お昼寝をした。
夢を見た。
部屋のドアが開いた。
見知らぬ外国人的青年が、小さい青年が、おとぼけ顔で、部屋に入ってきた。
目が覚めた。
「運」が入ってきた。
そう、直感的に思えたら良かったけど、ちょっと打算的に、思考学的に、反射神経を利用して、、、そう思えた。
「運」
もっと、慎吾ちゃん的かと思ったが、、、人によって見え方が違うのか(笑
まぁいい。
精進して過ごします。
カルマ待ちで過ごします。
そろそろ。。。ってな意識で過ごします。
良くないことも、良いことも、溜まってから爆発させよう。
そんな気分です。
雨ですね^^
過程が大事。
なんでもだ。
結果だけしか判断できない人は哀しい人。
もちろん、立場上そうならなくてはならないこともある。
しかし、ちょっとでも先を見据えれば、結果より過程が大事だってことはすぐにわかる。
過程が大事。
こう考えるのは、結果が思わしくないときだね・・・。
しっかりとした結果が得られればは、過程は大事などあまり考えない。
そりゃそうだ。
まぁでも、結果はどうであれ、過程は大事。
それに甘えても行けないけどね。
結果を求めた過程なのだから。
過程が大事、、、、そして、その後の反省が大事。
失敗した結果だったなら、それまでの過程のほとんどは間違い。
それに気づけただけで充分でもある。
この前、雑誌を読んでたら、この「過程」についての能力が書いてあった。
問題です。
東京ドームに、ピーナッツは何個、入るでしょうか?
これを、おおよそでも瞬時に答える人は素晴らしい。
僕の弟子にしたいくらいだ!
この問題は、答えはそれほど重要じゃない。
答えを出すための過程が、すこぶる大事。
その人の、今の能力が試される。
あくまでも、「今」のね。
これは、訓練で出来るようになる。
その訓練はとても重要。
答えを出す方法を訓練するのではなく、考え方の訓練だ。
で、答えはわかりますか???
東京ドームの大きさを知らないよ~とか言い訳をしないように!
この答え出すための過程。
その人のこれまでの知識を存分に使い、算出する。
その人がどういう知識を得て、その知識をどう応用して、算出するか。
そういうのを試される。
答えを出す方法は、ひとそれぞれ。
出た答えは、多分、だいたい同じくらいになると思う。
さて、どう考え、答えを導きますか???
とりあえず、答えを出す。
これは重要よ。
僕の場合だと、仕事で、見積もりをすることがある。
お客さんと話しをして、その場で見積もる。
具体的な金額を言わないと、いろいろと進まない。
そこで、この考え方が活躍するのだ。
さて、どういう方程式で答えますか???
料理をする人。
食器を洗う人。
洗濯物を干す人。
家事の中でも、この考え方は、活用されている。
多分、誰でも出来る。
ちょっと応用すればいい。
あとどれくらいで、料理が終わるのか?
これらの食器は、何分で洗い終わるのか?
この洗濯物たちを、全部干すには、どうやるのか?
これらの質問と同じ。
何気におこなっている思考。
あとは応用です。
それと、、、
やる気。
やる気になれば、大体のことは、出来るよ。
なんやかんや、人は、年齢分だけの経験はしている。
それを、生かすべ!!
固定観念は無い方がいい。
実際的には、固定観念ちゅうもんは、あって然るべき。
経験を積んできたんだから、当然、あるべきなのだ。
ただ、目立ってしまうのが、悪性の固定観念。
まぁ悪質かどうかは、その人が何かを発しないとわからないことで、悪質な何かを発するような人の意見は別に聞かなくてもいい。
「固定観念が悪いんじゃない。その口が悪いんだっ!」
って感じだね^^
良い人でいようと努力するのは賞賛するが、良い人に見られたいってのには、つばを吐きたくなる。
良い人に見られるための努力は、とても意地汚くて、対象が八方美人的に大多数ならば、もう支離滅裂で、良い人に見られる前に、信用出来ない。
自分が思う、良い人像に従って、努力していれば、ちゃんと分かる。
良い人にはわかるのだ。
良い人が良い人を呼ぶってこと。
いいじゃん。
好きなように過ごせば。
それが、良い人と見られるのなら、理想的だし、そうじゃないのなら、その時に治すか、違う世界に行けばいい。
自分を他人のためにフィルタをかけて、萎縮して過ぎ去る人生は、そんな人生の主役は、誰???
