いつもありがとうございます。

クローバーセラピストのRie.Coです☆


今日のこちらは曇りです。私の気持ちにリンクしているよう…です。週末に「火垂るの墓」を観ました。


お姉ちゃん達は唯一この作品だけ観たことがありませんでした。


私はなぜだか「観たくない」と強い拒否感がありました。


どうしてだか、どうしても観たくない。


悲しい作品だから観たくないんだと思っていました。


疲れもあったのでお昼寝しようと横になりました。


でも、テレビが気になって寝れない…。


初めは子供達を残してなくなってしまったお母さんの気持ちになって観ていました。


でも、なぜだか違和感がある。


可哀想でかわいそうで観るのも辛いはずなのに目を背けることができない…。


この感覚はなんだろう…。


清太さんが節子ちゃんと横穴で二人暮らしをはじめて清太さんが畑から野菜を盗み警察に連れて行かれ釈放された時、外で節子ちゃんの姿を見つけて抱きしめ泣いているシーンを観たとき


「私は清太さんと同じ思いで生きていたんだ」と気がつき抑えていた気持ちが涙と一緒に溢れました。


清太さんが一人で節子ちゃんを守らなければ…と思う強い気持ちと両親や頼れる大人がそばにいない心細さ。


いつもは守ろうとする強い気持ちで生きているけれど、ふとした時に現実を突きつけられ打ちひしがれ、どん底に突き落とされる心細さが顔を出した時の清太さんが流す涙が自分の涙と重なりました。


私は打ちひしがれた時の気持ちを思い出したくなかった。


「なんとかなる!」って強い気持ちの自分でいたかった。


弱い自分を封印したかったんだ!と気がつきました。


でも、それは違う。


そのことに気がつきました。


弱い自分を隠して強がって強いフリして生きる生き方は本当の強い生き方じゃない。


本当の強い生き方は、弱い面も見せて助けて欲しい時は助けて!と言える生き方。


そして、自分ができることで相手も助けてあげる生き方なんだと思う。


弱いところばかり見せて助けてもらうばかりでは違う気がする。


すべてはバランス。


相反する2つが同居しているからどっちのこともわかる。


それが、ちょうどいいんじゃないかな~って最近思います。


どちらが善いわけでもなく、どちらが悪い訳でもない。


どちらも同じでどちらも同じくらい必要なんだ。


どちらの感情も味わうことができてはじめて人に優しくできるような気がする。


「火垂るの墓」を観たとき悲しい気持ちにもなったけど、ほっとした自分もいました。


自分を客観的に観ている自分にほっとしました。


どん底の時って、自分を冷静に観ることができない。


すっごい渦にただただ巻かれて、自分がどこにいるのかさえわからないまま流されて現在地がわからない。


立て直ししたくても現在地がわからないから、どう立て直したらいいかわからない。


いつまで経っても渦の中なんだよね…。


それって、つらい。


きっと、私のターニングポイントを教えてもらえたんだと思う。


そして、この経験をどう活かしていったらいいかを考えるきっかけをくれたんだと思う。


「火垂るの墓」を観てから今までモヤモヤした気持ちが渦巻いていたけれど、ブログに現したら気持ちの整理がついたように思います。


辛かった時を振り返るのは本当にキツいことです。


その時の感情に引きずられる。


でも、これも必要なこと。


引きずられながらも自分で自分を建て直す。


これを繰り返し繰り返し強い自分になっていくんだと思います。



すべて必要な経験。
無駄なんて1つもない。


私は、そう思います(*^_^*)




みなさまにすべての良きことが
雪崩のごとく起きます\(^o^)/


ついてるキラキラ

ついてる音符

ついてる~\(^o^)/ラブラブ