いつもありがとうございます。

クローバーセラピストのRie.Coです☆


連休中に息子がひらがなやカタカナを書いていました。


その中の一枚
幸☆セラピストRie.Coさんのブログ-20131015093436.jpg

「クリニか」って書いて息子は自信満々に「はみがきこ~」って一文字ずつ指を指して読みました。


なるほどね~。


息子は「はみがきこ」と耳から覚えて、目からは「クリニか」って覚えたんだな~と思いました。


こんな覚え方もあるんだな~。


長女にこの話をしたら「あってるじゃん」と言いました。


私達の感覚は息子のおかげで、ざっくりしているな~と思います。


もし、お姉ちゃんが同じことをしたら「違うでしょ!クリニカでしょ!!しかも「か」間違ってるし…」って、きっと言ってる。


もしかしたら、こんな感覚の違いが日常に溢れているように思います。


「クリニか=はみがきこ」が満月な人もいれば、×の人もいる。


同じ価値観の人同士なら問題がないけれど、違った価値観の人同士でギクシャクした感じになるんだと思います。


頭ではわかっているようでも、具体的にどこの価値観が違うかがかわからないからギクシャクしてしまう…。


どちらも間違っているわけじゃないから困る。


価値観の合わない人とは距離を置けるなら置けばいいと思う。


でも職場とか、どうしても避けられない場合は「相手はどんなことを考えてこんな行動になるのかな?」って思いながら観察してみる。


私は相手のことを思って行動したつもりが、おせっかいに取られることもある。


「もしかしたらおせっかいと思ってるかもしれない」って気づいたら止めればいいんだよね。


気づいた方しかわからない。


気づいても「おせっかいって思うなんておかしい!」って我を張っていたら、いつまで経ってもギクシャクしたまま…。


自分の仕事を自分で全うしたい人に世話を焼いたら「私はできない人ではありません!」って反発がきてしまう…。


これは一つの例だけど、日常の中にこんなやり取りがあるから上手くいかないのかもしれないね。


気づいた方が譲る。


「譲る」って逃げるとはちょっと違う気がする。


「譲る」って勇気のいることだと思う。


「だって、私だって間違ってないもん!」って気持ちと格闘した上で譲るから。


譲れるって心が広くないとできないことだと思う。


私はいつも人に譲るとき「私って大人音符」って心の中で思っています。


自分を自分で否定するってつらいもんね。


どんなことがあっても「これでよかったんだ」と自分でどうにかして納得する。


人には通用しない納得する言い訳かもしれないけど、人に話すわけじゃないし自分が納得できるのであれば私はいいと思うんだ~ニコニコ


もし、その納得の仕方が間違ってたら同じ問題がまたくるから、間違っていることに気づけると思う。


私は息子のおかげでざっくりした感覚を頭ではなく、じっくりじわじわ体得できたような気がします。


そして、お姉ちゃん達も。


そのおかげで以前よりだいぶ生きやすくなった気がしますヽ(´ー`)ノ




みなさまにすべての良きことが
雪崩のごとく起きます\(^o^)/


ついてるキラキラ

ついてる音符

ついてる~\(^o^)/ラブラブ