自分の限界を知ってるのか???
多分知ってる限界は、限界じゃない。
その限界を維持してみろっ!
人は慣れる。
その限界と思われる限界点は日常となる。
限界を日常化し、さらなる限界点を見据えるのだ。
限界は自分で決める。
そこに甘えやわがままがあってもいい。
ただ、それを含んで、今の自分なのだ。
反省を繰り返せ!
それでいいのか???
これでいいのか???
本意なのか???
真意なのか???
偽善、怠慢、奉仕、自虐、、、、なんでもいい。
自分を知ろうとしないと、知ることなんて出来ない。
相手に思いが伝わらない。
嘆くな!
伝えてるのは自分なのだ。
相手に伝わらないのは、ほぼ自分のせいなのだ。
伝え方が不十分でしかない。
角度を変えろ。
言葉を変えろ。
雰囲気を変えろ。
行動を、動作を、仕草を、情熱を、変えろ!
誰もわかってくれない。。。なんて、ただの言い訳だ。
伝える努力をするのだ。
伝えたければ、、、、
それでも、真意が伝わらないのであれば、それが自分の真意なのだと自分を修正するしかない。
相手は、自分が思ってるより、感度が良いのだ。
相手による自分の評価は、、、自分発信の返信コメントくらい思うのがちょうど良い。
思った評価と違うなら、発信方法を変えるしかない。
相手にとっては、その評価が自分なのだ。
言葉で、「そんなのは自分じゃない」と言ったところで、相手の評価は変わらない。
積み重ねの言葉、言動で、判断された評価は、同様以上な積み重ねでしか変えられないのだ。
ここで書いた話。
説教好きなくだらんおやじなら誰でも思いつく。
ここで終わると面白くないので、、、見方を逆にしてみなはれ。。。
自分の思ってる違和感や悲観的思いは、多分相手も思ってる。
自分が選択し好意を持ってる相手なら尚更だ。
自分はそれほど特別じゃない。
そう思えば、伝え方も受け取り方も変わるだろう。
相手のとんでもエピソードを聞いたとき、自分も同じようなことがあると思うことが多いだろう。
そうなのだ。
自分のとんでもエピソードだって、相手に話せば、相手も同じようなエピソードを持ってる。
そのエピソードが自分にとって、違うと思ったところで、相手はそう捉えている。
ふぅ。。。
何を伝えたいのか、、、
僕はここで、何を伝えたいのか、、、
ここで僕が伝えたいこと。。。
僕は淋しいのだ。
誰かと会話をしたいのだ。
いろんな人と会話をしたいのだ。
こんな文章を書いてて、こんな思い、、、伝わるわけがないか。。。
結局その程度の文章で、伝えたいことを本気で伝えようと思ってない、、、その程度の思いなのだ。。。
やれやれ。。。
青い春の僕。
ちょっと暑けりゃ汗だくになり、ちょっと寒けりゃ、防寒具。
周りの温度も自分の体温も天気も彼女も、ころころめまぐるしく変わってた。
とても色濃い灰色の夏を迎えた僕。
灰色らしい生活を送ることとなる。
夏なのに、汗もかかずに、ただただ、ぐぅたらと過ごす夏。
それでも、とある面では、努力する。
灰色の白色に属す部分がそうさせるのだろう。
僕は伴侶を見つけ、生涯の仕事の基礎を身につけ、必要不可欠だと思われる最悪の出会いもした。
それでも、僕は、自己形成は未熟で、誰かの指示で、誰かのお願いで、誰かの策略で、誰かの、、、まぁいい、、、自己判断とはほど遠い場所で、過ごしていた。
未熟な僕はそこが心地よいとさえ思っていた。
灰色の黒に属する部分だろう。
それぞれの色がしっかりと存在しているおかげで、とてもとても色濃い灰色の夏となっていた。
僕はそろそろ、七色の秋と呼ばれる季節に突入するのだ。
七色のうち三色は手に入れている。
「青色」青い春の色
「灰色」色濃い灰色の夏
「セピア色」君とのセピア色よりセピア色の思い出
妙な七色になりそうだwww
秋ってのは、縦軸的季節感だと、素敵で現実的で象徴的に思えるが、、、
横軸的貫き型季節感だと、、、淋しい秋の連続に思える。
だから、カラフルなんだろう。
「テントウムシ色な秋」があったり、
「終焉を迎えそうな公園色の秋」
「冷たさに向かう海色の秋」
「とがった夏と凹んだ冬の間の歯間ブラシでやっと届く色の秋」
「情熱と冷静の間色の秋」
「さんすうとこくごしかない世界色の秋」・・・これは正月だなw
