日本の役者の層って、分厚くなったねって思いません?


上から目線でも別にいいんだけど、僕らが幼かった頃より、遙かに分厚くなったと思うのね。


演技の上手い下手を言えるわけでもないけど、役所さんを見たときにいつも思う、、、演技ってすごいなって。


僕が邦画を見るようになったのは、そんな風に思えるようになってから。
結構毛嫌いしてた。
でも、脇役にも魅力を感じられるようになったのと、映画に求める何かに変化があったから。


幼い僕は、黒澤映画はちっともおもしろくなかったけど、今の僕にはたまらなくおもしろい。


そんなような変化があったんだろう。



で、この映画。



本当の悪には、悪意が無い。



ってな感じかな。



でも悪なのだ。悪意があろうがなかろうが悪なのだ。
征伐しないとね。



リーダーの資質的な本が多い昨今。
リーダーばかり増やしてどうする?
リーダーになることより、主君に尽くす侍を育てないと。
なんて思うよ。


ようは、師弟関係。親子関係。


守られてるから自由があり、守るから責任が生まれる。
これらは、立場の問題であり、ひとつの流れなのだ。


命を預けられる人がいますか?
命を委ねてくる人はいますか?
まぁこれらの答えは、成果でもなんでもない。
ただの「標」であり、目的にするものでもない。
ただ、答えられる方が、素敵に見えるってだけだな^^



そんな風な心境を感じられる映画だったよ。







って、このレビューは去年書いたんだけど、何の映画か忘れちまった><




 

自分のできること以上になんてできるわけない。


できることを全力でやるってことが大切。


全力ってのは、持続するわけがない。けど、手を抜かない、さぼらないってのは持続する。


持続、継続、地道に、、、どんなヤル気も継続して功となる。一瞬のやる気に乗っかるほど若くない。


若さってのはそれだけで資格となる。それを理解する頃にはもう若くないけどね。。。でもそれを理解すれば、「年齢」「年代」ってのが身にしみる。


その歳でまだそれを言う?なんて思うこともある。その歳でソレを言うのはまだ早くない?なんて思うこともある。


幼稚園に通う子供に掛け算を教える親にはなりたくなかった。掛け算は小学2年生でいいのだ。
幼稚園で学ぶことは体験することは幼稚園の年代でしかできない。
体験、経験は、絶対的に大人の性質に影響する。


その歳でしか出来ないことをその歳でさせてあげたい。


今の僕の年齢で知ってなきゃいけないこと。知るべきこと。はっきりと見えないけど、そうであろうと思う思いはある。


そうやって人は歳を取るほうが、楽でいい。


できることをめいっぱいやることで、次へ進める。


勉強とは、学びとは、知らない世界へ飛び込むこと。


子供たちは日々そういうことをしている。


大人はそんなに単純じゃないけど、本質は同じ。


出来ないことを知り、できることをやり、世界を広げる。




あと、一回。


馬場さんがいつだったか言ってた。


腕立て伏せをして、もうできないって思った時の、あと一回。
人は、できるもの。あと一回ってのは出来るのだ。


あと、一回。その世界が自分を超越した世界。その一回ができて、やっと、その次の一回に辿り着ける。


全力で頑張るっとはそういうこと。
自分を成長させたければ、大きくさせたければ、今の限界を日常的にしないとね。
じゃないと、限界の次を目指すことなんてできないのだ。




子供のために、後輩のために、全力で環境を整える。
子供のためにできることはすべてする。
そしたら、世界征服してた。


なんて素敵でしょ^^





最近のお気入りの名言。


「死ぬ気でやれよ。死なないから」





がんばろっと^^

最悪なのは、そこにいることに慣れてしまっていることで、そこに辿り着いたことじゃない。
嘆くなら、自分の洞察力の無さ、もしくは、それに伴う行動力の無さを嘆きなさい。

誰の責任か。

決まってる。
己の責なのだ。

物事は一瞬で成されるわけじゃない。
継続的なもの。

良く無い事象はその瞬間やその周辺の出来事だけが生んだわけじゃない。

数ヶ月の出来事がそうさせたわけじゃなくて、2年半の出来事の積み重なりであり、40年弱の人間性なのだ。
人のせいにするのは簡単で、気持ちが良くて、楽なもの。
でもそんなんじゃなんの解決もされない。
一瞬だけ乗り越えられると勘違いできるかもしれないが、結局次の2年半で同じようなことが起こるだろう。

