おとなになってもう随分経つ。
そんな歌詞があったね。
無駄にはしたくない。
これからも僕たちは大人なのだ。
最近、これまでの自分らしくないことをやったりしてる。
やる前は不安だが、やってしまうとすっきりする。
新たな自己発見だ。
自分ひとりじゃできなかっただろう。
僕は随分とぬるいやつだから。
言葉に責任をもとうとするのなら、言葉にあやふやさはいらない。
単純で厳しい言葉ほど、明確で責任所在がはっきりする。
大事な言葉なら尚更そういうことが必要なのだ。
もう、環境を変えて1週間が経つ。
人生の分岐点。
決断し、こちら側にいる。
もし、あのまま、あちら側だったらどうだっただろう。
相変わらず、先の見えないことをやり続けていただろう。
一歩引いた今なら見えることもある。
僕はいいように利用されいた。
それが故意なのか悪意がないのかわからないけど、僕の良い部分をくすぐられ利用されていた。
まぁ利用されるのは別に良い。
もっと上手に利用して欲しかった。
それくらいの能力はあると思ってた。
生かさず殺さずってあるけど、生かしてもくれなかったのだ。
今の僕は生かしてさえくれればそれでよかったのに。
人に対しての好意。
僕に対しての好意。
この好意性がなくなると怖いもの。
見え方がガラっと変わる。
今まで良かったものが、良くなかったものになる。
相手を貶める証拠にだってなる。
同じ言動が、好意性の有無で大きく変わる。
変わらないよう生きようとすれば、喜怒哀楽を失う。
人は意志をもって生きるほうが、人らしい。
好意というのは気持ちの問題で、必然的なものなのだ。
気の持ちようっていういい加減なポジティブ思考があるけど、、、好意はそういうものではくくれない。
嫌なやつは嫌なやつで、好きな人は何をしたって好きだし、嫌いなやつを好きになる方法なんて、ウォッシュレットで流ししまえ、、、
そんな風に、今も未だ、囚われてる僕です。
苦しいのだ。
とても苦しいのだ。
助けてほしくて、助けを求めたのに、どうでもいいいたわりの言葉や祈りで済まされる。
助けてくれると思ったのに、実際、そういう状況になると、心配顔だけは上手に、結局、救われない。
だったら最初から助けない意志を見せてくれ。
いや、なにもしないでくれ。
それでも利用しようとする。
もう限界はこえているのを知ってるのに、だ。
僕自身、助けを必要としない状況なら、良かった関係。
でも今は違う。
まぁ、僕が助けを求めた時点で、友達性は失われたのかもしれないね。
大人の友達関係ってそういうところがある。
でも、それでいいとも思うよ。
だから、後腐れなく済めばいい。
そんな風に思う。
おとなになってからの友達は、信用できるスピードも早い。
お互いの経験がその判断力の正答率を上げる。
でも、切るときは早い。
大人の判断。
お互いに、空気を読み、別れ際を見極める。
そんなもんだろう。
切っても切れない縁っていうのは、たくさんの無駄な時間が必要。
そういう縁は、幼馴染か、自分の子供くらいだろうね。
だから、子供のため、家族のため。
原点回帰。
もう、環境を変えて1週間が経つ。
人生の分岐点。
決断し、こちら側にいる。
もし、あのまま、あちら側だったらどうだっただろう。
相変わらず、先の見えないことをやり続けていただろう。
一歩引いた今なら見えることもある。
僕はいいように利用されいた。
それが故意なのか悪意がないのかわからないけど、僕の良い部分をくすぐられ利用されていた。
まぁ利用されるのは別に良い。
もっと上手に利用して欲しかった。
それくらいの能力はあると思ってた。
生かさず殺さずってあるけど、生かしてもくれなかったのだ。
今の僕は生かしてさえくれればそれでよかったのに。
人に対しての好意。
僕に対しての好意。
この好意性がなくなると怖いもの。
見え方がガラっと変わる。
今まで良かったものが、良くなかったものになる。
相手を貶める証拠にだってなる。
同じ言動が、好意性の有無で大きく変わる。
変わらないよう生きようとすれば、喜怒哀楽を失う。
人は意志をもって生きるほうが、人らしい。
好意というのは気持ちの問題で、必然的なものなのだ。
