Givingのマインド | だれも書かない★ニューヨーク1%未満★

だれも書かない★ニューヨーク1%未満★

日本からは見えにくい、知られざるニューヨークやニューヨーカーのこと、たまにプライベートなことを書いています。

わたしがノブレス・オブリージュ という言葉を初めて知ったのは、90年代の初めころでした。

25ans時代に仕事で何度かお目にかかった、加賀百万石の前田侯爵家の長女であった酒井美意子 さんが対談の中で使われていたのだと記憶しています。

 

ベル註・

酒井美意子さんをご存じない方ぜひアップの美意子さんのお名前をクリックしてください。

20代、30代、お1人さまで気持ちが萎えきっていたとき、思いっきり励まされました。

もう、最高ですって^^

 

それから、ニューヨークで、セントラルパークのペンキ塗りのボランティアをしたりして、

実は、それによって救われるのはこちらなんだという逆説のからくりに気づきました。

 

極めつけは、2001年のテロの直後に、

グランドゼロの再開発のために死ぬ気で尽力したいというご主人について、

安定した名誉ある仕事をやめてまで、

キンダー受験を控えた子供を連れて、

LAからNYに引っ越してきちゃった、リンダという友人との出会いでした。


「ありえない!」

お恥ずかしいのですが、最初それを聞かされたとき、

彼女たちの行動に一瞬、パニック状態を起こしたわたしでした。

 

それから、ふと周辺を見渡してみて、

ツレアイの夫はじめ、

大好きな女ともだち、

いい関係をずっと続けたいと思う男友達の顔ぶれを考えると、

「だからわたしはこの人たちが好きなんだなぁ、よし、この人たちにふさわしい人間になろう」という気にさせられる共通点をもった友人が多いことに気づきました。


 

それは学歴でもなく、

年収でもなく、

もちろん見かけや外見ではなく、

 

Givingのマインドのある人。

 

つまりパブリック・サービスや

ボランティア活動など、

常に、コミュニティや社会の役に立ちたいとアンテナを張り巡らし、

自分や家族だけの利益を超えて、他人のために還元している人。

 

っていうとなんかどこかの優等生なら話は別だけど、どうもくすぐったくなりますよね。

 

自分や家族を超え、他人の利益になるなんて。

Giving=社会に還元するなんてなんか別世界の良い人だけができそうなことって感じです。


でもアメリカには、上手に頭をつかって、あまり痛みを感じることなく、

普通にそれを実行している人たちが多くてとても勉強になります。

 

アメリカで有名なコメティエンヌのジョーン・リバーに、講演をお願いしたところ、

「ギャラはいらない、その代わりそちらで払えるだけでいいから、わたしが尽力しているチャリティに寄付してほしい」とおっしゃいました。

Fワードも使ったりしてめちゃくちゃ面白いジョーン^^

 

 

このクラスの人たちの講演料というのはハンパな額ではありません。

日本でも講演やレクチャ―で稼いでいる名士の方多いのではないのでしょうか。

それをさりげなく、いらないと言えるって「かっこいい!」と思ったものです。

 

NYでコーポレートロイヤーとしての地位を確立し、忙殺されているはずの友人は、

同じような弁護士たちが集まって組織した、

弁護士を雇うゆとりのない社会的に弱い立場にある人たちの市民権のために

無料で法律相談をする「リーガル・エイド・ソサエティ」という非営利団体のメンバーとして活動しています。

 

でも、こんな例を挙げると、だれにでも簡単にはできないことに思われるかもしれないですね。

 

それならこれはいかがでしょうか。

たとえば、ニューヨークのファッション業界や上流階級に多く顧客をもつ、

フローリストのミホさんは、

余ったお花を、かつて、ニューヨーク・メディカル病院のエイズ病棟に届けてらっしゃいました。

これは、ちょっと工夫すれば真似できると思いませんか?

 

それから、たとえば、謝礼関係なく、気軽にスピーチを引き受けてくださる渋澤健 さん、 

シブサワ・レターを毎月、お送りくださっていることも、 そのことにより大きくインスパイヤーされている人の数を思えば、その手間も含め、立派なパブリックサービスといえるのではないでしょうか。

 

もちろん、経済同友会や一族の財団のお仕事など、渋澤さんのパブリック・サービスはすばらしいものです。

 

 

また、森岡弘 くんは、ある大物政治家のプレス向きのファッションアドバイザーをしています。

ご存じかどうか、こういうお仕事はあくまで隠密である必要があり、広告宣伝にはなりません。

そしてギャラなどはほんの気持ち程度で薄謝のはずです。

それでも気さくに、ギャラの交渉もなしに引き受けています。

これも、その政治家を信じて応援しているからこそのGivingではないでしょうか。

 

