お久しぶりです。
先日、前々からこのブログに書いていた私の祖父が亡くなりました。
末期の胃癌でした。
ここから出来事を振り返ります。
祖父の胃がんを去年の7月に知って、余命宣告6ヶ月と言われ、それから抗がん剤をいくつか試ししたけれど、ただ辛く、良い細胞を殺しただけで全く効果はなかったと言っていました。医師も「もう治療はできない」と最終的には自宅医療で最期を迎えました。
自宅医療になった時に祖父は「俺は抗がん剤も受けさせてもらえない見捨てられた」と弱気なことを言っていて私はなんと言葉を返したら良いか困ったけれど、現在、新型コロナウイルスのため、病院に入ってしまうと面会ができないことから自宅医療をすることとなった。
自宅医療はとても大変そうで、頑張ってくれた従兄には感謝でいっぱいです。
私はコロナの多い都心に住んでいるのと学生でもあって、なかなか会いには行けなかったけれど、会える限りは会いに行けました。
と言っても、どうしたらいいか何をしたら良いかわからなかった時にバイトの先輩がアドバイスしてくれて、、、
”会えるかぎり会いに行った方がいいよ。俺は後悔したから。”
という言葉に救われました。あの時、本当に会いに行ってよかったと今改めて思いました。先輩にはとても感謝でいっぱいです。
12月後半、祖父は年を越せると報告が入り、安心して年を越したのです。
心のどこかでもう今年にはいないのかなと悲しくなっていたので、一つの報告でとても安心した自分がいました。
1月1日
毎年恒例のように父方の祖父母に会いに行きました。
いつもなら祖父の「いらっしゃい、よく来たね」って言葉で出迎えてくれるけれど、
今年はいつもの声が聞こえなくて、少し寂しさを感じた。
ベットで寝ている祖父のことが今でも忘れられない。
それもそうです。
私が実際に最後に見た姿があの姿だったからです。
祖父から直接最後のお年玉をもらって、
その日、毎年恒例に撮っていた最後の集合写真を撮りました。
前にあった時よりも顔色も良く、
私と祖父の笑顔のツーショットも撮れて私がとても気に入りました。
「成人式楽しみにしててね!」「また来るね!!」と私は言って祖父にグーサインを出してその場を去りました。
その後、祖父はだんだん幻覚が見えるようになり、飛んでいないのに虫が飛んでいるように見えたり、壁に吸い込まれるようになったり、揺れてもいないのに地震が来たと言い出したり、昔のことを思い出したり、、、まともに話せなくなっていたらしいです。
せん妄のことは父から言葉で聞いているだけで、本当なのか、実際どうなっているのか私はあまり実感がなかったです。
1月10日
コロナウイルスがある中で私は無事に成人式を迎えることができました。
祖父とビデオ電話をしたかったのですが、せん妄がひどくなっていると聞いて今は無理だと諦めた時、やっぱり掛けようとかけたところ従兄のおばさんがビデオを繋いでくれて、祖父に振袖を見せることができました。
あれだけせん妄と言われていた祖父でしたが、電話ではいつも通りで、私を見て「可愛い」と言ってくれて、母も呼びかけ、ちょうどその時、母の両親(祖父母)も来ていて、「成人おめでとうございます」とちゃんと母の両親のことも認識していました。
成人式を見せることができて本当に良かったです。
成人式まで生きる約束を守ってくれて嬉しかった。
1月18日
3日前、もうあと3日が限界かもな…と父に言われていて、
母とコタツに入りながら、◯◯(祖父)は幸せだったかな?
良い人生送れたかな?
なんて話をしていた時に父から1本の電話が入りました。
1月18日、11時45分ぐらいに亡くなったと。。。
ちょうど母と祖父の話をしていた時でした。
亡くなったと聞いたが、実感がなくて涙一粒も出なくて、本当に亡くなったの?と疑問でいっぱいだったのですが、
急遽、その日の夜、祖父に会いに行くことになりました。
車で向かっていても全く実感がなかったです。
祖父の家に着いてお線香の匂いを嗅いだ時、初めて祖父は亡くなったのだと実感しました。
亡くなった祖父は、髭も綺麗に剃られており、化粧もされていて、美しく、話しかけたら目を開けそうな雰囲気で、とても安らかでした。
本人を目の前にした時、初めてこれまでの分の全ての涙がこぼれ落ちました。
色々な思い出や出来事が思い出されて、震えながら私は手を合わせた。
でも、この日ちゃんと祖父に会いに行って良かったと思いました。
このご時世、コロナのこともあるらしく家族葬の家庭が多く、なかなか火葬ができず、祖父の火葬は1週間後となりました。
続きは次のブログに書きます。