気の持ちようっていういい加減なポジティブ思考があるけど、、、好意はそういうものではくくれない。
嫌なやつは嫌なやつで、好きな人は何をしたって好きだし、嫌いなやつを好きになる方法なんて、ウォッシュレットで流ししまえ、、、
そんな風に、今も未だ、囚われてる僕です。
おとなになってもう随分経つ。
そんな歌詞があったね。
無駄にはしたくない。
これからも僕たちは大人なのだ。
最近、これまでの自分らしくないことをやったりしてる。
やる前は不安だが、やってしまうとすっきりする。
新たな自己発見だ。
自分ひとりじゃできなかっただろう。
僕は随分とぬるいやつだから。
言葉に責任をもとうとするのなら、言葉にあやふやさはいらない。
単純で厳しい言葉ほど、明確で責任所在がはっきりする。
大事な言葉なら尚更そういうことが必要なのだ。
いつだって、自分の居場所は、自分で探し、自分で見つけ、自分で作り、自分で育てるもの。
他者から与えられた居場所なんて、いつか合わなくなる。
居場所がないと嘆くのは、自分の能力不足であり、自分が馬鹿だと公言している。
賢くあれ。
賢さとは経験が背景にあるもの。
経験とは、時間ではない。想像力だ。
実際の経験が何よりだが、それだけではない。
想像力でいくらでも経験できる。
想像力は、固定観念側に流れがち。
自分一人では操縦不能。
他者からの刺激が何よりの源となる。
賢い人が好き。
賢い人はとどまらない。
常に変化する。
周りから見て向上していると見える場合もあるし、破綻していると見える場合もある。
でも、とどまっていない。
賢い人は、変化に適用し、想像力で次の自分を目指し、行動している。
そんな人の笑顔が素敵で、こぼれてくる雰囲気がたまらない。
魅力ってやつ。
どこにでもいるよ。
賢い人は、どこにでもいる。
見方を変えれば、いつだって発見できる。
自分の中にだっているし、相手の一部がそうだったりする。
賢さは、人単位ではない。
見出してあげなさい。
身近な人の賢さを。
育ててあげなさい。
見つけてあげる。
見守ってあげる。
それだけで、結果は変化するもの。
時間をかけなさい。
人は瞬時にかわらない。
継続が力なのだ。
先にあきらめたらダメ。
そうは思わない?
思うのなら、実行。
それもまた賢さのひとつなのだ。
他者の良い所を見つけるっていうのは、自分の感性を磨くことにつながり、自分の知らない一面すら引き出してくれる。
他者の良い所は、憧れにもなり、負けず嫌い感をくすぐり、指標ともなる。
それをその相手に伝えるのはまた違った何かを得られる。
相手を褒めるとは意識が違う。
この場合、伝えるっていうのは、邪心的な意味を持たない。
褒めるとは違うのだ。
他者の悪いところ、、、こんなんは探さなくても目に付くし、誰でもあるし、悪いところの定義が自分と違うとか自己価値に合わないとかそういう浅いところだから、そんなんは流す。
視点を変えれば、自分の悪 いところもそう。
ちょっと付き合えば、それくらい見つけられてしまう。
どうせ、良い所、悪い所を自分の意図しないところで見つけられてしまうなら、萎縮せず、自分らしくあればいい。
自分らしい自分で、相手が判断するのであれば、自分の筋は通せるのだ。
相手にあわせて、良くない結果になったなんていったら目も当てられない。
だから、誰がどう言おうと、自分らしく。
自分がなりたい自分であれるよう努力する。
今の自分じゃない。
昨日の自分はあまり好きじゃない。
だったら、今日の自分は、憧れている姿を目指せばいい。
なりたい。じゃなくて、なってるってところに気づけばいい。
他人の過去や自分の過去を冒涜しない方がいい。
どんなに今が惨めでも、どんなに今が苦しくても、過去を否定しない方がいい。
僕たちは過去をたどってやってきたのだ。
もちろん、自分の暗くて哀しい過去をエネルギーにする方法もある。
まぁそんなのは勝手にやってくれ。
人を貶めてまですることではない。
自分の今の現状が、誰のおかげで成り立っているのか。
それを見失っちゃいけない。
それを見失い、自分のちからだと過信すれば、それが周りに知るところとなれば、もう破綻の始まりでしょう。