まぁいい。。。
七色じゃ済みそうもない秋は、思慮深く、超哲学モードに入りやすくなり、、、湯船に息の続く限り潜るのだ。
ふぅ。。。疲れたので、続きは、いつかね。。。
それと、「秋」のくだりは、追伸的に書いてみたんで、主旨が変わってるかも。。。
主旨を後付するならば、、、だけどね。
見たことも聞いたこともない話をどうすれば出来るのか・・・。
そんなことを2時間考えて、今日が終わる。
終わりがあれば、始まりもある。
明日が始まるのだ。
今日の終わりは「睡眠」なら、「今日」の定義はカレンダーで出来るわけがない。
朝昼晩的に時間を区切っては不自由なのだ。
春夏秋冬くらいがちょうどいい。
そうそう。
言葉は自由じゃない。
言葉にしちゃ駄目なこともある。
勢いにまかせて言ってしまうこともあるだろう。
例えば、、、
子供とケンカしたときに「お前の母ちゃん!でべそ!」なんて、嫁の前では言ってはいけないのだ。
まったく。。。
今日は天気が良くなかった。
久しぶりに雨まみれの一日。
雨の音と雨の匂いに接点を見つけ出せず、違和感を別の違和感と合わせて、幸せ・・・なんて、、、くだらん事を思いながら過ごしたおやつの時間。
サッポロポテトのバーベキューを食べるか、ベジタブルを食べるか、、、よだれと相談して、、、結局バナナを食べました。
爪の長さが微妙な状態で、仕事をする。
僕の仕事は、キーボートを叩くこと。
ああ、その先が本来の目的だけど、表面的にはキーボードね。
違和感。
違和感は、よろしくない表現として使われることが主だが、案外そうじゃない。
楽しめるのだ。
どうでもいいねw
雨はそれでも降り続く。。。
夕方にダイエットをしようと瞬発的決起大会を身体の内部で行い、、、、、、晩飯の匂いと共に収束。。。
お風呂で大反省会を行い、決起大会は食後30分にしようと心に記す。
お風呂に潜り、超哲学的感覚磨く。。。
最後に歯をじっくり磨き、、、、一般論的一日が終わるのだ。
「雨は夜更け過ぎに、雪へと変わるだろう」的希望的観測は、心を癒してくれるし、、、
ふがいない現状に貧乏揺すりをするのだ。
あと、数分で日にちが変わる。
日付変更線が、そろそろ僕の頭上を通ろうとしている。
まだ書けるな。
いや、もういいやw
どれだけ本を読んだところで、実際に、天王星に行けるわけじゃない。
それなら、君とキスをしてた方が、よっぽどいい。
でも、僕は、君とキスが出来ないから、天王星へは行けないけど、本を読む。
「Warpさんに相談するといつも納得できる答えをくれる」
そう言ってくれる彼女がいた。
僕は思う。
それは僕の能力じゃないんだよ。
君が僕に伝えてる「君」が、君らしい君だからだと思う。
僕は相談の内容を僕の中の「君」を思い答える。
「君」ならどうするのか?
「君」はどんな人だったのか。
「君」は一番どうしたいのか。
僕の中の「君」は、ちゃんと答えを出すんだ。
僕はそれを伝えているだけ。
答えは「君」が持っている。
「君」と僕の3秒前から向こうの過去が持っているんだ。
大丈夫。
僕は、君の記録紙くらいがちょうど良い。
ちゃんと記録してるよ。
僕の解釈が修飾語的に付加されているけど。。。
君が僕に、ちょっとかっこつけた理想側に近い「君」を僕に伝えてくれれば、、、
なりたい「君」に近い答えを伝えることが出来る。
迷える子羊よ。。。。
入りたまえ。。。。
君に逢うためだったら、、、僕はあの死の谷を越えてやる。
君に逢うためだったら、、、魔物が住むという切り立った崖の上のひまわりだって取ってくる。
君に逢うためだったら、、、内蔵の二つくらい失ったっていい。
君に逢うためだったら、40年待ったっていいんだ!!
君に逢うためには、、、どうしたらいいの???
ほんとは、知ってるんだ。
君に逢うための方法。。。。
君に、、、「逢おうか」ってメールをすればいい。。。
それが出来ない僕なんです。。。
人生、、、二者択一が複雑に続いてるのだ。
細かい2択の連続。
4択にも8択にも見えるが実は2択。
で、その2つの選択肢。
相反するモノのあれば、2つとも良好な結果の場合もある。
どちらを選択しても、ほぼ同じ結果だけど、30問先の選択肢が変わるみたいな。。。ね!
