皆様。こんにちはー照れ

 

明けましておめでとうございます(笑)もう、2月後半です(笑)

 

色んな事があった。色んな出来事もあった。素敵な動画もいっぱいある。

 

話したいことだらけなのに、何故、こうしてブログを書くことを躊躇(ちゅうちょ)するかというと。

 

「長くなるからーえーん

 

そう。私のブログは、色んな所に派生していくので、大変なのよ。読むとね。意外と早いんだけど、書いてる方は、必死だから(笑)

 

では。さっそく。

 

私が「内観」を始めた頃というのは、本当に何の知識もなくてさ。

 

ただ、「自分を愛するって何?」とか「5次元って何?」とか、そういう疑問からのスタートだったのよね。

 

それをさ。教えてくれるって言った内観の師匠である俊介さんと知り合って、色々勉強するうちに。

 

「宇宙の法則」とか「引き寄せ」とか「量子力学」とか「心理学」とか「哲学」とか「宗教(学)」とか(笑)

 

小さい頃から何となく好きだった哲学とか心理学とか、昔たまたま読んだ斎藤一人さんの話してる内容とかが、少しずつ被(かぶ)り始めてきて(笑)

 

「すんげー。恐い(笑)」

 

「え?なんか、みんな似たような話してない?」とか。

 

「え?何?3000年前の人達も同じようなこと思ってたの?」とか。

 

最近では。

 

「私、マリー・アントワネットの生まれ変わりなんじゃないかと思ってる」という知り合いが出来たりタラー

 

人生って、ほんと、面白い(笑)

 

「不思議な感覚」に近い。

 

「現実が現実じゃないような」

 

「何かに吸い込まれていきそうな」そういう感覚です。

 

途方もない前置きはこれくらいにしてーーーーーーキューン←なげーのよ。付き合うと、なげーからww

 

何から話すー?

 

よくさー。YouTube動画のタロット占い師さん達が、「このルノルマンから声があがりました」とか(笑)

 

「このカードが呼んでいます」とか言うんだけど、私もその手でいきたいと思います(笑)

 

とは思ったものの。

 

ずっと、気になってたけど。話せば、絶対長くなる話をしたいと思います。

 

さかのぼること、昨年の11月くらいの話。

 

BGMは、「活脳クラッシック モーツァルト 心と体を整える 愛の周波数528hz」を聴きながらお届けしたいと思います。

 

本当は、ベートーヴェンがいいなと思うんだけども、文章が荒れそうな気がするのでやめました(笑)

 

以前、少しだけ書いたかもですが、私はダブルワークをしていて、朝と夜に別々の仕事をしています。

 

最近は、「終活」とか「腸活」とかいう言葉が流行っているようなので。

 

「朝活」として話していきたいと思います。

 

【経緯】

 

私は、とある飲食店の面接に落ち。

 

「絶対に受かるでしょ。受からない理由が見当たらない」と思っていた飲食店の面接(zoom)に落ち。

 

「えー。まぢで?噓でしょー爆弾」と泣きべそをかきつつ。その落選メールの下の方にあった。

 

「当社以外でも、募集中の店舗があります」の文言とともに、いくつか提携店の店名が記載されていたのを見て。

 

昔の私だったら。

 

「けっプンプン私を落とすとことは、金輪際、お付き合いしませんからプンプンプンプンプンプン」くらい思っていたと思いますが。

 

もうねー。だめねー。お金が欲しかったから(笑)

 

「プライドなんてくそくらえ」だから(笑)

 

早速、面接の予約をしたの(笑)

 

そしたら、とても「はつらつ」とした声の女性から電話がかかってきて。

 

そこまで乗り気ではなかったけれども、家も近いし。

 

「捨てる神あれば、拾う神あり」って言うしなーって思って、面接に行ったの。

 

そしたら、私よりは年上だとは思うけど、笑顔が素敵な女性の方で、「明るくハキハキした人だなー」っていう印象でした。

 

話を聞いたら、「店長」さんだって言うし。

 

私の経験だと、そういう飲食店で、「女性店長」という存在が珍しくて、「是非、働かせてください」とお願いして帰りました。

 

で。働いてみると、思った以上に「大変」で。

 

毎日、毎日、覚える事も多いし。間違えることも多いし。忙しいし。毎日、必死でしたタラー

 

ただねー。

 

お客様は別にして。

 

スタッフさんだけは、みんなねー。いい人(いい子)が多くてねー。

 

それだけが、唯一の「心の支え」でした。というより、楽しかった。

 

たまにフォローで来てくれる他店所属の子(人)は別にして、仕事が出来る出来ないは別にして、総じて「人当たりのいい人(子)」が多かったです。今でもです。

 

私の子供と言っていいくらいの年齢の子達と一緒に働くんだけど。しかも8割は外国籍の子達なの。

 

私の職場の近くにはホテルが多いのか、お客様も半分、もしくは半分以上が外国人という状況で。

 

