ある種の数式は、とある解を導き出し、とある解は、無数の数式を、空想させる。
僕は、数式側にいるのか。
僕は、解側にいるのか。
デブは何故デブであることを選択したのか。
ハゲは何故ハゲであることを選択したのか。
すべては、選択の上で成り立つ。
選択と結果には、必ず因果関係がある。
ただ、因果を目視出来ることはほとんどなく、目視できる因果関係の選択と結果なんて、ひとりの人の人生くらい簡単だ。
今の僕の選択で、300年後の何かの誰かの状況が好転するかもしれない。
そんなことはつゆ知らず、僕は、今も選択し続けている。
僕だけの利益を考え、選択している。
世の中のため、、、誰かのため、、、そんな偽善に、期待などしない。
ただ、その選択は、偽善だろうがなんだろうが、正しいのかも知れない。
まぁ、思うだけの偽善と選択した偽善には、大きな違いがある。
今は、過去の選択で、辿り着いている。
それでいながら、過去の選択は、今の状態を目指して、されたものでもない。
僕らは、いつでも、旅の途中なのだ。
答えなんて、どっちにしたって、いつか、辿り着くのだ。
僕らの死を乗り越えたりだってするのだ。
答えなんて出さなくていい。
疑問があるなら答えを目指せ。それだけでいい。
どうせ、更なる疑問に、ぶつかるのだ。
どんなに急いだって、明日を越えることは出来ない。
明日は、望まなくても来るもんだし、明日得られる答えには、もう既に大した意味もないんだ。
大きな目で、軸を持ち、ふにゃふにゃしながら、踊ろう。
これでいいと思うよ。
地獄に落ちればいい。
みんな巻き込んで、軽蔑され続ける人生になればいい。
自分だけ、最初は相手もいるかも知れない。二人だけで肩身狭くして、法的にも責められれ続け、貧困のまま生きればいい。
類を呼んで、そんなコミュニティーで傷をなめ合えばいい。
そんな人は、上の世界になんかいけるわけない。
両親からは勘当され、幻滅され、謝罪しながら生き続け、
兄弟からは軽蔑され、排除され、いなかったことにされ、
友達は、表面的な付き合いだけで、目の笑わない笑顔に包まれ、
子どもたちからは、いやらしい女とみられ、
義理の娘からは、汚いものと扱われ、
世間から、そんな人と認識され、そんな目で見られていると思いながら過ごして、
常に俺の影に怯えて、、、
そんな状態で、彼とのひとときの幸せを過ごせばいい。
ここまでは、余裕で考えた。
それだけの裏切りなのだから、当然で、一般常識だと思う。
僕だけが特別じゃない。
裏切られた側の余裕な感情だ。
謝っていれば、ゴールは見える。
僕自身を考えてくれてるし、ないがしろではない。
「謝らない」
「別れない」
僕はどこに感情を持っていけばいい。
静かに分かれるなんて出来るわけがない。
冒頭の感情が湧き出てくるのは当たり前の話。
なんども深呼吸した。
なんどもなんども深呼吸した。
叫びたくなる衝動は、吐くことで抑える。
ちょっとだけ出てきた「落ち着き」にしがみつき、
どこでこんな風になったかに思考をすり替える。
隠し続けていたのは、4ヶ月。
僕がなにか怪しいと感じてから、発覚するまで、1週間。
隠す気が無いくらいに過ごす妻。
せめて、機嫌よくしていればいいものの、僕の弱っている状態にムチを打つ感じで不機嫌。
いつもの行動がぜんぜん違う。
鈍かった僕でも気づくくらい。
スマホのロックだってしていないに等しい。
舐められるし、どうでもいいのだろうし、もう底辺の扱い。
ただの金づるなんだろう。
どこからなのか、、、いくつもいくつもきっかけはある。
僕の弱さだ。
妻が何も言わないから、仕事で2週間帰らないというのを普通にやっていたし、
夜は夜で0時付近帰宅。
遊んではいなかった。それは妻も知っている。
仕事に飲み込まれていた。
「今日は帰ります」の一言も言えずに、身勝手な責任感で仕事をしていた。
優先順位のトップは家庭なのに、、、、
そんな僕に嫌気が指したのか、外からの刺激に負けたのか、、、、
まぁそんなところだと思った。
(今は、違うと思っているが)
そして、どんどんと気持ちが落ち着いていく。
僕が冒頭のような復讐心を燃やしたところで、誰が幸せになるのか。
僕自信も幸せにはなれないし、多分、誰も天国には行けない。
ここまで来ると、楽観的で前向きな僕も顔を出す。
本当はどうしたい。
恋人ができた妻を今でも愛している。うん。愛している。
80年一緒にいると思えたから結婚した。
今でも思える。
あの笑顔が見られるなら、なんだってする。
命だって余裕でかけられる。
これくらいのことで、それは、揺るがないべ。
ということで、目指すゴールが見えてきた。
頭で理解はできたと思う。
心が着いていくかが問題だけど。
これが、話し合い3日目の夜中の4時間でした。
あれから、35日経過です。
今は、復讐心的な黒い感情は、12%くらいになりました。
妻の笑顔が愛おしいと思います。
幸せな時間も少ないですが過ごせています。
妙な感じですが、「会話」がここに運んでくれました。
PS.