まぁそれはいい。
今、頭に浮かぶのは、過ぎた過去を見てみると、選択する前に結果を予想できそうな選択が多いのだ。
予想するには、恐ろしいほどの想像力が必要だけど、、、その想像力を鍛えれば、、、、、、いろいろ楽しいな(笑
まぁ、極論を言えば、どちらを選択してもいいのよ。
よろしくないのは、選択するという行為をしないことで、先延ばしにすることが多くなりがち、、、まぁこれも在る意味選択しないという選択でもあるけど・・・。
いつでもやり直しは出来るのだ。
救いは求めるモノに与えられるのだ。
選択を恐れるな!!
過去の選択の後悔は、次の選択のためのステップ。
後悔ばかりしてたら、次の選択も出来なくなる。
過去の選択は、次の選択のためにあり、、、、
その選択は、必然だったのだ!!!!
気がついてるよ。
ほんとは、気がついてる。。。
でも、、、いやなんだ。
否定し続けていれば、君は僕の中にいてくれる。
もうセピア色よりセピア色になっちゃってるけど、、、
それでも、君はいてくれる。
気がついてるんだ。
もう、、、抑えられないみたい。。。
君は、僕の中に、いない。。。
どんなに頑張って君を想っても、、、君はもういない。
散々探したんだ。
いろいろ試したんだ。
君を全力で求めたんだ。
でも、もう既にいなかったみたい。。。
どこかへ行ったのか、元の場所に戻ったのか、、、わからないけど、、、君は、、、
幾度となく、君にかけた言葉。
僕の中の君にね。。。
ある日突然、、、虚無を感じた。
そして、気づいた。
やっと、終わったのかな。
これが終わりなのかな。。。。。
気づく。。。
想う。。。
涙。。。
切ない。。。
失恋とか傷心とか、そういう切なさじゃない。
君とのさよならじゃない。
君を想う僕とさよなら、、、、そんな感じ。
君を想う僕の姿。
そろそろ、博物館に寄贈するわ。
いつか、、、、いつか、、、、一緒に見に行こうね。。。。。。。
それじゃぁ・・・
「理想」に生きるか。
「現実」に生きるか。
そもそも自分の「理想」をあやふやでしか思い描けないのなら、「理想」側でなんて生きられないのかもしれない。
「理想」と「現実」が密接であれば、なんにも言うこともなく、こんなことを考えることもなく、旨いカレーでも食べればいい。。。
そうじゃないから、苦いコーヒーを飲むのだ。
何かをしなきゃいけない時に、言い訳的に「理想」論が芽生える。
しょうがない。。。
逃げ道には丁度良い妄想空間だからね。
まぁそれでも、その積み重ねで自分の「理想」が見えるなら良いだろう。
人は、失敗や間違いから、多くを学べるのだ。
いや、、、、人生は消去法。
いろんな間違いで消去していき、正解に辿り着く。
まぁ、、、すべてを消去するには、たった一度の人生じゃ、全然足りないけどね。。。
だから、、、、歴史に学び、過去に学び、先輩に学び、経験者に学び、昨日に後悔するのだ。
「理想」と「現実」
僕たちは、「現実」に存在している。
最終的には、「現実」なのだ。
理想とは違うからやらない人より、現実に必要だから続ける人。
どちらが良い???
まぁ若いうちは「理想」を「理想」としか見えないだろう。
経験値が圧倒的に少ないからだ。
歳を追えば追うほどに、「理想」が「現実」に近くなる。
「理想」の捉え方が変わってくる。
僕は、そういう意味で同世代が、好きだ。
若い人は苦手だけど、無限の可能性を垣間見れるので、好きだ。
年上は、尊敬的に、好きだ。
「理想」と「現実」
僕は、5年前から思ってる事がある。
「理想」と「現実」は、、、地続きなのだ。
君は、何を思う???
こんばんわ。
不馴れな場所で寂しくありませんか?
もう慣れたかな?
最初は世界が小さくなってしまったような感じがしたと思います。
今までは長年住んでいたのだから、それこそ世界の果てまで熟知してた。日常のね(笑)
環境が変わるとはそういうことだと思います。
そう考えると、寂しくも思えますね。
でも、そうじゃない。
本当は、新しい発見ばかり出来る環境になったんです。
フロンティア精神。
日々世界が広がって、楽しく思えて来てるんじゃないでしょうか。
そうだといいな、、、って思います。
次に、君に会える日を楽しみしてる。
いろんな話しが聞けそう。
君の話しはどんなひとの話しより、気持ちが良い。
心地よいんだ。
新しい日常。
疲れやすくなってると思う。
お身体に気を付け、丈夫にしてね。
人は、気力だけでは生きられないのです。
虫歯のときのやる気ったら、2ミリにも満たないのです(笑)
また、お手紙します。
それでは。。。