犬猫を遠くへ運ぶことは、本当に「解決」なのでしょうか――JALの決定をきっかけに考える
JALが、国内貨物における犬猫の輸送制限を変更しました。2026年度は9月1日から10月31日まで、翌年度以降は5月1日から10月31日まで、原則として犬猫の輸送を行わない。そして雑種(ミックス犬)については、年間を通して原則輸送不可となります。(一定の条件を満たした例外輸送はあります)このニュースを知ったとき、私はこの決定に賛成だと思いました。
ところが早くも「地方の保健所にいる犬たちを空輸できなくなれば、救える命が減ってしまう」として、JALに撤回を求める声も出ています。
いやいや!そこにこそ、ずっと考えてきた日本の動物愛護の問題が表れているように思うのです。
なぜ、地方の保健所から遠く離れた地域へ、犬猫を運び続けなければならないのでしょう。たとえば沖縄から関東へ。
関東にも、新しい飼い主を待っている保護犬や保護猫はたくさんいます。
それなのに、飛行機に乗せて遠くから犬猫を運び、譲渡する。もちろん、その一頭に新しい家族が見つかることは喜ばしいことです。目の前の命を救おうとする人たちの気持ちを否定したいわけでもありません。けれど、それと「地域の犬猫問題を解決すること」は同じなのでしょうか?
収容された犬猫を別の地域の団体へ引き出し、遠くへ移送すれば、その自治体で殺処分される頭数は減ります。
だけど、なぜ犬猫が収容されたのか。
なぜ次々と保護しなければならない犬猫が生まれるのか?
その原因まで減ったことになるのでしょうか?
不妊去勢。無計画な繁殖を防ぐこと。
遺棄や逸走を防ぐこと。飼い主責任を徹底すること。地域の中で譲渡先を探すこと。私は、こちらをもっと優先するべきだと思っています。環境省の「犬及び猫の引取り並びに負傷動物等の収容に関する措置」でも、行政による犬猫の引取りは「緊急避難」と位置付けられ、終生飼養や、みだりな繁殖の防止など、所有者・占有者の責任が徹底されることによって減少していくべきもの、とされています。本来目指すところは、「どうやってたくさん引き出すか」ではなく、「どうすれば引き出さなければならない犬猫そのものを減らせるか」ではないでしょうか!?
私は以前から、保護犬猫についても、できる限り「地域内で解決する」という考え方が必要だと思っています。少し乱暴な言葉に聞こえるかもしれませんが、「地産地消」に近い考え方です。
地域で生じた問題は、まず地域で向き合う。その地域の犬猫を、その地域の人たちができる限り支える。そして何より、保護しなければならない犬猫が生まれ続ける原因を減らす。長距離移送は犬猫にとっても負担です。また、地域を越えて動物を大量に移動させる以上、感染症や健康管理についても慎重でなければなりません。「助けるためだから」という善意だけで、すべてのリスクを見えなくしてはいけないと思います。
これは日本だけの話ではありません。
アメリカでは「No Kill」を強く掲げる大規模な動物保護の仕組みが発達し、地域間の犬猫の移送も積極的に行われています。Best Friends Animal Societyも、収容施設から別の保護団体・施設へ犬猫を移送するネットワークを、No Killを実現するための重要な手段の一つとして位置付けています。一方、ヨーロッパでは国境を越える犬猫の大量移動に伴い、書類やワクチン情報の不備、狂犬病対策、出自の追跡、さらには一部のシェルターや動物保護団体という立場を悪用した取引まで問題になり、EUが調査・取締りを行っています。
だから私は日本が海外の動物愛護を参考にするのであれば、「海外ではこんなに犬猫を救っている」という部分だけを見るのではなく、その仕組みを続けた結果、何が起きたのかまで学ぶべきだと思っています。
そして、「殺処分ゼロ」という数字についても、一度立ち止まって考えたいのです。殺処分されなかったことと、犬猫問題が解決したことは、必ずしも同じではありません。一つの自治体から犬猫がいなくなっても、それが何百キロ、何千キロも離れた別の地域へ移っただけなら、本当に問題を解決したと言えるのでしょうか。私は「保護するな」と言っているのではありません。私自身、保護した猫たちと暮らしています。だからこそ思います。保護し続けなければならない社会を、そのままにしてはいけない。目の前の一頭を救うことと、次の一頭を生み出さないこと。その両方を考えて初めて、本当の意味での動物愛護に近づくのではないでしょうか。犬も猫も生きています。そして、野鳥も、小さな野生動物も、人間も、それぞれの環境の中で生きています。一つの種類だけを見て「かわいそう」で終わらせるのではなく、地域、生態系、疾病、そして将来生まれてくる命まで考える。JALの今回の決定を、単に「犬を運べなくなって困る」で終わらせるのではなく、「なぜ私たちは、犬猫を遠くへ運び続けなければならないのだろう」と考えるきっかけにしてほしい。私はそう思っています。