梅雨空のお天気が・・・なかなか山やウォーキングに勇んで出かけることができません。
家でだらけながらよくグーグルマップの航空写真や古地図散歩アプリの地図を眺めています。
そんな中、地図上で前から気になっていた場所の方向に行く用事があり、ちょっと現地を見てみようと思いました。
まずはじめはこの北名古屋市と岩倉市の境を流れる五条川沿いのこの一角。
ここだけ丸ーく円形に妙な形で家が並んでます。
地形図で見ると川の真ん中の市境の線もこの円形にそって歪んでます。
これはきっと・・・。
やっぱり!
古地図で見ると元々蛇行して流れていた五条川の痕跡でした。
この蛇行する川を真っすぐに付け直した跡なのでした。
現地に行ってみると、左の集落側よりやや高い位置の道路が円形にしゅるーっと弧を描いてます。
これは元堤防で間違いなさそうです。
車を止めた近くにベンチのあるポケットパークがありました。
石碑と、夏草ですっかり埋もれて石柱がありますね。
石柱は道標かと逸りましたが、天神様だったかな、の跡の碑でした。
石碑は昭和11年の五条川改修記念の碑で、今回の訪問ドンピシャの記念碑発見でした。
今昔マップon the webで確認するとなるほど昭和15年の地図から改修後の流れになってました。
石碑の文章は、なんだか清須城がどうこうから始まって長い・・・草むらに蚊もいてここで読むのはちょいツライ。
ちょうどあのあたりが屈曲区間。
弧を描く場所を歩いてみます。
まあ普通の道のようですが、右側のすぐ下に並行する道はやや低くなっています。
矢印の場所を下から見ると玉石をコンクリートで固めた石垣がありました。
堤防の石垣なのかなぁ、正解はわかりませんがそんな風にも見えます。
も一度五条川の下流方向を眺めます、それほどガチに直線にはなってないのです。
さ、ここはこのくらいにして次が今日のメインの見どころ。
場所は一宮市の丹陽町という場所で、名神高速の上り線の尾張一宮PAのすぐ北の田園地帯です。
この航空写真、このあたりだけ全く農地が整理されていません。
農地は昭和40年代くらいまでに効率がいいように碁盤の目のような直線的な区画に整理されているところがほとんどです、この写真の右端のあたりみたいな感じです。
改めてグーグルマップの航空写真を見るとホント日本全国津々浦々、現代は農地は直線的な碁盤目のになっていて驚きます。
だから旧街道歩きは消失区間ばかりなのですが・・・涙。
そしてこれが戦後のころ(昭和20年代)の写真、周りは激しく変遷してるけどこのエリアの農地は全然変わってない!。
これはもしかしたらほぼ江戸時代そのままの農地の景色を見られるのでは?
地図を見比べると・・・これが現代。
これは明治26年の地図。
明治の破線の道がなんとそのまま残ってます、これはもうおそらく江戸時代の田んぼ道です!
集落は昔のまま残ってることが多いですが、広い農地ではこんなの見たことない。
北半分くらいの道は舗装されているようですが、道の揺らぎや農地区画のほにゃほにゃ感が半端ないです。
南の方は舗装されてなさそうです、そしてこの真ん中の道のくねくね、比類ない!!
これは面白そうなところを見つけたとググってみると、こんなマニアックなこともやっぱりもう気が付いてて訪問したり書いたりしてる先人たちはいるのです、さすがです。
そしてここ、この未整理の古い区画のことよりも「島畑(しまばた)」というワードで引っ掛かることが多いのでした。
農地の掘って深くしたところを田んぼ、土を積み上げて盛った所を畑にして使うやりかただそうです。
農地整理改良と機械化大規模化でどんどん消えていき、日本でも数少ない島畑の残っている場所がこの地区だという事でした。
ここは高速も近いし、いつ消えてなくなるかもしれません。
そんなとこなら見に行かなきゃ!
