ニューヨークで子育てをし、子供が小さいとき真っ先に戸惑ったのが小さな子供にファーストネームでよばれることだった。
わたしが日本で子育てをしていたら、わたしは子供たちにとって、おばさんであり、○○ちゃんママというのがアイデンティティのはずだ。
けれど、ここアメリカには中年の女性をいっしょくたにした「おばさん」に相当する呼び方はなく、かろうじて○○のママというのはあるかもしれないが、ミセス○○とよばせる習慣もここニューヨークでは絶滅の危機に瀕しているといっていい。
だからなのかな、ニューヨークにおじさんやおばさんが存在しないのは。笑
蛇足だけど、夫婦で相手のパートナーを「おとうさん」「おかあさん」とよぶ習慣もない。
少女とおばさんの間、少年とおばさんの間にはきちんと大人の女と男が存在する。
話しを元に戻そう。
アッパーイーストのプログレッシブな私立校D校などは、生徒たちに、先生もファーストネームでよばせるほどだ。
それでもうちでは、小学校低学年のころは、一応初めて遊びに行った友だちのお母さんには「ミセス○○」と話しかけるように教えた。
が、驚いたことに90%以上の親が娘にやさしくいう。
「これからはわたしのことクレアってよんでね。ミセス○○っていわれるとなんか義母のことみたいだし、すごく年をとった気がしちゃうわ。ははは」
それがPHD(博士号)をもっている人であろうと関係なく、一方うちにくる子供のほとんどは最初からわたしのことを名前呼び捨てであった。
中にはヨーロッパやアラブ諸国出身の母親もいて、今考えてみるとすんなり子供にミセス○○とよばせていたのは彼女たちだけだった。
子供たちは、ほとんどの友だちの親をファーストネームでよび、ミスター&ミセスでよぶ必要のある例外は少なくすぐに覚えることができ、上手に使い分けていた。
が、こんな習慣もティーンになったらどこへやら。
うちに遊びにくる娘のともだちは、
「るみ~♡」
と、まるで友だちと話すような気安さだ。笑
そして、「今日はどんな日だったの?」とか、「ずっと会ってなかったけど元気だった?」と聞いてくれるから、つい、友だちと話している錯覚に陥り、こちらも娘の友だちということは半分忘れて、最後は最近見た映画の話し、時には政治の話しなどとめどなく対等な会話が続くこととなる。
そして納得した。
この言葉遣いの上下関係のゆるさが、年齢のかべを超えて気安く話す潤滑油となっていることに。
子供たちは友だちの親とも気軽に話すチャンスがあるし、職場ではボスをファーストネームでよぶことで何やらうんと気軽にビジネスを進めることができる。
なるほど。
わたしは子供の頃、年上の人と話す際、ついつい正しい敬語使いにこだわるあまり、ティーンのころは近所の人と挨拶をするのもはばかられ、気づかないふりをして通り過ぎることもあった。
万が一挨拶をしたきっかけでそれで終わらず会話が始まってしまったら何を話せばいいかわからないし、しかもそれを敬語で間違いなく受け答えするのはうざい、というわけだ。
スポーツもしかり。
1学年でも年上の人はひっくるめて「先輩」だ。
先輩と後輩の間にはなにやら気軽に超えてはならない溝がある。
と、こんな具合に敬語や上下関係にがんじがらめにされ、気安く年上の人と話すきっかけを奪われていた気がする。
ということは、大人との会話を切磋琢磨できる機会をむざむざ放棄していたとも言い換えることができる。
娘が日本語になると途端におとなしくなってしまうのは、この敬語をうまく操れないことを自覚しており、粗相をしてはタイへンだと思っているからなのだ。
前のエントリーで、ニューヨークのティーンたちは、それはナチュラルに、見知らぬ人ともスモールトークを紡ぐのが上手だと書いた。
その大きな理由は、複雑な敬語、言葉遣いの上下関係がほとんど存在しない気安さが大きいと思うのだ。
もちろん、わたしは日本語がもつ複雑にして美しい敬語やそれを支える年上を敬うという精神世界が嫌いではない。
海外に住むようになりますます、日本語を話すときは敬語をきちんと使いたいと思うようになった。
だけどね、(といきなり気軽な書き方)
厳しすぎる上下関係は致命的なミス、大事故に発展することもあるのよ。
というか過去には起こって来たの。
ということで近い将来ぜひそのことについても書かせてね。
まだまだ寒い日が続きそうです。
どうぞみなさま、暖かくしてよい1日を♪
Rish NY 2月12日21時より冬物一掃セールまだまだ寒いですね。
春物を準備しつつしばらく着られる冬服をぜひこの機会にお求めください。
www.rishny.com
ママブロネタ「カラダ&ココロ」からの投稿

