すったもんだで選ばれた民主党大統領候補のカマラハリスさん。
その彼女が副大統領候補にミネソタ州知事ワルツ氏を選びました。
微妙な選択です。
で、またガッカリする人も続出しています。
追記
昨日、激戦が予想されるベンシルバニアで選挙集会があり、そこでワルツ氏のスピーチをみました。久しぶりに気持ちが高揚するのを感じました。
もちろん、ペンシルバニア州知事のシャピロさんのスピーチはオバマを思い出す素晴らしさでした。
でも、彼は若いので4年後がある。
カマラさんのメイトはワルツさんなら大丈夫と確信しました。
それにしても。。。
世の中がどんどん分断されていますね。
こんな状況では、どちらかを選ぶのはそれほど難しいことではないかもしれません。
警官か犯罪者か、
今回の大統領選挙をニューヨーク誌はそう書きました。
警察は、もちろん、元検察官だったカマラさん。
犯罪者は、34の重罪で裁判所からお声がかかっているトランプ。
ただし、トランプファンはカルトメンバーのようなものなので、彼らなら犯罪者であろうとなんであろうと支持するでしょうね。
けれど、これがイスラエルとパレスチナ問題となると話は別です。
中立の立場を貫きたい人は出てくるはず。
というかよくわからないし、どっちもいい加減にせえ。
と、投げ出したくなる人も多いでしょう。
で、今日は「中立」という立場について考えてみました。
中立とは、アメリカではある面「ずるい」とみなされます。
どっちつかず。
どちらの責任からも逃れている。
中立でいると、強力な味方はできない覚悟さえ必要です。
これをイソップ童話のコウモリに当てはめてみるとわかりやすいかもしれません。
動物のようであり、鳥のようでもあるコウモリは、結局どちらからも仲間はずれにされてしまいました。
どっちもあり、とか、どっちにもなれるけれど、どっちにもならない、という立場は両方の仲間意識から外され、結局孤立するのです。
ところで、、、
昔出会ったとても優秀なお嬢さん。
彼女は高校時代、大学では政治学を専攻したいと言っていました。
「あなたは民主党支持? それとも共和党?」
と、聞いてみました。
彼女はアメリカの高校に通う日本人でした。
例え日本人でも、政治を志す以上、きっとどちらかに自分自身の心情が傾いているのではと思ったのです。
何か熱い気持ちがなくては「政治」の道には入っていけないものです。
ところが彼女の答えは、
「どちらでもありません」でした。
政治を学びたいなら、高校では政治クラブに入部するのが筋だと思うのですが、敢えてどちらも選ばない立場をとったそうなんです。
中立でいたいから。。。
中立を保っている国といえばスイス。
中立の国スイスって日本人の感覚だと、とても麗しい感じがしますよね。
極端にいえば、北朝鮮もロシアも、イスラエルも、パレスティナも、アメリカも、みーんないらっしゃい。
大きな心で包んで迎えてあげるわ、的に。
けれど、そのスイスですが、アメリカではすこぶる評判が悪いのです。
ならずもの国家の政治犯やテロリストたちが、汚れたお金を隠し持つ先もスイスです。
スイスは「中立」の立場で、犯罪者たちのお金も守っているのです。
また、かつてナチスのアウシュビッツに収容され亡くなった裕福なユダヤ人たちが持っていたスイス銀行の貯金は、つい最近まで家族でさえ手がつけられず凍結されていました。
その総額たるや莫大な金額です。
それをスイスの銀行は独自の方法で、親族に「お返し」することを拒んでいたのです。
あのナチスにさえも中立を保ち、犠牲者たちの遺族に配慮がないん?
これはどう考えてもおかしい。
家族、親族にお返しするべきです。
スイスというと、私たちにはアルプスの少女ハイジのような、長閑で平和なイメージがありますよね。
ところが実際にスイスに行ってみると、至る所にこれみよがしに軍事施設があり物々しい雰囲気です。
中立である立場を外敵から守り抜くことは決して綺麗事では済まないんだなということを思い知らされます。
いざという時は市民全員が兵士になる義務がありますしね。
もちろんそんな彼らが守るのは自国のみです。
気がつくと一匹狼になってしまい、四面楚歌となり、自分を守るので精一杯ということになるのでしょう。
この点で、中国や北朝鮮が何かしてきたら、とりあえずアメリカに頼る日本、みたいなわけにはいきません。
この中立って、日本人的には美しい考え方かもしれません。
しかし、その立場を貫いている以上、中立の立場=他は我関せず=他国を助ける行動はとらない、となります。
敵もいない反面、他の国が困っていても協力をすることがないため、いざとなれば頼れる強力な味方もいないのです。
ところで、かつてイスラエルとパレスチナの仲介をしようとしたリーダーたちがいました。
エジプトのサダト大統領やイスラエルのラビン首相です。
彼らは、イスラエルとアラブ諸国の仲介をしようと務めた結果、あと少しのところで暗殺されてしまいました。
※イツハク・ラビン
ラビン首相は、パレスチナ人との和平を市民に促すための大規模な集会に参加していた1995年11月4日、テルアビブの中心部で暗殺されました。 ラビン政権は、1993年にオスロ合意に調印し、西岸地域のイスラエル入植地の撤退と、最終的に独立したパレスチナ国家の建設を含む和平協定交渉をしている最中でした。
中立の立場でありながら、我関せずではなく行動をするということは、大きなリスクを取ることになるのです。
両者を怒らせることになるからです。
喧嘩の仲介をすることのなんと難しいことか。
する方も命懸けなのですね。
それでも中立=我関せずではなく、
中立=リスクをとって仲介する
ものすごく危険なことですが、そんな命をかけられる政治家が出てくるといいな、と、悩ましい事態が続くアメリカを、投票権のない立場で静観していると祈るように願ってしまいます。
別ブログで主にファッションや旅のことなどを書いています。