神社の隅に車を置かせてもらい参拝後、探索に。
本郷という集落からスタートします。
集落を抜けると広い田んぼが広がりました、道はいきなりゆらりと曲がっています。
起伏のある土地ならともかくこんなまっ平なのにこの雰囲気。
今ここです。
おー、いやいやゆらりりどころではありません、凄い道。
これは浮世絵の、例えば東海道五十三次の平塚みたいな道もあながち極端なデフォルメじゃないのですね。
田んぼも自由な形で笑。
あ、これが例の島畑かー。
田んぼの中のちょっと高い位置の畑にあぜ道がつながってます。
なんとなくお城の掘割的な雰囲気があります。
よく見るといくつも同じような島畑がありますね。
南寄りのあの激しく屈曲している道、やはり未舗装でした。
この日はたまたま新しいシューズを履いていたので・・・汚すのが嫌でここで引き返しました笑。
のびやかな樹形の木がありました、シンボルツリー的な木です。
直線でガチガチでないのびやかな田園風景でした。
酒屋前という小字の地名がありましたが酒屋はなかったのです。
どうしてこんな地名が?
スタート地点に戻ってきました。
ここも凄いねー。
島に渡るあぜ道のずいぶん長い立派な島畑。
作物は里いもが多い?
こんな感じでとても楽しい散歩でした。
このすぐ横を貫通する高速道路の高台、尾張一宮PAから見おろせる景色はどんなか。
いろいろ調べると、このPA、高速道路に乗らなくても地元の人も裏から歩いて入場できるようです。
ぷらっとパークという名前でのサービスで、PAのすぐ裏に入り口と駐車場がありました。
危ないのでストリートビューの写真で、ここから入ります。
15台くらいのキャパで、思ったよりも車が止まっていました。
いらっしゃいませと歓迎の言葉はありますが、なんだかスーパーにバックヤードから入る感じで笑。
スタバ、ファミマ、吉野家があります。
無事潜入です。
なんだかズルしたようで落ち着かない。
売店で思わず・・・大好きな桑名名物安永餅があったので買いました。
・・・ってそんなことをしに来たのではありませんでした。
肝心の景色は・・・。
思ったほどの景色は見えませんでした・・・。
でも楽しい経験でした。
あとは・・・。
北名古屋市歴史民俗資料館、通称昭和日常博物館に行きました。
ここは二度目の訪問です。
でっかい建物ですが図書館と併設の施設なのでそれほど展示スペースがあるわけではありません。
しかし何といっても無料なのです。
民俗資料館にありがちな土器や瓦はほぼありません。
エレベーターが開くとそこは懐かしの世界(昭和30~40年代前半くらいの人の)。
ホーロー看板、ホント見なくなりました。
昔はそこかしこにあったのに・・・。
学生服のカンコーが「菅公」と書くことなんてホーロー看板で知ったこと思い出します。
今ではコレクターズアイテムになってしまい、すっかり無くなってしまいました。
あ、レトロ雰囲気居酒屋さんなんかでは見るけど。
近頃はネットオークションで何千円何万円と高値で取引されてて・・・。
まあ道端で朽ち果てるのもアレですが、たまには歩き旅で見かけたいものです。
小物展示コーナー。
牛乳箱。
今でも学校に一人一枚雑巾を持って行くのでしょうか?
あ、縫わなくても百均で買えるし。
これはちょっとワタクシの世代では知らないなぁ。
かといってリビングセットがあるこれも違うけど。
これもちょっと・・・。
こちらはまあ近いかな。
防虫剤、こんなんあったあった。
懐かしい、魚雷戦ゲームだ。
なぜかうちもあった、熊の置物とこけし。
ペナント、提灯、通行手形、見なくなったなぁ。
これ系もお土産の定番だった。
小学校の頃の修学旅行のお土産はこんなんでした笑。
そして地下駐車場にも展示スペースがあります、ここは何と車とバイクの展示。
このブルーバードの色、こんな渋めのピンクな色で当時販売してたのでしょうか、
だとしたら凄くないですか?
ちょっとレトロすぎる車ばかりですが、
このマークⅡはだけは知ってる世代です。
それほどボリュームある展示ではないので、企画展をやってる時の見学がおすすめです。
世代の人は面白いので一度是非に、くどいようですが入場無料です。
早く梅雨が明けますように、どちらにももう豪雨被害ありませんように・・・。