また、職場は繁華街からちょっと離れた所にあるんですが、客層はお世辞にもいいとは言えない「ガラの悪い人」も結構います。

 

そんな状況でもさ。その女性店長(以下、店長というw)は、一人で何でもこなしちゃう、いわばスーパー店長だったの。

 

ほんと、私は何度も何度も

 

「本当に、すごい。本当に、よくやってる」って言ってたの。

 

私のなんかわけの分からない上から目線の話しぶりにも怒ることなく、気さくに色々話せる店長でした。

 

でもね。ブツブツ小言は言っていたけれども(笑)、スタッフに八つ当たりとかはしない店長でした。

 

たまにはあった。でもほんと、たまにだし。店長の激務を考えれば、それすらも帳消しになるんじゃないかというレベル。

 

で。そんな店長が、体調をくずしたことを理由に、昨年で退職されました。

 

泣いちゃった女の子がいたくらい、みんなに愛されていた店長でした。

 

【考察】

 

私が店長から仕事を辞めると聞いたのは11月頃の話でしたが、私も少なからずビックリしました。

 

ただね。彼女(店長)がもともと腰を痛めているという話は聞いていたので、「自分の体を大切にしてください」と言いました。

 

店長は、昔気質(昭和)なところがあるから、「何でも自分でやらなきゃ」「私がしっかりしなきゃ」と思っていたと思います。

 

下手をすると、「私がやらなかったら、誰がやるの?」くらい思っていたかもしれない。

 

でも、私には、こう見えた。

 

「共依存」

 

私は、自分が「依存症」だったから←今でもよw、そう見える(そう思おうとしている)かもしれませんが。

 

でも、「共依存」の要素は強いと思います。

 

「共依存」というのは、別に人間関係だけじゃなくて、普通に、「企業vs個人」でもあり得る話だと思います。

 

彼女の話をする前に。私の例を出してみようと思います。

 

私は、17年間生活を共にしてきた人と「共依存」の関係にいました。←今だから、そう思うの。

 

その時、「依存」という言葉を知らなかったので、

 

「私がいなきゃ、彼が困る(やっていけない)」

 

「私が守らなきゃ、誰が彼を守るの?」

 

みたいな「義務感」「責任感」みたいな感情を抱いていました。

 

もともと、お相手の性格に難があったので、

 

「まぁー。この人と付き合えるのは私くらいよ」とは思っていました。実際、そう言ってたしね。

 

でも、「内観」をしたり、自分なりに「心理学」の勉強をしていくうちに。

 

「あー。私、なんか間違ってたんだー」って思うようになりました。

 

「愛」の形に、「正しい」も「正しくない」もないけどさ。

 

「苦しい」「辛い」はあるんだよね。

 

分かりますかね。

 

「愛すること」が「つらくなるの」

 

おかしくね?

 

私はいまだに「愛する」という言葉が良く分からなくて、「大切にすること」「大切に思うこと」とかで脳内変換しますけど。

 

「大切にしているのに」「痛い」とか「辛い」とかって感じることが「おかしい」と感じるわけです。

 

例えばさ。

 

飼っているペット(犬とか猫)に、噛まれたり、ひっかかれたら、どうします?

 

「めっ!ダメでしょ」とか「痛い。何すんの!」って怒りませんか?

 

「どうしてそんなことするの?ダメでしょ?」って怒りませんか?

 

それを例えば

 

「やー。うちのワンコはこういうワンコだからー」とか

 

「まったくー。悪気ないからさー」とか、ヘラヘラ笑うんですか?

 

わたしね。ここまでではないですけど。

 

なんかねー。へんな受け入れ方をしていたような気がするんです。

 

もちろん、怒ることもありましたけど、相手に恫喝される事が多かったので、ずっと引き下がってきた気がします。

 

ずっと、悔しかった。

 

「ふぬぬぬぬぬーー爆弾もやもや爆弾」と思っていたにもかかわらず。

 

「我慢」してたの。

 

だから、歯ぎしりがひどかったのよねー(泣)

 

でもねー。その時は、「怒ったらダメ」みたいな「怒ったら大人げない」みたいな気持ちもあったし。

 

「怒っても、物事は解決しない」とか

 

怒って喧嘩したとしても、「そんなに文句言うなら、お前がやってみろ」みたいな事を言われて「ぐうの音も出ない」とか。

 

「○○殺す」みたいな恫喝発言が出てきたり。

 

かたや。

 

仲良かったり、お互いが協力していた時期もあったからこそ、17年間耐えられただけで。

 

「もー。踏んだり蹴ったり」(笑)

 

今の私の最終結論は、「乳離れ(親離れ)が出来てなかった」かな。

 

一人で生きる「自信がなかった」「一人で生きるのが嫌(面倒)だった」もしくは、「人にすがる方が楽」だと思っていた。

 

そんな感じです。

 

じゃ。一回、話しを店長の話に戻します。

 

【証拠】

 

でねー。店長が仕事を辞めると発言して以来。店長の張りつめた心の糸が緩んだんだと思うけど。

 