吸収する年代はもう過ぎたのだよ。
そうは思わないかい。
その勇気が本当の一歩。
僕にもわかるよ。
色が変わっていく感じがする。
昨日と同じようで、でも、明らかに昨日とは違う。
昨日と同じようだけど、明日絶対に違う。
何か、人生の軸が、動いた。。。って感じ。
そういう感じなのかな。
その勇気に乾杯です^^
でも、すぐによりよい状態になるわけじゃない。
すぐによりよい状態になるくらいなら、勇気なんか出さなくたって、そうしていただろう。
勇気を持って変化を選んだ。
いろんなリスクが襲いかかってくるよ。
想定内も、想定外も。
でも、大丈夫なんだ。
勇気を出した人にはわかる。
勇気を出さずに、リスクばかり恐れて、現状に甘んじているボケ~にはわかるはずもない。
一歩を踏み出した人にだけ与えられるんだ。
二歩目へ進むことをね。
勇気があれば、乗り越えられる。
度胸じゃないよ。勇気だよ。
無謀じゃないよ。勇気だよ。
自分の淀みは消える。
自分の思考の歯垢も綺麗に取れる。
そういう「勇気」を出したんだよ。
応援する。
いつかのより良い状態になる。
失敗したっていい。途中なんだもん。
成功だってそう、、、途中だからね。
死ぬ間際に「良い人生だった」なんて、それだけを言うための人生なんてまっぴらごめん。
僕だけの人生じゃない。
いつも幸せでいたい。
いつも、良い人生だと思いたい。
いや、思ってもらいたい。
まぁ、そんなことを欲しなくても、「今は幸せ」だと知ってる。
他人から見れば、努力中って見えるかもしれないけど、それはそれでいい。
もちろん努力中だけど、、、今もまた幸せなのだ。
幸せになりたいと思って頑張ってるわけじゃない。
この幸せを維持したいなんて思って頑張ってるわけじゃない。
ただただ、「昨日より幸せ」って思いながら、笑いながら、話しながら、洗濯しながら、思い馳せるのだ。
人生ってのは、目標の繰り返しで、夢の繰り返しで、ゴールなんてない。
失敗だっておわりじゃないし、成功だって終わりじゃない。
別れだっておわりじゃ無いし、死ですら終わりでもない。
まぁ、だからってわけじゃないけど、、、
楽しく過ごそう。
ちょっとくらい悪くたっていい。
好きにしよう。
好きな自分でいる。
自分が自分を好きじゃないなら、誰が好きになってくれるのだろうってね。
ってことで、以上です。
(*^_^*)
時折、思うんだ。
ひとは動いてる時ほど動けるって。
休憩が休息になると動きたいとき動けないと思うのよ。
休みを休むんじゃなくて、鋭気を養う的に、ちゃんと休まないと、怠惰な状況に陥ってしまう。
日常とは、常日頃ってことで、日常的に動いていればそれが日常になり、更なる高みに行ける。
休むことが日常になってしまえば、何とか珍しく動いたところで、それは非日常なだけで、結局、休みな日常に戻るだけ。
実際のところ、ひとはそんなに疲れてないのだ。
ひとは慣れるんよ。
どんな状況にもね。
そして、どんな状況でも、最後は頼りにしちゃうんよ。
不幸を頼るより、切磋琢磨に頼りたい。
頑張らなくていいのよ。
日常なんだもん。
忙しい日常。
い いじゃないか。
次の選択肢に幅がある。
休むか動くかだけじゃなくて、さらに動くってのがある。違う方向に動くってのがある。
日常は大事よ。
大丈夫を3回言ったって、てんで大丈夫じゃない。
でも、深呼吸をすると大丈夫になってくる。
毎日が苦しいと思いつつ、洗濯物が綺麗に干せると、自分の素質にうっとりする。
結局人は気分なのよね。
大概のことは、気分で、気持ちで、どうにでもなるもの。
疲れたと勇んでいても、2千円を拾えば、漫画を買いに行く。
ちっとも疲れてない。
どこにも行く気力がないと目を潤ませたって、顔を洗って、案外素敵だった素顔を垣間見れば、そこらのつぼ八にでも出かけたくなる。
そう思う。
だから、疲れたとかやる気が無いとか何もできないとかってのは、怠慢側のいいわけで、相当好意がないと、まったくもってかまわない。
まぁ僕も怠慢側の人間だから、よくわかる。
怠慢側の人間にもいろいろといる。
怠慢を抜けだそうとしても、結果は一時的なものにしかならない。
経験的にそうだった。
怠慢に怠慢的に依存してる人もいる。
日常が怠慢であればあるほど、怠慢を嘆くことが楽なのだ。
まぁ悪くない。
そこにしかないものあるし、そこでできることもある。
でもまぁ、、、怠慢だ。
いいのだ。
怠慢で。
そもそも、そうしたいのだ。
だったら、上手にそうしよう。
怠慢に住んでいてもいい。
外出すればいいのだ。
んで、そのうち、怠慢側じゃない方の人と恋に落ち、結婚して、抜け出せばいいのだ。
怠慢を抜け出すには、環境の変化が一番良い。
そう思う。
自分の余力で救うのか。
自分の全力で救うのか。
相手は何を求めるのか。
自分の余力を求めているのか。
