1970〜1980〜1990年代


歌謡曲全盛だった


歌謡界の黄金期を作ったと言っても


過言ではない偉大な 偉大な


酒井さんが死去されました





1971年デビューの同期


南沙織ちゃんの『17才』を手掛けられ


共に50年 歌謡界を走り抜けて来た


盟友 酒井さん 


悲し過ぎて 悲し過ぎて


ショックで ショックで


1人泣きました




ソニーの 酒井


ワーナーパイオニアの 塩崎

(私のディレクター プロデューサー)


と呼ばれてた歌謡界全盛期の 両巨頭


この2人がいなければ


数々のスター 数々のヒット曲は


生まれなかった




私は酒井さんの作る


百恵の楽曲が羨ましかった


しとやかな女性から悪女迄


1曲毎に ガラリと変えて来る


酒井さんのディレクションが


羨ましかった




5年程前だろうか


「歌謡界の黄金期を

あの頃の楽曲を聴きながら

語り尽くすトークショーイベントに

ルミ子ちゃん 是非出演して下さい」

とお声をかけて頂き

酒井さんと2人で 熱く 懐かしく

当時を振り返りながらお話しした事


あれが

最後となってしまいました




又 日本の宝が


歌謡曲を愛した 逸材が


天に召されて行きました




もう 酒井さんの様な


優れた才能のディレクターは


生まれて来ない




又1つ


ろうそくの灯が消えてしまいました




生前 酒井さんが仰って下さいました


「ルミ子ちゃん

歌謡界全盛の黄金期を生き

今尚 現役でいるのは

ルミ子ちゃんしかいないんだから

ルミ子ちゃんには頑張って頂かないと」




酒井さん


あのお言葉を大切な宝物として


頑張ります




50年

酒井さんと共に歩んで来れた事を

心から感謝致します




安らかにおやすみ下さい




有難うございました

そして


お疲れ様でした