カミングアウトの話です。

「おかしい、内定がもらえない」

これは、30年以上前の旦那の言葉。

わたしが短大生の頃、大学は違うけど
サークル活動などで交流のある大学4年生だった
当時付き合い始めたばかりの彼(旦那)は悩んでいました。

ここから、過去を回想するときの旦那は「彼」と表記します。


恐らく11月も過ぎていたと思います。
4年生ともなれば卒論もさることながら
就職活動に忙しい時。

もう何社も受けているのに、一向に内定が出ないでいました。

彼の大学は地方の国立大学ながら、技術系学部なので
当時から就職率はとても高い学部です。

当時はバブル直前であまり就職率がい良い方ではありませんでした。
でも、技術系で、高度な専門知識を学習しているので
ほとんどの人が早い段階で、それも名のある有名企業から引く手あまたで
早々と内定をもらえる学生が多かったのです。

こういっては失礼ですが
同じサークルで(彼とはサークル活動で知り合いました)
どう見ても講義を受けてないんじゃない?
しょっちゅうパチンコばかりしていて
居場所が不明の時はパチンコ屋を探せ、とまで言われていた人ですら
噂では出席日数も足りず卒業証書も出ないのでは?
とまで言われていた人ですら
その人の地元では有名な企業に早々と内定を決めて、就職先を決めていたのに。

それなりに、普通に勉学して教授について実験して
必死に卒論をまとめようとしてる彼が
まだ内定がもらえず、あがいてました。

選ぶ企業を高望みしすぎ?
それも考えたようですが、やりたい仕事のある職場に就きたいのは
誰しも考えることです。

まさかと思うけど、
と、
わたしにボソッと
大手企業から内定がもらえないことに考えられる理由を
話してくれました。

「父親が〇〇党員なんだ」

まあ、隠さなくても誰でもわかる政党なんですが、
いわゆる左の方に属する党の末端党員でした。

党が発行している機関紙も購読し、
会合には欠かさず参加していたし、
生前は
家の外壁には目立つようにポスターが、
党の理念を主張する内容のポスターが貼ってあったのです。

かなり活動していたようで、
勤め先は青森県内では有数の大手企業にもかかわらず
やはりちょっと出世街道からははずれていたし、
そっちの方にかなりお金もつぎ込んだと聞きました。

でも彼は父親は父親で、父親とは一線を画して
活動には一切関わらないように過ごしていたのに
大学だって他県だし、まさかとは思うけど・ ・ ・


親の活動を調べてるかもしれない


と、ぼそっと。


大手企業は、こういう事には昔から敏感なんです。
就活してる本人だけじゃなく、本人の思想に親が影響しないか、
調べるものなんだ、と
のん気なわたしはこの時初めて知りました。


義父は定年退職してからも、亡くなるまで
ずっとかかわりを持っていたようで
日曜には機関紙の日曜版を配布していたこともあったらしく、
葬儀の時は
正直誰かわからない方が、予想をはるかに超えて
多数参列していたほどです。


ところで、
旦那の7つ違いの弟は大手企業に就職してます。
多分買い手より売り手市場のバブルの頃に就活していたし、
旦那より偏差値高い国立大学の更に難易度高い理系学部で
学んでいた、というのもあったかもしれません。

旦那は常々、弟は俺より頭がいい。

と言っていますし、
確かに弟さんの、
親が倒れてからの親への気の使いよう
さりげないところで気が利く度合いは本当に頭が下がりますもの。


話を戻して、
彼は視点を変えて
でも、もう募集している企業もだいぶ減ったこともありますが
ランクを下げて、と言っては失礼かもしれませんが
今の職場にようやく内定がもらえたのでした。

でも、リストラが大きく叫ばれてた時でも人員削減整理されず
ずっと仕事を続けられてるのですから感謝してますが。


で、
今はそうでもなくなったかもしれませんが、
少なくとも、旦那の就職活動時代には
親が何をしているか、も
企業は重視してるのかもしれない。

というのがずっと引っかかっておりまして

我が子たちの就職もどうなるか、心配してました。

親の活動が、どこまで子どもの就職活動に影響するか
いくら、そんな活動はしてないとはいえ
本気で心配してました。


でも
長女も長男も無事、正社員として
普通に職に就くことができたので
ホッとしております。

それで
念のため、どこに目がついているのかわからないので
今までは伏せていたのですが
カミングアウトすることにしました。

まあ、
そんなこと気にすることはないっちゃあないことですが
今は売り手市場ですし、実家は他県ですし、
そこまで細かく調べることはないでしょうが
気持ち的に
あまり大きくは言えないかな、と思いまして。

