桁外れに裕福な相手と卑屈にならず、疲れず自然体につきあう法 | だれも書かない★ニューヨーク1%未満★

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日本からは見えにくい、知られざるニューヨークやニューヨーカーのこと、たまにプライベートなことを書いています。

みなさま、こんにちは。

今日は、きっと多くの方が一度や二度は頭を悩ませたこともある課題、桁外れの富裕層、または有名な人とのおつきあいのコツについてです。 

たまたまおつきあいをすることになった相手が、またはこれからおつきあいしたいと願っている相手が年収や資産の面でうんとかけ離れて裕福だとしたらどうおつきあいしていけばいいのか。

何かコツはあるのか。

これって世界中どこに住んでいてもついてまわることだし、知りたいことですよね?
 

これが男女の関係だった場合については、拙著2冊目「世界基準の女の心得」第2章、男が女に求めることは世界共通の86ページ、

ビリオネア、ミリオネアとの間違いだらけのおつきあい
にまとめてみましたので、参照にしてみてください。



一方、お子さんが通う学校に、自分たちよりうんと裕福な家庭の子弟が数人通って来ていたら、それでも子供に肩身の狭い思いをさせないためにどうすればいいか。



今日はこちらです。


これ、学校選びの際、本当に悩むことですよね。



そこで一番大事なことは、また神経を注ぎたいことは、学校を、お金持ちがどれだけいるかで避けたり選んだりするのではなく、どういう校風であるかを学校選びの際にきちんと調べることだと思います。



派手な校風の学校は肌に合わないと思われるなら、やめておきましょう。



けれど、中にはかならずあるはず。
わりと自分たちが望むものに近い環境を整えている学校って。

お金持ちであることは偉いことでもなんでもなく、そのお金をどう使っているかでしか尊敬は得られない、



娘が通っている学校は比較的このような美徳が存在し、高校生ともなると、社会主義に傾倒する生徒も多い校風が決め手となりました。

本当にありがたいのは、授業料を援助してもらっている家庭の子と、ビリオネアの子が着ている服に、6年生ぐらいまではほとんど差がないこと。

富をひけらかすのは恥ずかしいこと、という雰囲気があり、
持てるものは与えるべき(GIVING)の風潮が根付いているのです。


NYでは、近くに理想的な学校が見つからない場合、教育熱心な親はその学校を目指してお引っ越しすらするのがわりと一般的。それほど教育を重要視しているのです。


(我が家も娘が2歳になる直前に引っ越しました)



今、娘が通っている学校には、フォーチュン紙に名前が乗るビリオネアが何人もいます。


しかも娘が小さい頃、最初に仲よくなった子はよりにもよってビリオネアのお嬢さんでした。


その家族とは、雲泥の貧富の差がありながら、いろいろと悩みながらも、結果、毎夏家族ぐるみでいっしょに日本を旅行するほど親しくおつきあいをしてきました。


アッパーイーストの私立校に通わせていると、そこまでではなくても、家に使用人を何人もかかえ、500平米以上の広大なアパートに住んでいる家族はどこの学校にもいるのよね。


なのでその家の子供たちとは仲よくなるのはやめなさい、とは言えません。



さらに、アッパーイーストに住んでいるとほんの30ブロック、パークアベニューを南下すればそこは資本主義の権化、世界に名高い商業主義の中心的地ミッドタウンが控えるのですが、北に30ブロック向かえばそこは今でも犯罪率、HIVとエイズ発症率が全米的にも圧倒的に高く、平均所得と識字率がうんと低いハーレムです。

この愕然とするほどの貧富の差のある社会で、自分たちと似た者同士だけを注意深く選んでおつきあいするというのは至難の業です。




だから、できることなら似た者同士の枠の中に閉じこもるのではなく、社会の不条理に何らかの痛みを感じられる人間に成長してほしい。



加えて、マルクス主義者に言わせれば、まさに搾取する側の頂点に立つビリオネアであっても、いたずらに悪意を抱いたり、不本意に屈折したり、卑屈になったりすることなく、肩を並べて普通におつきあいできる社交の術は身につけてほしいのが親心。 

だからこそ、柔軟な若いうちに大きな影響を受けるであろう校風は偏差値以上に大切な学校選びのポイントのひとつだと思うのです。


ニューヨーク、アッパーイーストの例は確かにあまりに極端かもしれませんが、大なり小なり日本に住んでいても、ついてまわる問題ですよね?

 我が家のケースでいうと、さらに人種的にも四面楚歌な気分を味わうことになったのは、娘をパークアベニューの名門といわれるナーサリースクールに通わせていたとき。



そんな環境で思い知ったことは、「異」なるものと違和感、劣等感、優越感を超えてしなやかに共存できる術は教養によってしか身につけられないということ。 

しかもその教育開始は早ければ早いほどいいのです。
子供は親の鏡なわけなので、親が教養でもって指南するしかありません。 

つまり、親が異なるものに偏見や屈折した感情を抱いていれば、必然的に子供も敏感に感じ取り、同じような道を歩みがち。


難しいのはそこですよね。

自分たち自身が、卑屈になることなく、自然体で経済的に開きのある彼らとおつきあいができないなら、子供にそれを望んでも不可能というものなのです。 



では、その指南は具体的にどうすればいいのか。
なるべく小さいころからお金に対する先入観に子供がとらわれないで済むように、特に注意を払い、注意したらいいこととは。

次回はそのあたりからご紹介します。


日本のみなさま、おやすみなさい!

ニューヨークのみなさま、よい1日を!!!!





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