小学校低学年の時、スイミングスクール。
四泳法を習得する前に離脱。
小学校高学年の時、剣道。
個人戦成績最高2回戦止まり。でも団体戦では大将!(学年的に
中学校時代、弱小野球部。
1年時は先輩が嫌だと練習に出ず、2年時は楽しく、
3年時はやっぱ練習嫌だと早々に引退。
練習休む言い訳考えなくてもいいから
中学時代ほど雨を願った時代はなかったな(しみじみ)
高校時代、帰宅部。
大学時代、テニスサークル。(きゃぴ
ボーリングでは10ポンドのボールが重い。(関係ない)
でもサブ3出来る。
2013年1月、高槻で初ハーフに出場して、2時間13分。
あまりの自分のダメっぷりさにがっかりして、ランニング開始。
2013年秋~2014年冬のシーズンは
初ハーフで抱えた憎悪の念を晴らすために燃えた1年。
ハーフの借りはハーフで晴らすということでハーフのレースのみ出場。
完走記を書きながら涙したのはこれが最初で最後。
ランニングをとにかくがむしゃらに頑張ったと思える1年。
とにかく5kmぐらいを一生懸命走ってた。
フルマラソンは当時、考えてもいなかったけれど
ブログ繋がりが発展しだして、「フル走れ('ω')ノ」と唆されるように。
ランニング2年目の2014年秋~2015年冬シーズン。
月間走行距離はこの頃から300km前後となり、
ポイント練習っていう概念がインプットされ、真似事みたいな事を始めた。
ロング走、ビルドアップ走。(ジョグの延長みたいな感じだったけど)
抽選レースにことごとく外れた結果、
河川敷レースである加古川マラソンで初フルマラソン。
河川敷の呪縛から逃れられない。
3時間10分なんとか秒。
30km以降、苦しみまくったけど
歩かなかった俺、頑張ったと自画自賛。
ただこの10分を短縮することは無理ゲーだ、と思った。
ちなみに人ってのはあらゆるところを攣る事ができると初めて分かった。
無理ゲーって思ってたけど
「あんたならやれるよ!」とおだてられて
サブ3ペースで臨んだ2015年2月の泉州国際市民マラソン。
25kmあたりでへろへろ。全然、やれなかった(笑)
悔しいというより、やっぱり無理やでと思った。
3時間20分なんとか秒。
サブ3出来たらいいなぁぐらいの甘い気持ちのまま
シーズンオフの夏を過ごす。
2015年秋~2016年冬シーズン。
走り出して3年目、フルマラソン参戦2年目のシーズン。
前年とは違い、ことごとく抽選突破。。
3週前の大阪マラソン、2週前の淀川ハーフをステップにして
神戸マラソンにその狙いを定めた。
理由は平時ではとても質の高い練習をこなせない根性無しの僕にとって
いわゆる定番的な調整ができる大チャンスだったからだ。
神戸は今までで一番強い気持ちで走り続けられた自負はあった。
結果はサブ3に42秒足らず。
レース直後は小鹿になりながら
「2度とフル走りたくねぇ!」と強く思った。
3日後ぐらいに忘れた。
次のレースの加古川でもしサブ3を達成できたら
その後は走ってもファンランを楽しもう、と思った。
それぐらい神戸マラソンクラスのきつさは死ぬ思いだったし、
あのきつさ再来とか金輪際勘弁して欲しいレベル。
幸運にもサブ3達成できたらひとまず退散を目論む。
12月、運命の加古川マラソン。
後半、脹脛を攣りかけたけど
神戸の苦しさが嘘のようにすんなりクリアできた。
2時間57分台。ばんざーい。(あれ、なんで??)
嬉しいんだけどなぜこのタイムが出せたのか分からなかった。
マラソンは再現性のスポーツ。理由が分からない好走はやっかいだ。
ただ加古川は走っていてきつくなかったので
まだファンラン移行はいいや、と思った。
で、翌年2月の京都マラソン。
2時間54分台。やったー!(伸びしろ使い切り問題発生)
これが俺がサブ3するまで。
そして現状(7年目)、停滞中(>_<)
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