今尾街道(仮称)を歩く、その③、今尾城下町うろうろ。 | 歩いて走って登って、毎日ビール(・・・日本酒も)。
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歩いて走って登って、毎日ビール(・・・日本酒も)。

体を動かすのは好きなのです。
体を動かした日でも。
動かさない日でも。
・・・ついつい今日もまたビール!
・・・いや最近は日本酒にはまり中・・・。

今尾秋葉神社を見てからいよいよ今尾の町に入ります。

 

 

 

ぽつぽつと古い民家もありますが昭和感のほうが優勢でしょうか。

おもちゃ屋さんだね~。

 

西願寺山門は元今尾城の城門で、今に残る唯一の遺構。

 

 

イカのおすし、知らなかった。

 

城下町のメインストリートだったと思われる通り。

 

通りを右に曲がって今尾城跡に向かいます。

この、町から水路(元水堀?)を越えるややクランクした橋を通って城内に向かうのは、

こないだの高須城下の主水橋周辺と同じような作りです。

同じようなデザインの城下町構成だったのかもしれません。

 

 

わかってはいましたが城跡と解説板は今尾小学校の門の中、またかー。

うーん、解説板は学校の敷地外に設置できないかなぁ・・・。

校門入ってすぐとはいえ子供たちの声が響く校内にうろうろカメラ持って入れるはずもありません。

ましてやここは幼稚園小学校コンボで行き止まり、近づきにくさ2倍。

八神街道でも2度こういうのがありました。

全国自治体や観光協会とかの方・・・。

歴史好きの人間てそれなりに多いものなんです。

学校内に移設しての歴史的文化財の保存と史跡解説板設置はホントやめてほしい、再考お願いします。

 

まあここは気を取り直して城下町散策を続けます。

これは、古民家八百屋さんだね~。

今の子たちは八百屋さんて見たことあるのか笑。

 

ポケットパークです。

 

ここは学校教材の文溪堂発祥の地でした。

 

川に近づいてくると、昔ながらの古民家が増えてきました。

今尾は渡しのある町であり川湊のある水運の町でもあるので川に近いこのあたりが栄えてたんかも。

 

 

堤防に、今尾神社、これで町を東から西に突き抜けました。

 

吉田松陰さんが参拝したことがあるということです、へー。

 

京都市、某家寄進て、匿名希望の寄進?

 

 

なんとおみくじ20円とスペシャルプライスです。

これはと引こうと思ったけれど10円玉全部お賽銭で使っててもう持ってなかったのです・・・。

 

 

 

 

この家の左半分はなんに使われてたのかな。

 

常栄寺、江戸時代の治水工事での薩摩工事義歿者のお墓があるお寺なのですが、

まだ大分遠いのにまたもや犬に激しく吠えられ近づくことはできません。

これだから犬は苦手です(個人の感想です)、回れ右です。

 

 

 

その江戸時代の治水工事の奉行、平田靱負さんの名を冠したウォーキングコースが。

この平田靱負さんに関しては後日、別の史跡にも立つことになります。

やはりこの川湊辺りがいちばん昔の風情が残ってる。

 

堤防に上がったとこにある建物。

 

あ、かわしまや、っておちょぼ稲荷のちかくのあの草餅やさん昔はここに店があったんか~。

川湊にあったお餅屋さんだったのかな。

 

こうしてぽつぽつと古民家の残ってた今尾の町をうろつき回りました。

さてこの堤防に登ったとこから振り返った堤防上に常夜灯と道標が見えます、今尾散策ラストは今尾渡し道標です。

 

 

 

常夜灯も立派ですが。

 

それにも増してこの指さし道標はすごい立派なものです。

摩耗もなくしっかり読めるし大きい!

名古屋八里津島三里。

関ケ原六里高田三里。

 

こっち面は・・・。

岐阜七里笠松五里。

伊勢道桑名六里。

 

嘉永四年。

幕末だねー、ペリー来航の頃のものです。

 

ここ舟渡って地名で、いかにも川湊と渡しの町らしいな。

 

この今尾の渡しという渡し舟、昭和はじめまであったそうです。

渡しを渡るその先は養老に道がつながっていたそうです。

↓そこで、こんなんあります。

養老町のウォーキングマップ「津島街道」

養老町の古道

これは続いて歩くしかないよねー。

今日はここまででお帰りして、後日さらに続きます。

次回、今尾から揖斐川を渡ってさらに進む、養老の津島街道編です。

 

恒例お土産。

麒麟がくるのお酒は実は滋賀県のものでした、頑張れ岐阜県酒蔵~。