上杉禅秀の乱、失敗。 | サブ315大作戦

サブ315大作戦

mission3:15 impossible

ペースを決めずにゆっくり走り出して自然と行き着くペースはどのくらいかな?という感じでミドル。

 
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いやー、やっぱり夏だからなのかバテてるのか。
行き着いたペースは感覚で5'40/km程度。しかし、実際には6'10/km超えてました。30秒の違いすら感じられないバテ具合なのでしょうか。
 
ま、本日所用によりランオフという予定だったために、決死のミドルはこうして終わりました。
 
アメブロランナーを拝見してるとスピード出てる人は暑さ関係なく出てますよねー。凄いです。しかも、それでいてロングの方も。
 
休足すれば、生まれ変われるでしょうかwww
 
 
そんな、昨夜は14.18km。
 
1418年  
3月1日(応永25年1月24日) - 征夷大将軍の足利義持が異母弟の足利義嗣を殺害する。
 
 
足利義嗣は父である足利義満に偏愛され、兄である義持をさしおいて足利家の家督を譲られるとの噂がもっぱらであった。又、義満は義嗣を天皇に、義持を将軍にして足利政権を有史以来最高に盤石なものにしようとしていたと言われている。しかし、義満の死後この件は全て白紙撤回された。既に将軍に就任していた義持はこれまでの義満の政策を快く思っていなかった。義持は父の政策を重要な事項であっても悉く中止し、朝廷が義満に尊号を贈ろうとしたがこれも辞退している。これらの事からも父を憎んでいたことが窺える。このような義持が全権を掌握したら、義満の寵愛を一身に浴びてきた義嗣が疎まれ憎まれるのは火を見るより明らかである。必然的に以後の義嗣は不遇である。 上杉禅秀と共に謀反を本当にしようとしたか、兄足利義持によって陥れられ、謀反をせざるを得なくなったかは知る由もないが、この時謀反しなくてもいずれは兄によって誅殺される可能性が非常に高かった事だけは事実である。
 
 
これは、記憶の片隅に聞いたことがあるぞ!
しかし、足利義●が多すぎて、なんとかならなかったのかな。半分漢字を覚える勉強としか思えない・・・。