また、ブログという媒体を純粋に与える場とし、そこからは何のお金儲けもせず、

貴重な情報を惜しみなく提供してくださる多くの方たちにも、

わたしはいつもGivingの精神を感じています。

 

 

きっとブログコミュニティの良いパワーが結集し、何かいいい形で、日本を、世界を変えていくきっかけになっていくような気がします。

そう信じたいです。

 

慶応大学でビジネス英語を教えてらっしゃる日向清人先生のブログ は圧巻です。

「毎回、ここまで無料で教えていただいていいんですか、センセー」と言いたくなるような

英語、日本語ともにまるでミニ論文を発表してらっしゃるような内容のときもあります。

またサービス精神もいっぱい。

 

先生の、日本人をなんとかして、しょぼんとすることなく世界舞台に立たせてやりたいという芯の通った親心を感じます。

 

 

また、ビジネスをするにしても、

Givingの気持ちを常にもっている人や企業は一目瞭然です。


消費者側が、お値打ち感を感じる、得した感じを持てるからです。


また、目先だけの利益にとらわれず、遠い未来にまで思いをはせて投資をしています。

 

それはモノに限りません。

セミナーなども、

 

たとえば、Room to Read のチャリティパーティ成功のためために多大な貢献をしてくださった

森ビル が開催しているレクチャーやセミナーの会費はあっと驚くお値打ちさです。

無料のイベントもたくさんあります。

しかも講師陣やゲストは超一流^^

 

どんなに内容が良さそうに感じても、

その値段に、多くの人の直感が「高い」と感じるならば、そこにGivingのマインドはないということなのでしょう。

 

何かを提供する際、ぴったりの等価代金や、やや高めの代金をいただくのではなく、

うんと割安感を感じてもらえるサービスを提供するとき、そこに相手はGivingの精神を感じ取るのだと思います。

 

Gucci、Targetなど、売上の何パーセントかを特定のチャリティに寄付している会社もたくさんあります。

人気ブログ「お買いものは止まらないし辞められない 」を主宰してらっしゃるshoppingminnieさんは、海外出張のたびに貯めたマイレージを航空会社を通じて、そのまま寄付してらっしゃるそうです。

これもすごくいいチャリティのかかわり方だなぁと思いました。

 

今回のシブサワレターの中で、私の心の琴線に触れた部分はここでした。

 

 

自分達の身近にいる違う人たち、あるいは遠いところの人たちに関心を抱かない国民が集まる社会の将来は明るいはずがありません。


 

つまり近くの、そして遠くの他人のためにイマジネーションを駆使して、具体的なGivingの精神を発揮できる人が少ない社会の将来は暗いということです。

 

 

友人、鳥居晴美ちゃんは、

 

「自分の子供、日本の子供のことだけを考えていたら未来はない」と切実に思い、子供地球基金を始めました。

 

みんながほんの一つでいいから、与えられるものを見つければ、

日本の閉塞感に少しずつ風が通るようになるのではないでしょうか。

7日、ヒラリー・クリントンが大統領予備選からの撤退を宣言し、オバマを支持する表明をしました。

1年半以上の間、働きづめに働き、移動につぐ移動、

睡眠不足のままテレビや新聞へ矢継ぎ早のコメント、そしてスピーチに明け暮れる日々、

最初の3か月でカタがつくと信じていたのに、この結果です。

どれだけ悔しかったことか、それは引き際の悪さからも理解できます。

それでも、7日のスピーチはすばらしいものでした。

そして、彼女に心から敬意を表したいことがひとつあります。

ヒラリーは骨の髄まで、パブリックサービスに尽くす人だということです。

こんな女性を輩出し、千八百万人もの人がサポートしたアメリカという国はやっぱりすばらしいと思います。

一方、ニューヨークから見る日本は、メディアが大騒ぎするほどひどいものではありません。

もっと自信をもって、無関心を装うのはやめて、

まずはコミュニティでGivingの第一歩を踏み出してみてはどうでしょう。

たとえば、だれもが引き受けたくないPTAの役員を引き受けるとか、

マンションの管理組合の幹事になる、なんてのも第一歩かも。

その一歩がドミノ式によい方向に変わっていくと、そう信じています。

 

旗秋葉原の歩行者天国で起きた惨事、ニュースで知りました。

言葉もありません。被害者の方のご冥福を心からお祈りします。

テロの後は何年も怖くて地下鉄に乗れなかったNY、しかし、最近は犯罪も物騒なニュースもめっきり減ったNYです。

一方、安全だった日本で歩行者天国が怖くて歩けなくなるとしたら・・・・とても残念です。