伊勢は遥か遠いけど・・・伊勢西街道を歩く、その⑬、立田小学校跡~松ノ木でグランドフィナーレ。 | 歩いて走って登って、毎日ビール(・・・日本酒も)。

歩いて走って登って、毎日ビール(・・・日本酒も)。

体を動かすのは好きなのです。
体を動かした日でも。
動かさない日でも。
・・・ついつい今日もまたビール!
・・・いや最近は日本酒にはまり中・・・。

 

***前回の記事、その⑫より続きです***

 

旧立田小学校跡を通り過ぎ、桜を楽しみながら浮かれ歩きで伊勢西街道を北上します。

このあたりは一般的には巡見街道と言ったほうが通りがいいかもしれません。

 

でもこういった古民家もチラホラ見かけて、複雑な気持ちになります。

 

そういえば路傍の石仏やお堂も少なくなってきてました。

 

桜の写真ばかりで撮れ高増やしてるようですがやはり目がいってしまうと写しちゃいます。

 

ここでも振り向けば羽田。

 

善行寺、Googlemapによれば石碑があるようなので立ち寄ります。

 

古田重勝公、大河ドラマに出てくるほどではないのですがかなりの活躍をした戦国武将のようです。

その後3代続き改易断絶してるので知名度は低いのですね。

 

Wikiでは今の本巣市で生まれたとありますが、傍らの解説板によればここ古田の里で生まれ育ったとあります、ご当地大名なのでした。

 

重厚すぎる屋根、なんと立派な、もはやお城じゃん。

 

お地蔵さまには急げども手を合わせます。

馬頭観音さまは全く見ないしお地蔵さま単推しですね、巡見街道。

そして必ずお堂の中に、野ざらしにはしない土地柄なのでしょう。

 

どこまでいっても桜、青空の下、派手過ぎないピンクがホント良い。

 

地味に小さめの羽田。

 

街道沿いだけでなく山桜もたくさん咲いてるな~。

 

ヤマトタケル史跡、佐五地池跡、ちょっと気になりましたが池の「跡」なら何も残ってなさそうなので・・・スルー、時間が無いのって悲しい。

伊吹山から落ちるときの史跡?

 

おそらく一日一人も歩かなさそうな県境に向かう国道の歩道を行きます。

恩恵を受けるのは街道ウォーカーのみかも笑。

 

スミレさん満開。

 

 

0キロの国道表示があるので足を止めると、道路の反対側に石標があります。

この道は国道なのに県境で距離表示をリセットするのか~。

ところで国道365号は三重県四日市から石川県加賀市までのずいぶん長い国道なのを今知りました。

 

あちらは・・・県境標識の下に、領界石が立ってます、幸い見通しのいい場所なのでササっと道を渡ります。

何と書いてあるのかな、えーと、「従是南三重縣・・・

 

・・管轄」ですね!

国境の境の印というよりは国道、いや、その頃はどんな扱いの道だったのか、この街道の管理境みたいな感じなんかな。

 

伊勢國員弁郡立田村。

正面は県表示なのに横には旧国名という興味深いものでした。

いつのものなんでしょうかわかりませんでした、後ろは見えなかった。

 

県境部には車を止められるスペースとベンチなど小公園が設置されていましたが閉鎖されています。

ゴミを捨てていく輩が多いんかなぁ、こういう場所は。

 

もう誰も座ることのないベンチ。

 

我が歩道はすっかり落ち葉に埋もれてふかふか、まるで登山道になってきましたがここで国道区間から離脱です。

 

どうもこのあたりは集落に入る少し離れた木々の中の場所にお堂のお地蔵さまが祀られているパターンになっているように思えます。

 

打上という集落に入りました。

 

白山神社鳥居横、定番ごみ収集場所横に道標あります笑。

 

なんだか表面が白くなっていて読みにくい・・・コケみたいなのでしょうか?

たわしで磨きたい笑。

右 京 大坂

中 四日市 山田

左 こまの 高須  道

駒野、高須は養老山地を峠越えの道を指してますね、川原越えあたりの道でしょうか。

江戸時代の古地図を見ると車を通す必要のない江戸期には多くの峠越えの道があったようです。

 

立てられた年は・・・フォントなんかは江戸時代っぽいですが読めませんでした、「正月」は読めるのに・・・。

 

伊勢への道らしくここにも大神宮常夜灯もあります。

 

見えてきた川を渡れば時の集落。

時まで行けば関ヶ原行のバスに乗ることができます。

しかし段丘の高低差もあり随分と回り込んでる街道。

 

ようやく川までたどり着きました。

この道、先日三国岳登山で断念した山、烏帽子岳登山に行ったときに通った記憶があります。

ああもう9年前のお話でした、カタクリとイワウチワがいい山でした。

 

左に見える山が烏帽子岳、秀峰です。

 