一度の行動がその人はそういうことをする人というレッテルを貼る。

一度でも裏切ればその人は裏切る可能性のある人となる。
一度でも人を救えば、その人は人を救う人となるのだ。

もう20代じゃない。
行動には責任というか根拠のある行動をすべきなのだ。
40代になればそうでなくてはならない。

見上げる立場じゃないのだ。
見上げられる立場なのだ。

いつだってできることがある。
いつだって先を見るための情報はあるし経験だってしてる。

落ち着くのだ。

今できることを見極めないと。
今すべきことを見極めないと。

今より落ちるのは必然。
上手に落ちないと。

落ちないように頑張るより、少し落ちるのを前提に頑張るほうが余裕がある。
最悪じゃない。今は最悪じゃない。

振り返ればわかるだろう。
先月が最悪だと思いあがいた結果、さらなる最悪に辿り着いてる。
先月にそれを気づいていれば、今の最悪とは違う種類になってただろう。

来月の最悪が、今とは違う明るいものになるよう、今すべきことをしないと。
どうせ最悪なのだ。
何をしたっていい。

落ちるとこまで落ちる。
そう思えるのなら、落ちる場所に覚悟を持つといい。
あそこまでは落ちてもなんとかなる。とね。


2年半かけて落ちてきた場所を脱出するのには、2年半以上はかかるだろう。
最悪の位置にいながら、太陽は当たるし、笑顔がある。
そんな最悪には夢がある。現実性たっぷりの夢がある。


小さな努力の一歩から始めなさい。始めよう。




 

去年も一昨年もそうだった。
上の子の誕生日。
気持ちを伝える。

十五の君へ

ってことで、手紙を書いた。


お金が無くても、幸せを感じることができる。
幸せを作り出すことが出来る。


不幸の次が幸せってわけじゃない。
幸せは積み重ねでしか得られない。


そう思う。


日頃の行いが、幸せの条件だと思う。


今日が不幸で、明日いきなり幸せになれるわけじゃない。
宝くじがあたったところで得られないと思う。
まぁ宝くじだっていきなりじゃない。
買わないと当たらないからね。


明日、いきなり幸せになれないかもしれないが、今日の努力で明後日幸せになれる。
今日、不幸のまま過ごせば、明日も不幸で、明後日の幸せも得られない。


先送りしないように。
大事なこと。


思い立ったら、、、、
ってことだよ。


手紙を贈り、その反応を見て、思った。


僕も頑張ってるんだって思えたよ^^







 

好きな歌詞である。




自問自答で辿り着いた答えは、相対的に間違っていることが多い。
ただ、その答えに辿り着かないと、本当の答えには辿り着けないのだ。




だから、




自問自答を繰り返すのだ。




答えを、たくさんの答えを直列で並べて、一気に走り抜け!




そんな気分だ。




走り抜けた先には、、、、




やっぱり、答えなど無いのかもしれない。




ふと立ち止まり、思い悩み、そして、自問自答だ。







一緒に走る仲間がいれば、楽しい旅にもなるだろう^^



 

半径10m以内の人を幸せにできないで、自分に無関係の人の不幸に涙するのは、滑稽だ。って、だれかが言ってた。


幸せは、形じゃない。だから別に、こうだから幸せって理由付けもいらないし、説明も、言い訳もいらない。


まず、することがあるだろう。
できることがあるだろう。
すべきことがあるだろう。


ゆっくり検討した方がいい場合もあるし、その場で覚悟して決められることもある。


答えが出てるのに、もじゃもじゃしてるのって、覚悟が足りないんだよね。
もじゃもじゃも大切なのは知ってる。
タイミングってのがあるからね。


でも、タイミングってのを言い訳にしちゃいけないよ。


周りの意見を耳で聞いてるだけで、それは知ってるって、そりゃだれでも知ってる。
心にあるかどうかが大切で、心には違う決心があるのだろう。
だから、抜け出せず、だから、わざわざ苦しいところに居場所をおいちゃうんだろうね。