端的に、そんなやつとは一緒にいたくない。
損得関係があれば、我慢するが、得がなければ、そんなやつと同じ行動をするまでだ。
相手の行動は、自分の行動とリンクするのだ。
まぁ相手の過去がそんなに重要かと言えば、そうでもないと思う。
面接的に、初対面的な判断材料にはなるが、そんなもんで留めておくほうがいい。
相手を判断するのは自分の目で、見知らぬ過去じゃない。
共に歩いた時間がとても重要で、それがお互いの過去となる。
離れることになったとしても、その過去はそれぞれで無駄にすべきじゃない。
一言で無駄にする。
その言葉にたどり着くために歩いてきたわけじゃない。
なんとも哀しい言葉。
言葉ひとつで嫌いにならないが、台無しにするちからくらいは言葉に宿ってる。
もっともっともっと大局を眺めるべきなのだ。
大人のすべきことである。
目の前のことを目の前だけで起こってることと捉えるなんて、小学5年生に任せればいい。
今とてもおしっこしたいのは、それまでの経緯がそうさせている。
今近くにトイレがないのは計画性なさ、想像力の無さ、、、つまり自分の無能さなのだと知るべきなのだ。
おしっこしたいのに出来ない環境に苛立つのは小学5年生。
それならもらしてしまえ。
反省ならいつでもできる。
悔やむのはいつでもできる。
当面の問題を、当面性のみで考えるのが大人なのだ。
大局も大事だが、ものすごく小さいポイントでの解決も重要なのだ。
どこまで、耐えられるか。
トイレでするのが最高の結果。これは誰でもわかる。
最低ラインをどこに持つか。これが重要だ。
外でする?
ペットボトルにする?
ビニール袋にする?
車の助手席の足マットのみ犠牲にする?
下着だけで膀胱内の容量を減らす?
完全にもらす?
人によって違う。
どうするのか。
これが「覚悟」である。
「覚悟」の覚悟性が確立されれば、あとは簡単。
そのレベルまでは出来ると思えば、そのレベルまでの選択肢ができるのだ。
僕は最低ラインと思える部分までは耐え、頑張ってきた。
そしてついに最低ラインに触れてしまい、その行動をとった。
自分なんて既に捨てて、大事だった友達を切り、仕事を切り、家族を守る行動。
「覚悟」が大事なのだ。
「当面」の問題を当面性の対処で対応した。
そして、最も大事なのは、これからだ。
反省や後悔はまだしない。
これまで惨めでも耐えてた時間たちが消え、未来のみを見ることができるようになった今、すべきことが絞られる。
物事はシンプルなのが良い。
まだまだ、過去が襲ってくるが、今の僕は身が軽い。
振り切るなんてたやすいのだ。
新たな仲間もいる。
僕に切られた友達も、僕自身も、因果応報に巡っていると思う。
お互いにそれぞれ反省点もあるだろう。
僕が友達だと思った相手なのだ。
僕が思う以上に反省し後悔しているだろう。
そして、これからを上手に対処していくだろう。
せめて、そう思っていたい。
じゃないと、僕の過去が無駄になる。
そう思いたい。
でも、ふと知ったところによると、そうじゃなかったようだ。
捨て台詞的に僕を切り、僕との過去を台無しに、なぜそうなったかなんて関係ない感じのよう。
強がり。
まるで、小学5年生。
おしっこをもらしてもまだ、無計画に水を飲んでいるよう。
周りの大人が大変だね。
ご苦労さまです。
自分の余力で救うのか。
自分の全力で救うのか。
相手は何を求めるのか。
自分の余力を求めているのか。
自分の全力を求めているのか。
実のところ、相手が求めてるのは、救いであり、自分のちからではない。
現実的救いなのだ。
行動のみが相手を救うこととなる。
ガンバレ。
祈り。
こころの励みになるが、それは自分を保つために自分でどうにかしているもの。
相手は他力本願が届かないから、自力で頑張っているのだ。
それでも悲壮感は溢れでてくる。
力なき行動はなんの役にも立たない。
救いを求めてる相手にとってはそういうことになる。
まぁ、そういう状況に陥る長い長い行いを反省しなくてならないのは相手。
自業自得で、因果応 報なのだ。
ソレを認めるところから始めないとね。
相手はそれを認めているのか。
相手は自分自身を知っているのか。
救う価値とはそういうところにある。