ワットプーミン
↓ワットノーンブア
あとは、単純に同じ構図の絵が2つの寺院にで見られるということ。
たとえば、先述の、猫に餌を与える尼僧とか。
↓ワットノーンブア
(4)ナーンブアパンは鳥を描くのがすきだったが、両寺に様々な種類の鳥が見られること。
ふたつの寺で同じ鳥を描きがち。
(5)壁画中で文字による説明書きをしているが、その文字が特徴的。
②作風はどんなん
準備中ということにしておきます。金曜日までには書く。(ギリギリすぎる)(バイト入れているばあいではなかった)
・ナーンブアパンはどんな人?
・ワットプーミンでは別の絵師に描かせた部分がある。そことの違いは。
おまけ:ワットセーンムアンマー
ランパンで見に行ってきたやつです。
旅の様子はこちら⬇️
京大の東南アジア研究所図書館に置いてあったソン・シーマトラン先生の本を日本語訳したやつで紹介されていたので行ってきました🌹✨✨🌰
由緒調べる時間がないがとりあえず行ってきたよの報告代わりに写真を貼っておきます。
