ちょこちょこ、粗が目立つようになってきた(と感じたの。私が)

 

「あ。今の発言はちょっと」みたいなのが少しずつ増えてきた。

 

それと共に、店長の体調もピークに悪くなって。

 

最後は、療養することになり、会社にも来られなくなりました。

 

「依存」の特徴は。

 

本人に意識(自覚)があるか、無意識かにかかわらず

 

「被害者意識」みたいなのがでてくると思っていて。

 

例えば。

 

「私。こんなにやってるのに、なんでわかってくれないの?」

 

他には思い浮かばん。

 

みたいな。

 

周りからしたら、

 

「えー?誰も頼んでないんだけど。やってるの自分でしょー?」とか思うやつ。

 

もし、それをそのまま言ってしまうと

 

「爆発」するのが目に見える行動が、だいたい、「依存」

 

「他人軸」ってやつです。

 

「自分がやりたいから、やる」という自発的・能動的な行動には

 

相手の感謝も賛辞も報酬も不平も不満も影響しにくいです。

 

「ただ、やりたいからやってる」ってやつです。

 

その反対に。

 

「やらされてる」感の漂う行動には必ず「不平・不満・怒り・憎しみ」がついてきます。

 

だからこそ。「やりたいからやる」という行動を常にしていないと、塵積って山となるみたいに最終的に爆発(人に当たる)するか、自爆(病気になる)します。

 

ちょっと話がそれるんですけど。

 

店長と会話をしていた時。

 

「○○さんが忙しいと、○○さん達は助けに行くのに。私の時は全く来ない」と軽く冗談で言っていたんですけど。

 

私、言ったんです。

 

「やー。それは店長が、『余計なことすんな』って言って、手伝うと怒るからじゃん」って。

 

そしたら、

 

「確かに、そうだ(そういう所がある)」って言ってたんだけど。

 

私からしたら、店長が自分の首を自分で締めているようにしか見えないわけですよ。

 

これには、ぱっと思いつくパターンが2種類あって。

 

1:自分のやり方(ルール)があって、他の人がやると気に入らないケース。例:洗濯物のたたみ方が気に入らない

 

2:人に甘えるがうまくできないケース

 

店長の場合、誰がやってもいいんじゃない?という「業務」にあたるので、多分、2番です。

 

抱え込み癖があるとそうなりやすいです。

 

「何でも背負います。もっと乗っけて」と言って、潰れるまで載せる人です。

 

私は彼女のカウンセラーではないので、あくまで私メガネです。

 

【どう活かすか】

 

全部をお伝えできたわけではないですが。

 

このような経緯を踏まえ。

 

残された私達はどう歩むべきなのか。

 

店長が築き上げた13年かな。という歴史から何を学ぶのか。

 

またさー。バトンを渡されたのがバイト1年目くらいでたまたま社員になっちゃった彼(現在の店長)が引き継ぐことになっちゃったからさー。

 

その彼もさ。今度は、「受け取り上手」なの。何でも「受けちゃって」大変なの(笑)

 

私はさ。ただのアルバイトだから、何の権限もないけどさ。

 

「荷物は出来るだけ、降ろした方がいい」って、何回も言ったの。

 

「同じ目に遭うよ。分かるでしょ?」って。

 

幸い、他のメンバーもその点を理解しているようで、みんなで業務を分担してやっているみたいです。

 

これは、昔の私自身にも言いたい事なんだけどさ。

 

「自分がやらなきゃ。っていう気持ちは物凄いわかるんだけどさ」

 

「あんたがいなくなった時、どーすんの?」

 

「あなたと同じ目に次の人も遭わせるの?」

 

「あなたと同じ、辛い人生を味合わせたいの?」

 

「そうじゃないじゃん。次の人が、もっと楽に仕事が出来るようにするのが、あなたの仕事でしょ?」

 

「そしたら、今のあなたが楽に仕事できるように、取り組むのが、あなたの仕事じゃない?」って。

 

【私なりの結論】

 

今日はさ。仕事の話をしたんだけど。

 

内容は、仕事だけにとどまらないじゃんね。

 

私の「人生観」そのものだと思うの。

 

よくさ。YouTube動画とか観てると、「命のバトン」とか「ドミノ倒し」っていう話を聞くのよ。

 

私達は、先祖代々(そういう概念があるなら)、「教え」を受け継いできた。

 

「格言」とか「教訓」とか「宗教」とか、「伝承」とか、色々な言い方があるけれども。

 

私は、やっぱり、自分が感じたようなイヤな経験はさせたくないかなー。

 

それも「学び」だけれども、やりたいんだったら止めないけど(笑)

 

せっかくの「この人格・この肉体」で生まれた人生、楽しく、安心して、健康で過ごしてもらえたらいいと思います。

 

悲しい涙や、痛い思い、辛い思い。させたくないなーって思います。

 

ちょっと、駆け足だけど、話してみました。早速、誤字・脱字チェックキューン

 

この次のブログで、恒例のガラガラポンをしたいと思いまーすお祝いケーキ