ここまで来たら何とか目的地の松ノ木までたどり着きたいのでつい早歩き気味になります。

おそらく大丈夫でしょうが、要所要所の気になるポイントではあまり時間を割けません。

さてここは・・・安倍晴明史跡。

安倍晴明はここまで来てるとのこと、その時の祈石というのがあるのでこれは是非見ねば。

晴明神社も立ち寄りたいですが時間がないので少し遠いこちらはスルーします。

 

祈石、思ったより小さかったし、ハルアキラさんこれでは座りにくそうでした。

解説にあった「500メートル南の割れた巨岩」というのは残っているのかそちらも激しく気になりますが・・・。

 

急ぎ次へ、せわしい。

道なりにこちらに行きそうになりましたが・・・。

今は集落の中心に向かうこの道がもちろんメインルートなのですがいにしえの街道は集落の外側を回っていくようになってます。

 

ぐるっと回って唯願寺、ここも見どころ。

 

このお寺は本願寺側に門徒を出してに織田信長と対立した歴史があるとのこと。

 

石山本願寺とやり取りした文書が残っているそうです。

 

境内にお邪魔します、見どころはシブナシカヤの木。

 

 

 

もう一つの見どころは井戸。

この井戸「竜宮乙姫の古池底なし井戸」と呼ばれていてなんだかスケールが大きい。

そしてなんと瀬田の唐橋に通じているのですビックリ!

 

ドリフのコントがあったのか?

タライが落ちてます、思わず上を見上げます笑。

 

あまりゆっくりと時の集落での時間は楽しめませんでしたが先を急ぎます。

レトロ看板。

 

 

予定の時15時05分発、松ノ木は15時13分に出るバスまで残り約1時間半でバス停あと四つ分歩きます。

何とかなりそうかな。

 

しばらくは国道歩きの単調な区間で時間を稼ぎます。

↓この区間も国道ではなくオレンジの線の道が旧道(昭和初期の地図にある道)なのですが

山手の道でここもちゃんと繋がっていて歩いて通り過ぎることができるのかよくわかりません。

なので時間の厳しい今回は泣いてスルーします、気になるけどな~。

 

この小高い山林の向こうにその道は通ってます。

 

この「かみいしづ緑の公園」の奥を通ってるのか・・・やはり気になる。

 

この公園前に時から2つ目の緑の村バス停がありました。

松ノ木バス停まであとバス停ふたつ、時間を一応見ときます、何分余裕があるかな・・・。

あれ?時間がおかしい。

前回きた時の調べでは確か土日平日同じ時刻表だったはずなのに・・・。
あー!平日の予定のバスの時間が繰り上がって早くなってるじゃん!!
残りおそらく3キロ程、あと50分しかないじゃん!!!

 

よく見ると10日前の4月1日改定と書かれています。

何はともあれ急がねば、バス1区間だけ残るのはシャレになりません。

次のバスは3時間以上空くので帰ることはできますがこれもシャレになりません。

大ピンチです。

 

目の前にある大垣市かみいしづ緑の村公園に車で来て歩くということもできますが・・・。

とりあえずは急ごう、ここからは競歩のように走りそうになりながら歩きます。

暑い日で、汗が~!

またこのゴール前大急ぎのパターンか~!

 

国道離脱!

 

ここ良い景色やな~でもヒイヒイいいつつ早歩きというかもはやスロージョグ?

 

いい橋があるな~、でも立ち止まれず・・・。

 

大きな木の下のお堂をのぞき込み一瞬で手を合わせ・・・。

 

このバス停が上多良、あと一区間。

上多良の集落にある関ヶ原史跡、島津豊久の墓や菩提寺の瑠璃光寺とかにも寄りたかったのですが無理だ~。

 

 

もうすぐや~ここもお地蔵様のお堂から集落が始まる。

 

 

八幡神社が見えてきました、松ノ木到着、間に合いました~!

 

 

バス停で時間確認。

 

↓帰ってから前回の松の木の時刻表を確認したらやはり変わってた。

 

なんとかバス停向かいの宮崎屋さんで美味しいお菓子のお土産を買って帰る時間は残りました。

 

完全貸し切りのバスでも桜を楽しみながら帰りました。

 

関ヶ原駅に到着。

しばらくバスで座って休んだら足が激しくヨレヨレになってしまっていたのでした。

 

 

ログ。

 

たいした距離ではないのですが結局最後はバタバタになるお馴染みのパターンでした。

ホント予定表通りに歩けないのです笑。

最近は調べでわかりにくいコミュニティバスが多いので普通の路線バスが残っているのだけでも貴重なのですが1日3便はキツイ笑。

こんな行き当たりばったりな歩き方では泊りの長距離街道歩きなんてできないよな~。

何はともあれ、伊勢西街道、桑名~関ヶ原つながりました。

現代の国道365号のトラックがブンブンな物流路線ぶりからすると昔も重要な道だったろうなきっと。

 

しかし緑の村公園裏の旧道は何もないかもしれませんが長い距離の区間を歩けてないのはどうしても気になります。

なので後日(三国岳登山の帰路)再訪しました、黄金大橋下の三当橋と共に落穂ひろいで次回にちょろっと書き足したいと思います。