※自分で「地獄」とかを書いてて嫌気が指しますが、当時はもっとひどいことも思いました。
※嫌気の指す言葉は使わないようにしますが、今回の記事には必要な言葉でした。
※気を悪くする方がいらっしゃいましたら、申し訳ございません。
やりたいのに、何故やらないのか。
「何かをしたいんだ」
そんな科白を聞くと、決まって思う。
「やればいいのに」
誰でも思うことだ。
しかし、そう言われて反論する科白のほとんどは、「言い訳」でしかない。
だったら、最初から言うなよ。
かっこつけてるのか、偽善なのか知らんが、、、まったく。。。
やらない言い訳は歳を重ねるほどうまくなる。
中学生のそれは、単純だ。
やり方を、始め方を知らないのだ。
やり方など無限にあると大人はいうだろう。
無限にあるのだ。
「やればいいのに」
って言う自問自答。
だけでも無いが、、、
単純でいいのだ。
やりたければやればいい。
やれないなら、言わなきゃいい。
夢は叶えるもの。
少しでも、叶える努力をしているなら、それでいい。
「やってるよ」と、自信を持てばいい。
言い訳はいらない。
何がしたいのか。
大人なら見極められるべ。
これをやりたい。。。の「これ」の向こう側に、心意があるのでは?と疑ってみるとよい。
向こう側にたどり着いたとき、やりたいことじゃなくて、やるべきことが見つかる。
自分を知るとは、そういうことなのだ。
さて、話し合おうか。
僕もやるべきことを知りたいんだ。
わからなくて当然だよ。
知らないことは、別に問題じゃないんだよ。
僕たちはちゃんと見ている。
知らないということに、引け目を感じる必要は無い。
僕たちが見てるのは、知らないことに対しての姿勢。
どういう風に、知らないことに対して対処するか。
そこが重要なんだ。
マニュアルを見るのも良い。
ネットを利用するのも良い。
既に知っていることの応用で、試すのも良い。
知りたい意欲を感じる質問を僕たちにしてきても良い。
重要なのは、どう知り得るのか。
ここなんだ。
そりゃぁ即戦力は欲しいところ。
でもまぁ、人の集中力のすごさを僕たちは身をもって知ってる。
僕たちは見守ってる。
だから、、、頑張るのだ。
僕たちだってまだまだ知らないことはある。
でも、知る方法はいくらでも知ってるし、それぞれの分野の仲間がいる。
知識を学んできたわけじゃない。
学ぶべきは、知り得る方法なのだ。
そして、その応用。
自分の個性を乗せ、発信する。
若さには学びを。
白髪交じりは応用を。
しわしわには教えを。
まぁそんな感じ。
答えを探しちゃいけない。
見つかるものすべてはヒントであり、答えは自分の中にある。
自分の中にある答えは、その時々で変化し、、、
数学じゃない。
論理的思考は必要だが、、、とても大事だけど、、、答えを導き出す道具でしか無くて、、、結局答えなんて無い。
早まらなくていい。
人との別れは、見切りは、数学じゃない。
もっと全体を見据えるのだ。
過去、今、未来、背景、雰囲気、そして、自分。
答えなど、どこにもない。
だれも教えてくれない。
自分で見出す。
ってか、、、そういう探してばかりの人生は楽しいか???
探すのを辞めて、、、
向上意識をやめて、、、
前向きなんてやめて、、、
今の自分で、全力で、試すのはどう???
思ってるより、力は、能力は、スキルは、あるはずよ。
呪文だって覚えてるさ。
役に立ってるかどうかなんて、自分で決めなくて良い。
どうしても決めたいのなら、ふらふらするな。
役割は、それぞれにある。それはあるんだ。
でも、それは、与えられたわけじゃない。
その役割を掴んでいるのだ。
皆、自らその役割に入ってるのだ。
与えられたわけじゃないんだ。
自分の役割、、、欲しいのなら、、、自分を知ると良い。
戦力になるのは、勉強しているヤツじゃない。
学んだことを発揮できるやつなのだ。
学びすぎるな。
発揮してみろ。
そこでわかる。
その知識の使い方はそうじゃないって。
あの知識はここで使うんだって。
行動することで、器を整理できる。
器に余裕がないと、新しい知識は入ってこない。
こびりついた古い知識がそれほど重要なのか。
知ってることは、学ばなくてもいいのだ。
とにかくだ。
僕は、応援している。
見守っている。
行動するものは、受け入れるよ。
新しい行動は、僕たちの、澱んだ知識をかき混ぜてくれる。
そういうことなのだ。
でっかい声で言ってやる。
頑張れっ!
