ある日のことでございます。
御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、ぶらぶらお歩きになっていました。
これは、芥川龍之介の蜘蛛の糸の冒頭
(青空文庫で全文が読めます)
御釈迦様みたいな気分になる時があるよ
たびたびね。
せっかく糸を差し伸べたのに、最後の最後で自らの悪い習慣でその糸を神様に切られてしまう。
でも、最後にある一文
しかし、極楽の蓮池の蓮は、少しもそんなとこには頓着致しません。〜そのまん中にある金色のずいからは、何とも云えない好い匂いが絶え間なくあたりへ溢れて居ります。極楽ももう午に近くなったのでございましょう。
蓮の花はこのところの私の棚卸しの象徴。
私もいろんなことに惑わされず、頓着せず。
たまに目に入ったものをいじって観察する?
人間とは愚かで儚いもので
隠しているようで丸見えで
結局、御釈迦様の手のひらで七転八倒してるにすぎず
そして、その後ろめたさを一番知っているのは己
そして、一番自分を苦しめるのも己
私はただの鏡で
あなたの心の迷いを映し出しているに過ぎず
だから、私を恨んだり妬んだりすることは無意味で
すべては自分の中のもの。
私の生まれつきの半眼がそう思わせるのだと思います。
そこにとらわれず、ただただ感じながらその先にあるものに目線を合わせていく
半眼は、寝ているわけでもなく、起きてるわけでもない、瞑想状態を表すのだとか。
私も日々、起きてるようで、寝ているようで、
すべての時間を心と宇宙との対話に費やしている。
心の置きどころ
中庸な場所にね
定めるために調整してる
そして、目を見開くと怖いからね
半眼のままで生活させて欲しい
さて、今日もお寿司屋さんは営業していますが、私はお休み。
ロータスのことでもイメージしながら瞑想して
新しい展開を探ろう。