寺院壁画つづき

※2025/11/01追記

今となってはここに書いてある内容がド薄すぎてどんげばびーなのですが、内容編集するのもだるいしまた新たにブログ書くのでこのままにしておきます。


ゼミ発表があるので基本的な情報をメモです。PDFの資料作ろうかなとも思ったけど、デジタル音痴すぎてPages(iPhoneのワードみたいなやつ)の操作にイライラしたのでアメブロに帰ってきました。そもそもパソコンがないし……。(起動が遅すぎてムカついたので実家に置き去りになっている。)


前回の分はこれ⬇️⬇️⬇️




3月にタイに行って、ナーン県のワットノーンブアに行きました。🛵🛵🛵その分の進捗がある……???


とはいえ、話の内容的にタイ語の音写ばかりで意味わからんすぎると思われるので、寺の所在地ナーンの雰囲気を知りたいだけの人はこれ↓だけ見てくれれば概ねわかるとおもいます。


そして、もう別に全てがどうでもいい人はこれ↓を読んでタイの雰囲気を掴んでくれよな(単純に見せびらかしたい旅ブログNo.1というだけ笑)!


あとこれ↓が1番タイを感じられる(気がする。)(ロットゥーを道端で止めて遊び回る編です。)



ほんとにサイアク、某長距離バス会社の歌の動画だけ見てくれたらもうだいたいタイがどんなところかわかる気がする(はなほじ)。超ゆるい。微妙にダンスが揃ってなくて良い。

ワシがタイが好きな理由全部これに入ってる(わけないだろ)(まあ、このゆるさが好きなんだよな)。



以上、前置きでした。本題入ります。



もくじ
1️⃣タイ北部ナーン県の寺、ワットプーミンとワットノーンブアの基本情報、+αナーン県はどんな県ですか大あくび大あくび大あくび
2️⃣ワットノーンブア
3️⃣ワットプーミン
4️⃣作者のはなし

長いので二つに分けました。3️⃣と4️⃣は次のブログです。最後にリンク貼ります。


※目次機能追加につきこっちもつけときます!


1️⃣寺の基本情報、所在地ナーン県とは

オエーワットプーミン基本情報


所在地:ナーン県ムアンナーン郡(県庁所在地的な町)(ตำบลในเวียง อำเภอเมืองน่าน จ.น่าน)


寺の建設年代:พศ.2410-2417(寺の創設自体は仏暦2139年(西暦1596年)だが、今あるウィハーンの建設が⬆️の年代ということです。)


壁画が描かれた年代:ワットノーンブアの完成後の2430~2431年ごろに描かれはじめ、2443~2446年の間に完成したと推測される(詳しくは後述。)。


作者:หนานบัวผันナーンブアパンと読みます


寺の地位:ナーン県のシンボルという扱いです。タイでは王室仏教寺院の格付けなどがあったりしますが、ワットプーミンはそーいうの特にないですね。ナーン県の他のお寺では第3級王室寺院はありますが。


本尊:四面の仏像です。写真の通り。修理しているようで2年以上この布にプリントしたやつしか見れない状況です。



補足情報:ウィハーン(仏堂)とウボーソット(布薩堂)が一体となっており、4つの入口がある。各入口は北タイでよく見られるナーガ(ヘビ🐍)で飾られている。建築物としての美術的価値が高く、かつて1バーツ札に印刷されていた。(1バーツ札は現在廃止されている。)

(จิตรกรรมฝาผนังเมืองน่าน P46より)


※普通のお寺は入口1つで仏像は1番奥にありますが、ワットプーミンは真ん中に四面の仏像が配置されていて、仏像のまわりをぐるっと1周できるというような構図です。





オエーワットノーンブア基本情報


所在地:ナーン県ターワンパー郡パーカー(ตำบล ป่าคา อำเภอท่าวังผา จ.น่าน)


寺の建設年代:シップソーンパンナーからノーンブア地区に移動してきたタイルー人が建設した寺が元になっている。2405年に現在の場所に移動。

※ノーンブア地区の長老みたいなひと(ワットノーンブアの元住職的な人)の証言から推測される年代。文書による記録が残っているわけではない。


※シップソーンパンナーとは

中国南部のタイ族自治区。主にタイルー族が居住している。


※タイルー人とは

中国、ラオス、ミャンマー、ベトナム、タイに広く分布する少数民族です。独自の文字や言語をもつ。ワットノーンブアとワットプーミンの作者はタイルー人だと言う人がいますが、定説ではラオス・ルアンプラバーン方面から連れてこられたタイプアン人の俘虜だといわれています。



壁画が描かれた年代:2410年〜2431年

※先述の長老というか元住職の証言でわかっている。これに対してワットプーミンのほうは正確にはわかっていなくて、推測に頼らざるを得ない状況です。


作者:หนานบัวผันナーンブアパン


本尊:ワシが行った時は謎に布で包まれてました。お寺を軽く修理してたからそれでかな🤔


一応布ないやつを図版から。↓ちゅ・白黒でゴメン

(出典:วัดภูมินทร์และวัดหนองบัว)


オエーナーンの郷土史

これは参考までに。まあ、フーンくらいに聞いておいてください。


ナーン王国

ナーンにはむかし、ナーン王国というのがありました。(ナーン年代記とかいう本があるらしいが今読めるのかは謎です。)

