もう随分前になるのですが、「20代のとき、しておいてよかったことは何か」というご質問をいただいていました。
すごく時間が経ってしまったんですが、今日は、それにお答えしますね^^。
私事で恐縮ですが、ご興味のある方だけどうぞ。
20代のときしておいてよかったこと、
とっても極端なことなので、ここ最近まで恥ずかしくてかなり親しい友人にも内緒にしていたことなんですが。
2年間半、当時の東京でもちょっと信じられないような、4畳半、お風呂なし、トイレ共同、台風がくると雨漏りがして部屋の半分がびしゃびしゃになってしまうようなアパート暮らしをしたこと。
木造の今にも壊れそうなアパートで、さすがにわたしが出ると間もなく、取り壊しされたそうです。
廊下は汚く、共同のトイレもマスクをしないと入れない代物。
潔癖症のわたしには、何が辛いってこの汚さは相当に応えるものでした。
すぐに大掃除をしたことはいうまでありません。
(友だちとみんなで遠出などをする際に、車で迎えに来てもらうときは、大通りで待ち合わせて、ごちゃごちゃと入り組んだ居場所は絶対に教えませんでした。そのことを教えてあったのは当時つきあっていた男の子と友人1,2人だけ)
大学卒業後、地方局のアナウンサーの職を1年だけ経験し、思うところあり、母校の社会福祉学科の修士課程を受験しなおそうと一大決心をします。
日本の社会福祉分野では第一人者の先生たちのおひざ元で学ぶと決めたとたん、それまでマテリアルの迷宮で安住し続けてきた自分が恥ずかしく感じられ、それまで見ないで、知らないできてしまった生活を経験してみたいと思ったのです。
大学院の授業料は、貯金と当時ちょこちょこ始めていた株式投資でまかない、月々の生活費も、その4畳半の暮らしにふさわしい金額に設定しました。
それまで買っていたスーツ一着にも満たない生活費です。
そこに住み始めてすぐに分かったことは、隣人は、中学を卒業した後、近所の零細企業で働いている18歳ぐらいの男の子だったこと。
この男の子はとても大人しい子で、仕事が終わった後は特に行く場所もないようで、まっすぐ帰宅することが多いようでした。
ただ、お父さんが、時々夜中になると、泥酔して息子にお金をせびりにくるんです。
一度、ちょうど眠りについたころ、すざまじい音がして目が覚めるということがありました。
その彼とお父さんが殴り合いのけんかをし、家具が倒れる音だったのです。
彼の部屋とは、紙の壁一枚で隔たっているのかと思いたくなるほどの騒音。
酔っぱらったお父さんのだみ声が浴びせる罵声が怖くて、彼が可哀そうで、殺傷沙汰になったらどうしようかと、はらはらし、そうなったらすぐに警察に電話をしなくちゃ、と、泣きながら、耳をふさいで事態が鎮静することを願ったこともありました。
当時のわたしには、あまりにショッキングな出来事で、一体わたしはこんなところで何をしているんだろうと、後悔をしたことも一度や二度ではありませんでした。
その男の子をどうしたら救いだせるだろう、お父さんから離してあげられるだろうと、ずっと考え続け、でも答えは見つからず、お父さんが帰った後も、眠れず朝まで涙が止まらなかったことも。
両親に恵まれず、学歴なないがために、こんな思いをしなくてはいけないなんて。
その世の中の不条理に胸が潰れそうになりました。
そこには、もちろん洗濯機なんてものはなく、お洗濯は近所のコインランドリーです。
乾燥機をかけている間にに下着だけ盗まれたことも一度や二度ではありません。
(あのいや~な気分、今でもフラッシュバックします。笑)
近隣の人たちは、当時銭湯に通う人が多かったのですが、そのコミュニティでも最後まで「よそもの」。
(ここでコミュニティに溶け込めなかったのは心の余裕のなさだったと思います)
ある晩、駅から自宅までの帰り途、不審な男につけられ、走って駅に戻り交番に駆け込んだこともありました。
でも、おまわりさんが、これから夜遅くなる時があれば、いつもでいらっしゃい、パトカーで送ってあげますよ、とおっしゃってくださったときは、涙が出るほどうれしかった。
ちょっと信じられないような生活かもしれませんが、あのバブルの頃、東京の片隅でこんな生活が取り残されていたんです。
と、今思い返しても、当時の経験は決して楽しいものばかりだったとはいえませんが、この経験が、ぐらぐらと揺れていた人生の軸の留め金をがっちり留めるきっかけになったとはいえそうです。
このときの経験は、後に、ニューヨークに住むと決めた際も、自分を信じて違う環境に飛び込むバネとして、また、飛び込んでみた先で、たとえ困難なことがあっても、耐えるための支えになっていると思います。
もし、仮にこれから貧乏暮らしをすることになっても、それなりに工夫して、おしゃれに、ミニマリズムに徹してなんとか楽しくやっていけるだろうな~という自信はあります。
余談ですが、日本では、いいところのお嬢さまといえば、お箸より重い物はもったことがない、という代名詞に代表されることでしょう。
ですが、こちらでは、欧州の王侯貴族も含め、アフリカなどの電気や水道もないようなところにボランティアに行った経験がある人が少なからずいて、驚きました。
幼少時代も、質素なログキャビンに寝泊まりし、板の上にスリーピングバッグを敷いて寝るサマーキャンプに参加したり、早くから親元を離れる経験をします。
ここでまた、これまで書いてきたAmy教育ママゴンの教育法に反発しちゃうのですが、サマーキャンプって親は辛いけど、暑い夏に塾に通ってドリルばっかりさせるぐらいなら、一度は出してみたほうがいいと思うんですよね。
びしばし勉強勉強と叩かれるぬくぬくした家を離れ、他人と寝泊まりすること、共同生活を営む経験は若いうちにこしたことはないと思うのです。
スリープオーバー(お泊りでお友達の家に遊びに行くこと、または来ていただくこと)も、然り。
よそのおうちはそれぞれにどう違うか、またゲストとしてどうふるまうべきかなどを学び、自分と自分の育った環境を客観視するいい機会だと思うのです。
よく、枕が変わると眠れないという方がいらっしゃいますが、どこででもタフに眠れるほうが、人生生きて行くのは楽なはず^^
こちらの教育には、勉強を詰め込むだけではなく、そんなライフスキルを学ぶことも含まれていて、わたしはすごくいいな~と思います。
20代で、それまでの暮らしからは想像もできない世界があると知り、世の中の不条理を知り、その不条理と戦うには教育にまさるものはない、としみじみ思いました。
もし、あの隣人だった男の子がせめて高校を卒業していたら、もっと別の暮らしがあったはず。
今もその思いは、わたしの核の部分に根をはっていて、そのミッションの一環を娘とハーレムの小学校でのボランティアという形で展開しています。
以上です^^
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