こんなタイトルの唄がある。
素敵なタイトルだ。シンプルでいて、いろんな可能性を秘めている。僕好みのタイトル。
唄自体は、僕のイメージとは違ったが、それはそれ。
このタイトルからは、いろんな方向性の思いがある。
子供のために大人が用意できる「光」
子供が、後輩たちが、やみくもに求めている「光」
いつもいつでも、そこにある「光」
どこを見回しても今の場所からは見えない「光」
自分が今どこにいるのか。
このタイトルからでも気づかせてくれる。
自分が今「光」を求めているのか。
自分は今「光」の中にいるのか。
こういうことを書いて、いつも思うことがある。
自分は誰かの「光」なのだ。。。
これは、本当にそうなのだ。
どんな人もそうなのだ。
「そうじゃない」なんて言うヤツは、
「私なんか」って言うヤツは、、、
傲慢ちきである。
まぁわからんでもないが、、、とどのつまり、、、人は一人で生きているわけがないのだ。
自分は「光」
頑張って輝かなくても、個性的に輝いてる。
どっかで誰かが見ているのだ。
どっかの誰かは感じているのだ。
正しく光る必要もない。
無理して光るとその後が辛いだけ。
自分の好きなように、自分の光を自分だけの光を、、、
しつこいな。
たくさんの不安がある。
先行きが不安先行。
でも、たくさんの不安の中にも、希望はある。
「HOPE」
マトリックスはこう人を表現した。
壁の向こう側。
限界の向こう側。
愛の向こう側。
不安の向こう側。
多分、「光」はそこにある。
そこに無くたって、求めている「光」は届いてる。
今だって届いてるから、頑張っていられるんだ。
君に感じた「光」
もう消えゆく光だけど、おかげで、違う光も見えてきた。
その光は、求めているものとは違うけど、その向こうにまた、君色の光があるかもしれない。
僕は、僕なりに「光」を求め、
その姿が、別の誰かの「光」になり、、、
まぁなんていうか、、、
いい話じゃないですか^^
大丈夫だ。
帰る場所があるんだ。
それさえあれば、最悪なことなど無い。
だから、その場所くらいは大事にしなさい。
帰る場所の無い人は、、、行き先だってないのだ。
帰る場所。
大丈夫。
必ずある。
子供には子供の世界がある。
夫婦には夫婦の世界があり、その中にも、旦那と嫁の世界があり、男と女の世界だってあるし、父と母の世界がある。
僕には僕の世界もあるし、嫁には嫁の世界。
いろんな世界があり、そのそれぞれに、規律や罰則がある。
僕の世界は僕にしかわからないだろうけど、実際はそれを観ている周りの、、、観点ってやつが大事。
僕は僕の世界を生きているようで、実はそうじゃないのだ。
わけわからんね。
言いたいことはあるのよ。
それをただ、言葉にできないだけ。
わかる人にはわかる。。。そんな文章ですな。
まぁいい。
とにかく、世界はそこにあり、それを知ろうが知らなかろうがどうでもよくて、苦悩はどれかに属するけど、どれかにはちっとも属して無くて、、、だから、、、なんていうか、、、頑張れってことなのです。
中2の王子の部屋にパソコンを与えた。
これまで、僕のとなりでいろいろさわってた。
僕のとなりだと悪さもできなかっただろう。
子供の部屋にパソコンを与える。
インターネットの世界にひとりで飛び込ませると同意だ。
便利で楽しい反面、ダークでエロなインターネット。
子供がどう使うか。。。
一応、言葉では伝えている。
「いつでもみられるような設定にしているから、何をしてもばれるぞ!」
ってね。
「エロいのばかりみるなよっ!」
ってのも言ってる。
子供を信じてる。
なんて、偽善は言わない。
信じちゃいけないのだ。
いや、そういうレベルでね。
子供は必ずいつかみる。
「見せない」努力をするより、「見た」後の道しるべが大事なのだ。
どう使うのか。
よい部分も悪い部分も理解して使ってほしい。
それくらいの背中は見せているつもりだ。
まぁ、、、インターネットの大海原を際限なく泳いでほしいものだ。
目的も夢もわからない今の中2。
僕にできるのは、可能性を見せること。
そんな感じ。
「圧倒的」って、ものすごくあこがれる。
どんなものでもいい。
頭の回転の速さや運動神経っていうような広い範囲では、その分野の人たちには叶わない。
だけど、ものすごく小さく小さく分類していけば、僕にだって「圧倒的」と言える能力はあるかもしれない。
誰と何ととかの比較的「圧倒的」じゃなくてね。
比較なんかし始めると、上には上がいるってことになっちゃう。
まぁそれはそれで大事な思考なんだけど。。。
まぁどんな映画でも「ヒュー」って思うときは、この「圧倒的」を思う。
で、久々にそう思った。
「圧倒的」な「力」は、自転車の乗り方のように、一度身につければ、永遠に忘れることはできないのだ。
そういうことです^^