今日 あの震災以来 久しぶりに 偶然に友人と会った。

逢えた と言った方が良いだろう。

あの震災後 なかなか連絡が取れず、一か月を経過した時、やっと生存確認できた時、彼女は

「今、息子のところに避難している。家が液状化で亀裂が入り、外から わからないが、もう 住めない。
子供も巣立った。今から借金をして家を建て直しても、また地震があれば、あの土地なら、また同じことが起きる。もう、帰れない。」

それから一年半。

私は、自分から連絡ができなかった。

私たちは、同じ住宅地に住んでいる。

しかし、いわゆるジブリ映画「ぽんぽこ」のように、山を崩して造成した住宅地だ。

山は、川もあれば、沼もあり、沢もある。

山を切って造成した土地は 切り土(きりど)。

川・沼・沢などを 埋めて造成した土地は、盛り土(もりど)という。

何年か前、近くの住宅地で陥没があった時、うちの住宅地でも、回覧で地図(盛り土か切り土か、わかる、川・沼・沢のあった所が、分かる地図)が回った。)

運良く、我が家は沢の最後の端っこの切り土に建っていたが、同じ並びでも盛り土と切り土があり、さらに土地の中でも盛り土と切り土が混ざっている土地もあった。

今回の震災で、この盛り土か切り土かが、明暗を分けた。

盛り土は、水があったところに土を盛ったので、当然地盤が弱かった。

しかも、わが住宅地の中で、もっとも被害の大きかったのは、その友人が住む近辺で、かつて川だったという。

同じ住宅地でも、全体で一千世帯もあるのだから、友人といっても、近所に住んでいるわけではない。

震災が少し落ち着いた頃、友人たちが住む区域は、集会所が避難所となり、家に住めなくなった人々が集まっていた、と知った。

友人と最後に連絡を取ったのは、安否確認のために、やっと通じた携帯だった。

昨年の3月末。
無事を喜んだが、家のことを聞いて 何も言えなかった。

「ここに住みたくない。」

と いう友人を止められなかった。

人様の家を建てるほどの財力が私にあれば、何か言えただろうか。

否、彼女は、私から施しをうけることなど 喜んだとは思えない。
近所に、お土産や たくさん作ったオカズを配るのとは違う。

家だけではない。

土地に問題があるのだから、決めるのは彼女と彼女の家族。

私は 「どこに住んでも、また生きてさえいれば また会える。どこにいても、友達だから。」と

そんな ありきたりの言葉を言ったっきりになった。

彼女の家・土地がどうなったのか。

「どうなったの?」

なんて とても聞けない。

気にかけながら 一年半が過ぎた。

ここのところ 彼女のことが思い出されてならなかった。

思い切って メールしてみようか。

一年半。もし引っ越していても、話くらいはできるのではないか。
そんなことを 日々 考えていた。

今日 突然に 本当に思わぬ場所で 偶然に 彼女と再会した。
「 私 ここのところ ずっと あなたのこと 考えていたの。会いたいって 思っていたの。良かった!会えて良かった!」

彼女は、元気にしていることを、何度も話してくれた。

今、仮設住宅にいるという。

「どこの仮設?」

「借り上げみたいなもの。普通のアパートを仮設として借り上げたの。」

そう言って、そう遠くない場所を 教えてくれた。

さらに、

「今ね、うち 更地になったんだよ。新しい家を建てることにした。」

え?

「土地に手を入れて、液状化をふせぐようにするの。それから、子供もいなくなったから、小さい家を建てるの。」

「いつ?いつ、こっちに帰ってくるの?」
「来年の3月くらいかな?元気だから、大丈夫だよ。家が建ったら遊びに来て。また、お茶のみしよう。」

ありがとう。

元気になったのは、私の方だよ。

想いは通じるのかな。

私が無事で、生活していることを知っている被災地以外の人々に、同じ住宅地から、仮設に入っている人がいるなんて、想像できないだろう。

それぞれが ひとりひとり 違う事情で傷ついている現実。

来年、震災から2年。

彼女は、自宅に帰ってくる。

そして、私たちは、この先の3年目。

まだ、歩き出せない人々を、決して忘れてはならないのだ。