皆様。2度目まして。
今日は、こんな事を思った事があるよーっていうお話です。
10年前くらいなのかなー。
この本のタイトルを聞いた事があったんだと思うんだけど。読んだ事はないの。
内観を始めて、この話をしようと思った時に、ネットで調べたの。どんな本なのかなーって。
そしたら、主人公の名前が「咲子」さんだったの。名前が一緒で、「すごい偶然よね(笑)」って思ってたんだけど、ここまできちゃうと、「偶然」はないからねー(笑)
でさ。
昔、パチンコ店で働いていた時。当時の店長さんが思いやりのある人で、従業員からはとても慕われていた。
でも、仕事ではとても厳しい人だったみたいで、部下である上司達は結構、怒られていたみたい。色々。
でね。
ある日、事務所から、もの凄い「罵声」が飛んでたの。
私は応接室にいたんだけど、事務所の扉が全開だったから、その「罵声」が丸聞こえだったのよ。
ガラス越しに見える、部下である彼は、肩を落として下を向いていた。
大好きな店長だったけど。
「そこまで言わなくてもいいんじゃない?」とは思った。
同時に、この本のタイトルが頭をよぎった。
「彼のご両親がこの場所にいたら、物凄くいたたまれない気持ちになるんじゃないかなー」って。
罵声を浴びている部下のご両親がいたら、どう感じるかなーって。
で。
思った。
怒るのは仕方ないと思うのよ。
人間だもん。怒りたくなることってあると思うし、私だって、いつも怒ってる。
でもさ。
自分が怒っている相手にだって、その人を大切に思っている人がいるんだよ。って事は想像してもいいんじゃないかなーって思うの。
最近、本当に思うのよ。
私の先祖だって、元をたどっていけば、近くを歩いている歩行者の誰かの先祖と繋がっているかもしれないじゃないって。
もしかしたら、歴史をどんどん遡っていったら、元は一つだったかもしれないわけでしょ?
そしたら、私の先祖が、あなたのご先祖様に助けられていたり、支えてもらっていたり、もちろん真逆で、いがみあっていたかもしれないけど。
なにかしらの繋がりがあるかもしれないじゃん。
そしたら、そんな相手に「罵詈雑言」とか「罵声」とか「批難」とかって、言いにくくなるんじゃないかなーって、私は思うのよ。
私も、そんな事すら忘れている時がほとんどだけど、そういう考え方もあるんだなーって思うのよ。
もう一個ね。内観途中、YouTube動画をよく観ることがあって、色々な情報があったけど。
「自分は大切にされなかった」とか「自分は愛されていない」とか聞くことがあるけど。
この動画を観て欲しいと思うのよ。
「本当に、そう思う?」って聞きたいの。
実験が本当か本当じゃないかとか、真実か真実じゃないかとかよく分からないけど。
もし、本当の話だったら。
こうして、生を全うしている限り。
覚えていないけど、誰かからは「大切にされてきた」ってことでしょ。
言葉だって、「教えてくれる人・話している人」が存在しなかったら喋ることすらできない。
昔、オオカミに育てられた少年とか、動物に育てられた子供の話とかも聞いたことがあるけど。
「うー」とか「おー」とかしか話せないとか。それすら本当かどうかなんて分からないけど。
言葉も話せるし、文字だって書けるようになったのは、「教えてくれる人」がいたってこと。
誰一人、「自分で言葉考えました」とか「自分で漢字作りました」とかっていう人はいないじゃない?
「全ては当たり前じゃないよ」
って、私が言うのは、こういう事も含めるの。
赤ちゃんとして生まれてきて、最初から、何もかも「与えられてきた」
「隣のおばさん、私が創ったの」とか意識的に言う人はいるかもしれないけど、細胞から作ったりはしてないと思うの。
「人間の皮膚買ってきました」とか「内臓を調達してきました」とか、「骨拾ってきました」とか。
きれいごとが許されるなら。私は許すけど。
「与えられ続けている」と思うのよ。洋服だって、スマホだって、お家だって、お魚だって、お肉だって。
「私、何一つ作ってないよ」って思う。
一人さんも言ってたし、他にも同じこと言ってた人、3人以上はいる。
言葉にして言わなくても、そう思っている人も、私だけじゃないと思うの。
だから。
「ありがとう」だし。
「本当に、感謝しています」って思えるようになった。
忘れることが多いけど。いつもいつも、そう思えたら、そう思うようになれたら。
本当に「幸せ」なんだと思うよ。
一人さんが、
「私達は幸せになる為に生まれてきた」って言ってた。
幸せも、不幸も、考え方次第じゃないのって思う。
他人と比べることもできないし、比べる必要もないでしょ。と、私は思います。