危ない橋をリスクを承知で一気にわたる男 in NY | だれも書かない★ニューヨーク1%未満★

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日本からは見えにくい、知られざるニューヨークやニューヨーカーのこと、たまにプライベートなことを書いています。

ニューヨークに来て間もないころ、

当時、NY在住だった郷ひろみさんのお相手役としてラジオ放送に出演し、

やがては主にテレビ向け番組制作会社を設立し、

日本語(大阪弁も)が恐ろしく上手なアメリカ人の女の子、

ナンシー・リーと知り合いました。


ナンシーは日本にいたころ、横山ノックさんの事務所に所属するタレントだった時期もあります。

その後アメリカに戻り、大学を卒業し、ロースクールにも通い弁護士の資格もとってしまったはず。






             サウスビーチを少し離れれば、今でもあるんです、こんなエリアが。


前述の、NY SOHOを仕掛けたディベロッパー、

トニー・ゴールドマンはナンシーの紹介で知り合いました。

まずは、こちら をクリックください。


当初、トニーは、

サウスビーチに18軒のビルを所有し、

ホテルをオープンし、レストランをオープンし、

週末ごとにNYからやってきて、

オーシャン・ドライブの前のビーチには、

ご本人も大好きなローラースケート用の長いプロムナードをつくり、

暇をみつけてはご本人所有のホテルで、

プロ顔負けに上手い歌を披露してらっしゃいました。


オーシャンドライブ沿いのビーチでは、

早朝から何組もの撮影隊がぎっしりと占領し、

モデルたちをつかって雑誌やCMの撮影をしていました。


その時からさかのぼること15年、

ニューヨーク市が破産したその時に、

だれも寄り付かなかった無法地帯さながらの倉庫街にビルを購入したトニー、


次は80年代に、キューバから送られてきた犯罪者たちの上陸により、

犯罪率が急上昇し、取り残され、

廃墟の一歩手前といってもよいほどに、

打ち捨てられた状態になっていたサウスビーチに目をつけ、


90年代にはウォールストリートの住宅地としての開発を手がけます。


トニーのサイトをごらんいただいた方は、

彼のナレーションからもご理解いただけると思いますが、

どこに目をつけて開発すれば当たるか、

お手本になるようなマニュアルはもちろんどこにもありません。


だから・・・

トニーに聞いてみました。

どうしてそんな危ない橋を、まさに背水の陣をしいて渡れるのか。


それはいったんわたってしまったら、簡単に引き返せる橋ではありません。

相当の覚悟を要するものすごい「コミットメント」が必要です。


どうして、彼がすることなすこと、大当たりしてしまうと思うのか。

その、エネルギッシュで魅力的なトニーに、その答えを聞いてみたくて、

わたしは興味津々でした。


トニーは、間髪いれずにこう答えました。

「直感さ。ぼくはいつも、自分の直感を信じて生きてきた、それだけさ」


「大学に入学した初日、キャンパスで出会ったある女の子を見た途端、

この子とぼくは結婚する、と決め、実際結婚したよ」


そう、治安の悪かったウエストサイドにブラウンストーンのビルを格安で買ったのも、

SOHOにキャストアイロンのロフトビルを買ったのも、

すべて、直感に従っただけのこと。


直感・・・・

やっぱり直感ですか。


そういえば、かつて東証一部上場企業を自ら起業なさったある実業家に、

成功の秘訣、または座右の銘があれば教えてくださいと聞いたとき、

こうおっしゃったことが深くわたしの心に残りました。


寡黙なその方がぽつんと、鋭い目を据えておっしゃったのは、

「わたしは自分がこの人こそと信じた人に、いまだかつて裏切られたことはない」


ああ、やっぱりその実業家もご自身の直感を信じて突き進んでこられたのですね(^∇^)。


次回は、「直感」について、成功者の多くが鋭く、高い能力をもっているらしい直感の磨き方について、書いていく予定です。


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明日、アメリカは夏最後のホリデー、レイバーデイです。


どうぞみなさま、最後の夏を、お楽しみください。

われわれもまた火曜日からは、怒涛の日々に舞い戻ります。



旗ここ数年ナンシーと会っていませんが、きっと幸せな生活をおくっているはず。

もし、彼女のことをご存知の方がいらしたら、ぜひ近況など教えてください。