自分の全力を求めているのか。
実のところ、相手が求めてるのは、救いであり、自分のちからではない。
現実的救いなのだ。
行動のみが相手を救うこととなる。
ガンバレ。
祈り。
こころの励みになるが、それは自分を保つために自分でどうにかしているもの。
相手は他力本願が届かないから、自力で頑張っているのだ。
それでも悲壮感は溢れでてくる。
力なき行動はなんの役にも立たない。
救いを求めてる相手にとってはそういうことになる。
まぁ、そういう状況に陥る長い長い行いを反省しなくてならないのは相手。
自業自得で、因果応 報なのだ。
ソレを認めるところから始めないとね。
相手はそれを認めているのか。
相手は自分自身を知っているのか。
救う価値とはそういうところにある。
他者の良い所を見つけるっていうのは、自分の感性を磨くことにつながり、自分の知らない一面すら引き出してくれる。
他者の良い所は、憧れにもなり、負けず嫌い感をくすぐり、指標ともなる。
それをその相手に伝えるのはまた違った何かを得られる。
相手を褒めるとは意識が違う。
この場合、伝えるっていうのは、邪心的な意味を持たない。
褒めるとは違うのだ。
他者の悪いところ、、、こんなんは探さなくても目に付くし、誰でもあるし、悪いところの定義が自分と違うとか自己価値に合わないとかそういう浅いと ころだから、そんなんは流す。
視点を変えれば、自分の悪いところもそう。
ちょっと付き合えば、それくらい見つけられてしまう。
どうせ、良い所、悪い所を自分の意図しないところで見つけられてしまうなら、萎縮せず、自分らしくあればいい。
自分らしい自分で、相手が判断するのであれば、自分の筋は通せるのだ。
相手にあわせて、良くない結果になったなんていったら目も当てられない。
だから、誰がどう言おうと、自分らしく。
自分がなりたい自分であれるよう努力する。
今の自分じゃない。
昨日の自分はあまり好きじゃない。
だったら、今日の自分は、憧れている姿を目指せばいい。
なりたい。じゃなくて、なってるってところに気づけばいい。
。。。
それでもやっぱり寂しいね。
何をしてても家に帰れば、底には「愛」があった。
仲良しでも苛立ってても喧嘩してても、「愛」が底辺にあった。
浮気が発覚しても、浮気がバレても、「愛」で繋がっていた。
拠りどころだったんだって今は思う。
いや、それが一番大事だった。
失ってから気づく、典型的な、凹みの中に、僕はいる。
とは言え、これからも夫婦でいることを選択した僕たち。
僕の心のもともと「愛」があった場所には、「家族愛」という言葉に変換された「未練」が残る。
妻の心のもともと「愛」があった場所には、僕ではない「愛」がある。
僕たちは会話を重ねた。
妻の決意がどんどんと明確になるにつれ、僕の覚悟も明確になった。
僕たちはこういう形の夫婦を続けてみることにする。
「卒婚」という言葉が当てはまる。
妻は恋をしていて、僕は失恋中。
僕は失恋を乗り越え、新たな恋を探す。
新たな恋に希望を持って、今は、本当の意味での自分磨き中。
妻の恋を応援している。
正直、裏心も潜んでいるけど、夜、妻が帰ってきたときに幸せそうな笑顔だと、僕もほっこりするのだ。
これでいいんだと思った。
裏心も受け入れ、ほっこりも受け入れ、僕たちは次のレベルへ進む選択をしました。
2020-07-15
いつだって、自分の居場所は、自分で探し、自分で見つけ、自分で作り、自分で育てるもの。
他者から与えられた居場所なんて、いつか合わなくなる。
居場所がないと嘆くのは、自分の能力不足であり、自分が馬鹿だと公言している。
賢くあれ。
賢さとは経験が背景にあるもの。
経験とは、時間ではない。想像力だ。
実際の経験が何よりだが、それだけではない。
想像力でいくらでも経験できる。
想像力は、固定観念側に流れがち。
自分一人では操縦不能。
他者からの刺激が何よりの源となる。
賢い人が好き。
賢い人はとどまらない。
常に変化する。
周りから見て向上していると見える場合もあるし、破綻していると見える場合もある。
でも、とどまっていない。
賢い人は、変化に適用し、想像力で次の自分を目指し、行動している。
そんな人の笑顔が素敵で、こぼれてくる雰囲気がたまらない。
魅力ってやつ。
どこにでもいるよ。
賢い人は、どこにでもいる。
見方を変えれば、いつだって発見できる。
自分の中にだっているし、相手の一部がそうだったりする。
賢さは、人単位ではない。
見出してあげなさい。
身近な人の賢さを。
育ててあげなさい。
見つけてあげる。
見守ってあげる。
それだけで、結果は変化するもの。
時間をかけなさい。
人は瞬時にかわらない。
継続が力なのだ。
先にあきらめたらダメ。
そうは思わない?
思うのなら、実行。
それもまた賢さのひとつなのだ。