義父も他界して2年以上経ちますし
家の外壁には当然ポスターは貼ってませんし。


さてその左よりな考えについては、
父親の活動には距離を置いていた旦那ですが
それとは別に、戦後教育にどっぷり漬かっているので
やはりお花畑な考えはなかなか抜けきらないのですが
わたしの方が先にお花畑から脱出したので
少しずつ少しずつ、
真ん中の考えに修正していくよう引っ張っているところです。

でも、
常に仕事が忙しいから政治のことなんて考えてる暇はないんですよね。
それが今の一般的な日本人なのかもしれません。


 

 

 

教育事情といいますか、
去年の暮れに期せずして旦那の親戚が集まり、
普段はめったに顔を合わすことのない
旦那の母方の従兄と話す機会があり、
彼は教職員をしてまして、もう年齢的に役職クラスでして
いろいろと青森の教育に関する裏話を聞きました。


義母の葬儀のため、実家の青森に滞在したときに
実家や火葬場、お葬式などの場で
旦那は喪主として忙しく動き回っている中、
わたしや、わたしよりもっと面識のある旦那の妹や弟、
それぞれのパートナーの方とともに、まあ、雑談です。

従兄は職業柄、話も上手で、どちらかというと従兄の話を聞く、
という形で、
今の役職になるまでは、もちろん教員として
青森県内を転々と赴任してきたのですが
担任を持たない身分になったことで、
こうして親戚の葬儀に顔を出せる時間が取れたようで。
声をかけづらい役職のわりにわりと堅苦しくなく、雑談ぽく、
従兄も、普段はあまりいえない事でも
身内だということもあってか、ざっくばらんに話してました。

わたしが秋田に住んでると知っているので、
まずは、秋田県知事は教育に力を入れている、
秋田がうらやましい(教育に関してだけだと思うけど)
青森はだめだ、商業にばかり力を入れている、と。

青森の海産物や農作物を売り込もうとなると、
位置的に本州のはずれなので、
どうしても輸送にハンデがあって、鮮度が落ちてしまう。
だけど
沖縄を拠点に、物流をうまくつなげるシステムを構築して
沖縄のみならず、そこから海外にも短期間で運べるようになり、
鮮度が高いうちに提供できるようになった、と。

ならいいんじゃない?
と思ったけど、従兄としてはそれよりも
教育に金かけないと、青森の未来はない、
という思いが強いようで。


青森有数の観光地の一つである十和田湖(秋田もだけど)も、
今は(お土産施設など)何もない。
1度見れば十分で、長く滞在する場所ではない。
と、
嘆いていた、というか、切り捨ててました。

わたしが
「星野リゾートが進出してますよね」
と言ってみましたが
それでも青森の観光を潤すほどのことではないとの見立てでした。
わたしは1度しか行ったことがない奥入瀬渓流に
また行きたいし、素晴らしい場所だと思いますけどね。


従兄は教育者らしく、
小手先の商業より、もっと教育に力を入れなければ
子どもたちの教育水準を上げなければ
青森がよくならない、
と、嘆いてました。

まあ、秋田県も知事がいいから教育水準が高いのか、
そこはよくわかりませんけど。

青森県の全国学力テストは中学生は2017年で15位(秋田県3位)、
小学生で6位(秋田県2位)だから
それほど悲観するものでもないとは思うんですけどね。


それから、
現場の話として
去年ちょこっと世間を騒がせてしまった
青森県内の女子高校生の家出。

無事見つかって戻ってきましたが、
家出の理由は、いじめがあったんじゃないか、とか、
学校に問題があったんじゃないか、とか、
マスコミは必ず学校のせいにしたがる、
学校の方に落ち度があったから家出したんじゃないか、と
突っ込んでくるそうです。

でも
家出の原因は
家庭の問題で、全く学校生活とは関係ない、
捜索願を出した親も、そこは強調してくれて
学校には問題がないことがはっきりしたのですが
マスコミは何かと事件にしたがるんだそうです。

特に、地元の放送局や新聞より
要注意なのは全国紙。
A新聞は根掘り葉掘り、粗探ししたがるそうです。

マスコミが来ると、教育委員会は現場が分からないから
学校へ。
学校は教育委員会へとマスコミの対応と
生徒の個人情報秘守と
立場上対応に追われることもあったそうで
学校も何かと色々大変だという話をしてくれました。

まあ、
こんなこと、身内だけに話せるグチですね。


他にも、
いくつか具体例を挙げて
ここに書こうかと思ったんですが
具体的すぎる事はまだちょっと詳しく書かない方がいいかと思い直し、
すみませんが内容は伏せますが
青森県内の学校に起こった事例をいくつか紹介して
でも、どれもマスコミは事件性を求めて
ツッコんでくるけれど
生徒もその保護者も毅然と、学校は悪くない
こちらの責任だ、と言ってくれる案件だったので
救われた、と。
マスコミは公平な目で見る、というより
学校に責任があれば社会問題になり、
世間の目を引くことができるから
そういった記事が書ければそれでよい、
といった態度が見えるので
どうしても不信感を抱く、みたいに感じてるようでした。