仏は、捨てろと言う。
神は、許されると言う。


捨てられずに、許されないって思ってるのは人の傲慢さなんだと思うよ。
どこまでも、傲慢なんだと思う。


自分がどれだけ高尚なのか、、、いろんなものを捨てて、いろんな自己中心的だと思う行動をすればわかる。


思ってるより、大丈夫だよ。


そう過ごして、そう目指してきたんでしょう。
高尚さは、ものじゃない、持ってる何かじゃない。
自分の芯なのよ。


公園で寝泊まりしてても、変わらない。
ホテルのスイートに住んでても、変わらない。


自分の人生を構築しなさい。
自分の人生を歩みなさい。


ってこと。


さぁ、ゆきなさい。




良いことも悪いことも、自業自得的に降りかかる。


過去と今はやっぱり繋がっているのだ。


努力は報われ、怠慢に呪われ、人生は一本道だと知る。


過去に依存してる人もいれば、囚われてる人もいる。


決別したかに見えて、実際は、経験値として積まれている。


歳を重ねれば重ねるほど、積み上がるモノは多い。




良くないモノはさっさと処理していけばよかったのに、先送りしてしまって、今になる。


努力し続けたことは、ちゃんと身になってると実感できるってのと同様に、そう思う。




過去の結果がこうなんだ。




そう嘆くのは一瞬でいい。




ここがゴールじゃない。




今が結果じゃない。




ただの、通過点。




そう捉えるのが理想なのだが、、、重すぎる問題に、、、押しつぶされそう。




耐えなくては。




ここは、どうにか、耐えなくては。




良くないことの結果だけど、良いこともしてきた。がんばってやってきた。




多分、今、僕は、どちらかに淘汰されるのかもしれない。




何とかなる。




何とかなってきたんだ。




何とかなる。




何とかしようとしているんだ。




何とかなるさ。








2011/04/04
 

ココロに善があれば、何をしたって、何もしなくたって、何をしでかしたって、、、いいんよ。


したいことをするんだ。


したくないこともしてみるんだ。




僕は、見守ってる。


ちゃんと見てる。




ってか、、、ばれてるよ^^




僕が説くのは、「善」であり、そのやり方や結果についてはとやかくいわない。



まぁ、思うことは言うけどね。







君の、、、君たちの変化は、僕の成果でもあるんだ。







僕の「善」を伝える。






僕は僕の「善」を際立たせればいい。





とどのつまり、僕自身が僕をよく知らなくてはいけない。





僕の経験を僕の頭で解釈し、僕自身の「善」を得る。





彼らに偽りの善なんか伝えたくない。





何が偽りか、何が正しいか、、、簡単なこと。





僕が僕自身で間違っていれば、間違いに気づけば、それは正す。




人は完全じゃない。




僕は、僕自身を、始めて経験しているんだ。




間違いだってある。




それを含んで僕なのだ。




誰でも間違える。




それを含んで、その人なのだ。







僕が、僕で、



君は、君で、








いつの間にか、導く側にいる僕の出した答えは、、、「ありのまま」だ^^








そんな子育てを心がけている。

いろいろ思うところがある。
いろんな葛藤もあれば、いろんな思惑もある。


僕に出来ること。出来ないこと。


人のために出来ること。
自分のために出来ること。


家族のためにしなきゃならないこと。
仲間のためにしなきゃならないこと。


未来のために、今、やるべきこと。


いろんな思いが渦を巻く。


希望は必ずある。


反面もまた必ずある。


不安だ。




僕が今出来ること。
僕が今していること。




いろんな人が、それぞれで出来ることを考えている。


それぞれで行っている。




その是非はわからないが、僕は僕なりの是非があり、僕は僕なりに行っている。




みんな良かれと行動していると思う。


「善」が、、、それぞれの「善」がある。




過去を生きてきて、未来を生きようとする。




培った過去の財産は、そう呼べるモノは内側にある。




そんな精神論を吹き飛ばすくらいの現実が立ちはだかっている。




現実は刻々と変化する。




起きたことは宿命。



起こすことは運命。




僕たちは頑張らなければならない。






みんな頑張っている。



それぞれで頑張っている。



あわてふためき、頑張っている。








いろいろ思うことがあり、全然まとまらず、、、


力なき正義は、だまっとけ。


そんな思いにかられ、僕は、僕の力でできることをするのだ。






2011/03/14
 

自然体ってのは、何かをしている人に当てはまる言葉であって、なんにもしてない人が自然に過ごしてたらミイラになるだけよ。


やりたいことを邁進してる。
やりたくないことをすべきこととして努力してる。


自然に、自分らしく。。。


やりたいことばかりできるわけじゃない。
やりたいことを探してばかりいられない。


郷に入れば郷に従え。


そこに見い出せ。


やりたいことをしている人のエネル源は、湧き出る情熱。
やりたくないことをすべきこととしてる人のエネル源は、抜け出したい葛藤。


なんでもいい。


動けよ。


そこから、自然体が生まれ、自分らしさも見えてくる。


そこから、類は友を呼ぶ的に仲間が増える。


自然に過ごす。


いつもどう過ごしてる???


自然体レベルをどこにするかは自分の行動次第。


自然体は大事よ。