今尾街道(仮称)を歩く、その①、またまた東海大橋を渡ってスタート。 | 歩いて走って登って、毎日ビールか日本酒。

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・・・ついつい今日もまたビール&日本酒をグッと。

高須街道を歩いた時に道標にあったことから気になっていた今尾という町。

山に行くときに、車から「今尾」という地名が見えるので認識はしている町でしたが、

調べると江戸時代には尾張藩の重臣竹腰氏(3万石)の治める町だったようです。

明治維新後には今尾藩が数年だけですがあったとか。

ふーん、じゃあ高須と同じく小さいながらも城下町なんか。

・・・と、見に行きたくなります。

 

今尾に行く街道なんてマイナーすぎていくら調べても出てきません。

今昔マップで明治の地図を見れば木曽川長良川を渡った所から今尾に向かう一筋の道があります。

多分この道が江戸時代からの道だろと見当をつけて、歩いてみることにしました。

なので仮にここは今尾街道という名前にしときます。

 

高須街道から分岐する地点までは、まずは我が町のコミュニティバスで向かいます。

ワゴンタイプの車は窮屈だしコロナウイルスも怖くていけませんが、仕方ありません。

終点は木曽川堤防の見えるバス停。

地泉院というお寺さんの前ですが、なんか賑やかしい、平日なのに駐車場もあふれてる。

 

ちょっと覗いてみると、節分で豆まきなんかしてるのでした。

 

 

尾張徳川家ともゆかりのある歴史あるお寺ということで、葵の紋もあちこちに。

 

残念ながら豆まきの時間には合わなかったので出発です。

ああもう梅が咲いてるし。

 

堤防登るとすぐ東海大橋、またこの橋を歩いて渡ります。

 

やっぱり長い・・・。

 

木曽川の上で県境を越えます。

 

もう春霞なのか?伊吹山見えない~。

 

昔の航空写真で見える、水流を抑えるため?の直角に張り出した木曽川堤防の小突堤ももうすっかり埋もれてますね。

これ。

 

ホントはこんなんだった。

 

そして長良川。

これ、重機もない明治時代に村や田んぼを潰してこんな大きな川を一から作ったなんて信じられませんわ、すごいね。

 

渡り終えました、最近なんか橋ばっかり歩いてるな・・・。

 

橋詰の神社に今日も無事を祈って参拝に。

 

鳥居が並んでるのです、春日神社と山野神神社。

 

 

 

さあ先日の高須への道から分かれて初めての道に進みます。

堤防の中の中段の道ですがきっと昔はここが堤防の上だったんかな。

 

あ、またもや並んだ鳥居の神社です。

八坂神社と八幡神社、見事に左右対称です。

 

拝殿までは合流。

 

拝殿前のかわいい狛犬さんは誘拐防止で檻の中、窮屈そう。

 

 

で、本殿はまた分かれ。

 

しばらくは堤防歩きです、水防倉庫というのがいかにも水と戦う町らしい。

 

この解説版は先ほどの明治の長良川掘削工事で沈んだ町の記憶を残す、

「長良川右岸提大巾引提の地」の解説でした。

 

そしてここで、(仮称)今尾街道は堤防を離れました。

 

おー、お堂があったり、いい道じゃないですか~。

高須街道では見なかったもんなー。

 

どのお宅もかなり土地をかさ上げしてます、さすが輪中の町です。

 

養老山系もきれいだし、鼻歌交じりで気分よく歩き歩き。

 

道沿いに養老軒さんという和菓子屋さんがありました、これは寄り道です。

ふるーつ大福とかでたまにアピタなんかで出張販売してる同名のお店とは関係ないそうです。

 

華やかなカウンターでこれは種類多いわー、迷いながらお土産にするお菓子を選びます。

小腹も空いてたので草餅をその場でひとつ頬張ったら、暖かいお茶までいただきました。

大変美味しゅうございました、元気も回復しました、ありがとうございました。

 

ゆらりとカーブする道、街道感なかなかのものです。

 

これは駕籠でも着けられそうな玄関。

 

立派やー。

 

またまたまた二つ並びの青銅?鳥居の神社が。

これがデフォなんかこの辺りは笑。

養老軒さんでこの神社になんかあると聞いたので覗きに行きます。

 

これはこないだよりずっと楽しい道のようです、続きます。