義母の不幸ではあったけれど、
旦那も、旦那の妹弟も、大人になってからは
めったに話したことのない従兄と
思いがけずたくさん話ができて
きずなが深まったんじゃないかな、と勝手に考えたり。
わたしなんかも、もともと部外者だったのに
なんとなく仲間入りできて、ちょっぴりうれしさ感じたり。

なかなか有意義な時間でした。

この従兄は、これをきっかけに
定期的に従兄会を開催しよう、と提案してました。

わたしの立場は、
旦那の家系には、正確には血縁のないただの配偶者なので
これには何も口出しする立場にないけど
旦那と、旦那の妹弟たちには
とても良い繋がりが広がるきっかけなんじゃないかな、
と思いました。






2017年末の出来事は日常からかけ離れていたので、
その時に見て聞いたことは心に残ることがたくさんありました。

その中の一つ。

2017年末に他界した義母は、施設に入居していました。

旦那の実家は、2015年11月にに義父が他界してから
だれも住んでなかったのですが、
去年から旦那の弟さんが職場に青森への転勤を申し入れ、叶い、
住むことになり、一部リフォームしてバリアフリーにし
キッチンと居間とトイレが新しくなり、
特にトイレは車いすと介護者が一緒に入れるくらい、広くしてくれました。
義母が自宅に戻っても、快適に過ごせるようにと
リフォームをしてくれました。
弟さんと、伴侶の方と2人で一緒に移り住み、
自宅を守ってくれていました。
2人はお互いの意思で入籍はしてません。

更に、自家用車も、義母が介護付きで車椅子のまま乗車できる車に
買い換えてくれて、秋に届いたばかりでした。

仕事で全国あちこちに移動していて忙しいのに
いろいろ気が回り、行動的な弟さんなんです。

それに引き換え、
我が家からは、まだ子どもの学費や教育ローンもかかえ
何もできずにいたのに、本当に頭が下がります。


さて、
「その日」の前の日は、
義母は今年(2018年)に大静脈瘤の手術を控え、
検査のために病院に検査に行く日でした。

弟さんと、パートナーさんが
施設から義母を施設から連れ出してくれ、
病院での検査が終わった後、施設近くの大型ショッピングセンターで
義母と食事、買い物をしたそうです。

なので、その前兆はほぼ、全くなかったそうです。
施設の人の話では、時折、入浴中に意識を失う事はあったそうですが
その頻度は少しずつ多くなってはいたそうですが。

体の自由がなかなかきかないだけで、
頭脳は全く衰えず、精神も、記憶力も何も問題のない義母。
義父のお葬式の後、参列者の方で
子どもたちだけではどうしても関係がわからない方がいても、
義母に聞けばどこのだれかすぐ教えてくれたし、
親戚の〇〇さんは昔どこに居たっけ?なんて話題も、
はては、ネクタイは家の中のどこにあるか、なんてことまで
横になってはいるけど、義母に聞けばなんでも答えが出るという、
旦那の妹さんは「生き字引」と崇めていたほどの方です。

なのに、
病院から戻ってから、夜、就寝時間の後、
日が変わって「その日」の未明に
義母は突然この世を去りました。
心不全でした。
大静脈瘤が影響したかは、わかりません。


とても長くなりましたが、ここまでが前置き、説明です。
ようやく本題です。


ここからは、
弟さんのパートナーさんが、義母の施設の方から聞いた話を
わたしが「また聞き」したものです。

「その日」、夜勤の方が見回りをしていた時のこと。
義母が亡くなったのは夜中の2時ころだそうですが、
施設の方が夜中1時ころ、おむつ交換で各部屋を巡回していたそうです。

廊下は薄明り、各部屋は、個室で、扉が引き戸になっていて
扉の下の方にすき間が開いていて
各部屋の明かりが漏れるようになっています。
当然、各部屋は皆就寝していて暗いので、
廊下に部屋からの明かりは漏れません。

なのに、
夜中の1時ころ、施設の方が巡回していた時に
ふと、義母の部屋のある廊下の方を見ると、
義母の部屋の扉の下の明かり取りのすき間から
ぱあっと
光が輝いたそうです。

それは一瞬で、
すぐ消えたらしいです。


もしかしたら、ということで
それを見た施設の方が

ああ、ご主人がお迎えに来たのかも

と、感じたそうです。


この話をどう感じるか、それぞれではありますが
わたしは、施設の方がおっしゃったことを
同じくそのまま感じます。