まああの、東南アジアの統治の構造として、入れ子型統治というのがありまして、大きなムアン(くに)のなかに複数の中ムアンがあり、中ムアンのなかにさらに小ムアンが複数あるみたいなやつ。ナーン王国は多分、中ムアン的なものです。ナーン王国の上にはミャンマーとかラーンナー王国とか、バンコクのほうの王朝とか、何らかの大ムアンの存在があるイメージをもってください。

大ムアンの支配の順番としては、ラーンナー王国(1993年~2101年)→ミャンマー(2103年~2329年)→サイアムのトンブリー王朝&現王朝(2329年~2474年)です。その後はナーン王国の形ではなく、タイランドに吸収されて、いち都道府県みたいなかんじになったと思ってください。

東南アジアの歴史て日本史とかヨーロッパ史とは概念からちがうかんじある。


・ワットプーミンの壁画の年代の2人の領主

ひとつの問題として、ワットプーミンのこの絵はナーンの領主が描かれているとされているが、具体的に誰なのかについて2択で説が分かれている。


説①:ワットプーミンが大規模に修繕されたときの領主であるเจ้าอนันตวรฤทธิเดชฯ(ジャオ・アナンタウォラリッティデート、でしょうか、長いので頭文字とってジャオ・オーアーンて呼んでもいい??てか領主Aとかのほうがわかりやすいですか。)


説②:絵が描かれたときの領主であるเจ้าสุริยพงษ์ผริตเดชฯ(ジャオ・スリヤポンパリッタデート、仮にジャオ・ソースアとかとしますか。まあ、領主Sでもええけど。)


ソースアさんはオーアーンさんからの王位の継承者です。作者のナーンブアパンはパトロンである領主の指示というか影響を受けて壁画を描いたが、肖像としてどっちの領主の絵を描いたか、でどっちの影響が大きいのかわかりたいという話。


ここではこの話は問題提起に留めておきます。(時間切れのため。驚き驚き驚き)



2️⃣ワットノーンブアの詳細



これ⬇️はワットノーンブア行った時の旅記録です。ついでにどうぞ( ̄▽ ̄)


この寺は、バスターミナルがあるナーン市街から40kmくらい離れている。さすがにここまで遠いとバスターミナルにいる車を出してくれるおじさんたちに交渉しても嫌がられます‼️1万円くらい出せば納得してもらえると思うけど、これもう日本の日給とほぼ同じだからね。人を雇うてそーいうことよ。


そんな金は出せないので自分でバイクを運転。1000円(200バーツ)で借りた。このために留学中、わざわざ3日も教習所に行ってタイのバイクの免許を取ったんだよ。(日本の免許取ったことないから国際免許切り替えとかできなかった。)


まあ、バイクレンタルで免許見せろて言われたの1回しかないけど……。バイクレンタルしに来たのに「運転方法わかる?」て聞かれたこともあるし……(無法地帯草)。


というわけで寺の話をします。


オエー絵の内容

※黄色、ジャンタカートだったわ直しといて驚き(音節を入れ違いで記憶していたようです。)


💚緑:過去仏(座ってる)

左右それぞれ2体ずつ、計4体です。(タイ語の類別詞องค์をなんて訳すべきかわからん。仏てなんて数えるの)


❤️赤:過去仏(立っている)

これも左右それぞれ2体ずつ、計4体。座ってるほうは装飾品を身につけておらず、立ち姿のほうは王族の装飾品をつけている。(冠とか首周りの装飾とか、腕輪とか斜めがけのジャラジャラとかがそれ。)


‪🧡‬‪橙:弟子

過去仏たちの両サイドに弟子が2人ずつ。(สาวกと説明されているので弟子でいいよね。)



💜紫:人物画

南側は、猫に餌を与える尼僧。ワットプーミンにもほぼ同じ図像がある。



北側は、作者であるナーンブアパンの自画像と言われている。ブアパンは鳥を描くのが好きだったと言い伝えられていて、この絵も肩にオウムがのっている。



🩵水色:須弥山

仏像の背後にあるやつ。


🩷ピンク:仏陀伝

インドラ神がピン(という弦楽器)を弾いて、釈迦が苦行をやめる場面。


遠くて見づらいので図版⬇️⬇️



💛黄色:ジャンタカート本生話

Now loading…⸌⍤⃝⸍


オエージャンタカート本生話

準備中………


(ジャンタカートは、ワットプーミンのカッタナグマンと違って本生話集みたいなのをちゃんと見つけてこれたのですが、文章が読みづらすぎて読み終わりませんでした……。)


ジャンタカートがなんなのかだけ書いておきます⬇️

・ปัญหาสชาดกปัจฉิมภาคという本生話集のなかの11番目の本生話。

・壁画に描かれているのはワットノーンブアだけ。

・ラーンナー語で韻文として書かれた、本生話を元にした物語はラーンナー全体で親しまれたが、ジャンタカータもそのうちの1つ。

・詳しい内容はNow Loadingでおねがいします()←タイでスキャンしてきたジャンタカートがマジで何言ってるのかわからない




ここで限界が来たので次のブログに続きます……