夢と感動を創造する建築デザイナー兼
熱き少年野球指導者の藤井俊二です
今日は、48回目の誕生日でした
この歳になると何歳か分からなくなってきますが
今年は酉年なので年男48歳です
年始に今年は最高の一年になるといろんな占いや
メッセージを見てワクワクしていました
が、半年以上過ぎておよよって感じです
でも9月からが本来の一年の成果が出てくるそうなので
まだまだ楽しみです
さて、48歳を迎え残りの人生について考えたりしました
私には一つの大義名分があります
大義名分ストーリー
この夏、母校の香川県立三本松高校が24年ぶり3回目の甲子園出場を果たしベスト8まで勝ち進み私に大きな勇気と感動を与えてくれました。
初出場は、私が中学3年生の時でした。
地元の3つの中学がほとんどこの高校に進学するくらい地元の公立高校です。
この時、当時の郡内の4つの中学の主力選手たちが全部
集まったんです。
私は生れてから母子家庭で育ちました。
四国の小さな小さな町です。
内職で私を育ててくれた母は、小さい頃からいろんな習い事をさせてくれました。
中でも野球は小3から始め甲子園を目指していました。
しかし家庭環境から高校入学時に断念しました。
同時に先に述べた郡内の主力選手が揃う。。。
私は、勝手に通用しないと
諦めてしまった
これが今でも人生の中での
最大の後悔
です。
それ以来高校、大学、就職と無気力、無関心、無感動の時代を過ごしました。
何をやってもつまらない。何か物足りなかったんです。
学生時代に知り合った彼女と2年の遠距離の末25歳で結婚しました。
やがて長男が生まれ長女が生まれる時に独立しました。
31歳でした。
独立して我武者羅に仕事して経営者の会にも所属し、ほぼ毎晩飲み会。
いつしか家庭を顧みない生活になっていました。
妻は今でも言います。
「あなたは一番いて欲しい時にいなかった。」
独立して3年目、1回目の経営危機、7年目に2回目の経営危機を迎えました。
何とか持ち前の明るさと何苦楚根性で乗り切ってきました。
丁度2回目の経営危機の時に長女が野球をやりたいと言ったんです。
当時、長男は既にやっていましたが私は全くチームに貢献できず長男は卒団してしまい野球を楽しむことができませんでした。
娘の「お父さん野球やりたい」この言葉に今が自分にとって家族と向き合うチャンスだと直感し娘に感謝しました。
私は経営難でしたが覚悟を決め家族とのこれまでの時間を取り返すべくチームでたった一人の娘と3年間野球を楽しみました。
「全員野球」をスローガンに3年間で全国大会に出場するという目標を掲げ、そのために何が必要か考えました。
まずは自分がまた野球を好きになり本気になること。
子供達と一緒に汗を流し、一緒に泣き、一緒に笑う
子供たちと本気で向き合う事。
大人が小手先で扱う。絶対子供には伝わりません。
携帯いじりながら子供に勉強しなさいって言ったってするわけないよね。
大人が本気で向き合わないと子供には直ぐにばれる。
そして「控え選手にスポットをあてレベルアップすること」
やがて弱小だったチームはどんどん強くなり母たちも練習に足を運び、試合で感動し涙する場面が増えてきました。
大逆転の試合も何度もありました。
そして3年目の6年生最後の夏、全国大会出場を決めたんです。
娘は3年間ずっと控え選手でした。チームで唯一の女子野球選手。
普通の親コーチは我が子を一番に考え甘やかします。
私はそれが嫌でした。チームワークが良くなるはずがない。
子供達はよく見ています。
私は、娘だろうが構わず厳しく指導しました。
一切の妥協は許しません。
娘が少しでも上手になり自分の居場所を見つけることでチームは強くなると考えていました。
いつか必ず訪れるチャンスのために、野球の神様は必ずみているからと私は毎朝娘と練習しました。
そしてついにその時がやってきたんです。
それが、全国大会1回戦。
私にとって最高の想い出の試合なんです。
4回表を終えて0対6のワンサイドゲーム。。。
1点取らなければコールド負けで京都に帰らなければならない。
そしてなんとか2点を返し尚もツーアウトランナー2,3塁。
追い上げムード全開のこの場面でこの最高の舞台で娘は代打に送りだされます。
スタンドからの大声援の中、ツーボールノーストライクの3球目!
娘のフルスイングは詰まりながらもライト前への2点タイムリーヒットを放ったんです。
野球の神様が娘にほほ笑んだ瞬間でした。紛れもなく娘はチームの一員になったんです。
勢いそのままになんと最終回3点を挙げ7対6で逆転サヨナラ勝ちをしたんです。
子供たちと本気で向き合い個性を把握し適正を活かしポジショニングする。
誰一人として控え選手はいない。
ゲームセットまで絶対に諦めない。
この試合で、本当に全員野球が完成した瞬間でした。
諦めずにやれば必ずできる。
このことを子供たちから学びました。
私が何故ここまで本気になれるのか?
それは
甲子園を諦めた自分
と向き合ったからです。
本当に魂が喜ぶことをまた見つけたからなんです。
そして絶対に諦めないこと。
子供たちに諦めるなと教えてるからです。
私は子供たちとの野球からいろんなことを学んだんです。
経営に行き詰った時、困難にぶち当たった時、目標が見えない時、人間関係に悩む時
そしてチームで成果を上げたい時。
そんな時、子供たちとの野球から学んだことが活かされるんです。
「自分の理想の人生を諦めない」
個人の輝く原石の集まり、チームビルディングのあり方一つで人と組織の輝きが100倍違ってくるんです。
私は、そんな最強チームを創るパートナーになりたい。
そして、25年培ってきた建築デザイン
・子供達との野球から学ぶこと(チームビルディング)
・考え方が行動を支配すること(言行一致)
・建築デザイン(魅力ある空間)
この3つのメソッドで
働く人をデザインする
働く場をデザインする
働く環境をデザインする
働く空間をデザインする
「働く」
をデザインすることが自分にとっての存在価値である
企業研修
企業コンサル
チームビルディング
オフィスデザイン
これらを私自身一人ではなくチームで貢献したい
そんなことを想い動き出そうとした48歳でした。